かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

不死鳥のあしあと・・限定発売 予約受付中 

2017-08-14 11:16:21 | かごめかごめの真実とは

      不死鳥のあしあと ・・ 予約受付中


いよいよ私の不思議な7年間の体験を、オールカラーでA4の見開きで綴った図形の数々と写真集が、8月31日に出版されます。

 

 不死鳥のあしあと   

      神々はこの日本の大地に

         世界が平和になれる仕掛けを

             残してくれていました。   

 

             上森三郎

 

             定価=本体10000円+税 

            限定 3690冊 発売!

 

             株式会社 T・T・C にて 予約受付中

 

 

 

  目 次


 前書き 1

 それは3本の十字架から始まった

 黄金比の十字架


世界の聖地「埴岡の里」 5

 供えられた水・亀ヶ壺

 神棚の榊・1対のメノラー

 女神ハトホルの地上絵

 鶴と亀・魚・玄武

10 埴岡の里の地上絵全図

11 八幡山ピラミッド

12 イエス・キリストの生命の樹

14 絶峯御林と古城山御林

15 絶峯はイエスを、古城山はモーセを祀る山

16 モーセの地上絵


女王卑弥呼と邪馬壹国 17

18 卑弥呼の墓・婀月山

19 卑弥呼の墓はこと座のベガ

20 卑弥呼は初代斎王だった

21  瀬織津姫、弁財天、卑弥呼

22 邪馬壹国とオリオン座

23 オリオン座の山々

24 七福神の航路

25 使節は対馬に上陸した

26 折鶴


イエス・キリストの三つの陵墓 27

28 空海様と最澄様が守るイエスの公的な陵墓

29 イエス・キリストの本当の墓

30 イエスの墓の景観

31 イエスの陵墓を守る磐座

32 ベテルギウスは赤く輝く

33 イエス王家の墓・天神山

34 橿原神宮の不思議


イエス・キリスト終焉の地 35

36 イワナガヒメの神社とハート形の山

37 十字架の山

38 イエス終焉の地の風景


千山の九福神と日本の七福神 39

40 千山・雁塔の九福神

41 八福神のレリーフ

42 八福神の壁画

43 埴岡の里に七福神が祀られている

44 不思議な光の写真


マリアの墓は岡山県美咲町にあった! 45

46 マリアの墓 発見への道

47 「祖母」とは誰のことなのか

48 マリアの墓の風景


モーセの墓は丹後半島にあった! 49

50 モーセの墓 発見への道

51 竹野神社

52 モーセの墓と依遅ヶ尾山

53 モーセの墓から描ける図形

54 銅鐸は測量機器


淡路島の勾玉山はアブラハムの墓! 55

56 勾玉形の山を発見!

57 アブラハムの墓の神木

58 神野山の王塚はテラの墓

59 桓武天皇も祈った仙境・交野山

60 テラ、アブラハム、モーセの三角形

61 竹生島と曽爾の亀山

62 亀山から鎧岳へ


空海様の隠された生涯 63

64 空海様の生誕地は星の岩屋

65 アークは剣山から埴岡の里へ

66 奥鎗戸のピラミッドを中心に等比数列の図形が出現した

67 空海様の亡骸は移された

68 空海様のルーツに迫る


チーム空海が造った「日月の山」! 69

70 麻賀多神社は御所を結ぶライン上にあった

71 息栖神社は淡路島の勾玉山を向いていた

72 ついに「日月の山」が姿を現した


神社・寺院で祈れば… 73

74 大聖寺(岡山県美作市)

75 比叡山延暦寺

76 香寺町土師・大年神社

77 姫路城

78 城の描く図形


後書き 79

 後書き

私は、過去も現在も、どんな宗教にも関わりを持ったことがない。

これからもその姿勢に変わりはない。

そんな私が、2010年8月11日、ちょうど56歳と7ヶ月目のまさにその日に、福岡の宗像大社で目に見えない存在からの声を聞いた。その時から摩訶不思議な世界へと誘われて来た。

不思議な声に導かれ、最初は伊勢神宮から兵庫県中央部に伸びる十字架を、そしてさらに2本、合計3本の大・中・小の十字架を描かされた(本書3ページに掲載)。

全てはこの3本の十字架から始まったのだ。

それからまる7年が経った。

最初は自分が何をやっているのか、目に見えない存在から何をやらされているのか、全く分からなかったのだが、ここに来て、その意図ははっきりと分かってきた。

目に見えない存在は、「この日本の歴史は世界の中で最も古く、『世界文明の起源は日本』であること」を教え続けていた。

この日本は、アブラハムの父テラから始まり、アブラハム、モーセ、イエス・キリストもこの聖なる日本を拠点にして、地球的視野で助け合い生きる世界を希求し続けていた。

彼らはこの日本の大地に埋葬され、しかもその陵墓の位置(そして本当の歴史)が後世の人に分かるようにと、夏の大三角形やオリオン座などの星座をこの大地に降ろして位置決めしていた。

その後の王や賢人たちも、これらの重要な陵墓に三角法を使って関連づけて、自分の墓の位置決めを行うことで、この大地に足跡を残した。

山、墓、磐座、神社、寺院、城等を関連づけるこの三角法の位置決めは、後世まで引き継がれた。

テラ、アブラハム、モーセ、マリア、イエス・キリストの墓がこの日本にあるということを世に知らせるシナリオが、世界を平和に導く神様の計画のようだ。

何世紀にもわたってこの計画を守り伝えた先人たちの御霊も、「私が何をなしたかを世界中の人達に伝えてください」と伝言して消えた女王卑弥呼も、空海様も、この計画の成就を願っていることだろう。

 

               2017年8月31日

 

                  卑弥呼の誕生日を祝って

 

                                     上森三郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

銅鐸は測量機器

銅鐸は、紀元前2世紀から紀元2世紀に至る弥生時代の約400年間、日本列島で使われていたが、その後姿を消した謎の青銅器である。

研究者の多くは祭祀に使われた楽器のようなものとしているが、私は「測量機器」であるという説を提唱している。

上部にあけられた穴から両目で覗くことによって銅鐸の向きを正確に決めることができるからである。

このことによって、他の用途不明の銅器の用途も判明する。

「有鉤銅釧」と呼ばれる青銅器は、銅鐸の上部にあいた穴を使って簡単に銅鐸を設置するための「吊り金具」である。

それを吊り下げるための紐は、「巴形銅器」から吊るされる。

巴型銅器は、予め結ばれていた三脚の紐に巴形の足をからめて、水平方向の微調整をする道具である。

そして、銅鐸の内壁に当てて音を出すための道具と言われている「舌」は、実は、銅鐸が地面の「基準点」の真上になるように、銅鐸の中心から吊り下「下げふり」として使われていたのである。

銅鐸としばしば一緒に出土する銅鏡も、測量現場で分度器や水平器として使われていたと考えられる。さらに、光通信にも使われたであろうと推測される。


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不死鳥のあしあと 8月31日 株式会社 T・T・Cより出版

2017-08-03 10:24:23 | かごめかごめの真実とは

2017年8月3日(木)

 いよいよ私の不思議な7年間の体験を、オールカラーでA4の見開きで綴った図形の数々と写真集が、8月31日に出版されます。

 不死鳥のあしあと    とタイトルは決めました。

 神々はこの日本の大地に

 世界が平和になれる仕掛けを

 残してくれていました。   

         上森三郎

 

   定価=本体10000円+税

 

   株式会社 T・T・C にて 予約受付中!

  アマゾンでも購入できます

  目 次

前書き 1

 それは3本の十字架から始まった

 黄金比の十字架

世界の聖地「埴岡の里」 5

6 供えられた水・亀ヶ壺

 神棚の榊・1対のメノラー

 女神ハトホルの地上絵

 鶴と亀・魚・玄武

10 埴岡の里の地上絵全図

11 八幡山ピラミッド

12 イエス・キリストの生命の樹

14 絶峯御林と古城山御林

15 絶峯はイエスを、古城山はモーセを祀る山

16 モーセの地上絵

女王卑弥呼と邪馬壹国 17

18 卑弥呼の墓・婀月山

19 卑弥呼の墓はこと座のベガ

20 卑弥呼は初代斎王だった

21  瀬織津姫、弁財天、卑弥呼

22 邪馬壹国とオリオン座

23 オリオン座の山々

24 七福神の航路

25 使節は対馬に上陸した

26 折鶴

イエス・キリストの三つの陵墓 27

28 空海様と最澄様が守るイエスの公的な陵墓

29 イエス・キリストの本当の墓

30 イエスの墓の景観

31 イエスの陵墓を守る磐座

32 ベテルギウスは赤く輝く

33 イエス王家の墓・天神山

34 橿原神宮の不思議

イエス・キリスト終焉の地 35

36 イワナガヒメの神社とハート形の山

37 十字架の山

38 イエス終焉の地の風景

千山の九福神と日本の七福神 39

40 千山・雁塔の九福神

41 八福神のレリーフ

42 八福神の壁画

43 埴岡の里に七福神が祀られている

44 不思議な光の写真

マリアの墓は岡山県美咲町にあった! 45

46 マリアの墓 発見への道

47 「祖母」とは誰のことなのか

48 マリアの墓の風景

モーセの墓は丹後半島にあった! 49

50 モーセの墓 発見への道

51 竹野神社

52 モーセの墓と依遅ヶ尾山

53 モーセの墓から描ける図形

54 銅鐸は測量機器

淡路島の勾玉山はアブラハムの墓! 55

56 勾玉形の山を発見!

57 アブラハムの墓の神木

58 神野山の王塚はテラの墓

59 桓武天皇も祈った仙境・交野山

60 テラ、アブラハム、モーセの三角形

61 竹生島と曽爾の亀山

62 亀山から鎧岳へ

空海様の隠された生涯 63

64 空海様の生誕地は星の岩屋

65 アークは剣山から埴岡の里へ

66 奥鎗戸のピラミッドを中心に等比数列の図形が出現した

67 空海様の亡骸は移された

68 空海様のルーツに迫る

チーム空海が造った「日月の山」! 69

70 麻賀多神社は御所を結ぶライン上にあった

71 息栖神社は淡路島の勾玉山を向いていた

72 ついに「日月の山」が姿を現した

神社・寺院で祈れば… 73

74 大聖寺(岡山県美作市)

75 比叡山延暦寺

76 香寺町土師・大年神社

77 姫路城

78 城の描く図形

後書き 79

 後書き

 

私は、過去も現在も、どんな宗教にも関わりを持ったことがない。

これからもその姿勢に変わりはない。

そんな私が、2010年8月11日、ちょうど56歳と7ヶ月目のまさにその日に、福岡の宗像大社で目に見えない存在からの声を聞いた。その時から摩訶不思議な世界へと誘われて来た。

不思議な声に導かれ、最初は伊勢神宮から兵庫県中央部に伸びる十字架を、そしてさらに2本、合計3本の大・中・小の十字架を描かされた(本書3ページに掲載)。

全てはこの3本の十字架から始まったのだ。

それからまる7年が経った。

最初は自分が何をやっているのか、目に見えない存在から何をやらされているのか、全く分からなかったのだが、ここに来て、その意図ははっきりと分かってきた。

目に見えない存在は、「この日本の歴史は世界の中で最も古く、『世界文明の起源は日本』であること」を教え続けていた。

この日本は、アブラハムの父テラから始まり、アブラハム、モーセ、イエス・キリストもこの聖なる日本を拠点にして、地球的視野で助け合い生きる世界を希求し続けていた。

彼らはこの日本の大地に埋葬され、しかもその陵墓の位置(そして本当の歴史)が後世の人に分かるようにと、夏の大三角形やオリオン座などの星座をこの大地に降ろして位置決めしていた。

その後の王や賢人たちも、これらの重要な陵墓に三角法を使って関連づけて、自分の墓の位置決めを行うことで、この大地に足跡を残した。

山、墓、磐座、神社、寺院、城等を関連づけるこの三角法の位置決めは、後世まで引き継がれた。

テラ、アブラハム、モーセ、マリア、イエス・キリストの墓がこの日本にあるということを世に知らせるシナリオが、世界を平和に導く神様の計画のようだ。

何世紀にもわたってこの計画を守り伝えた先人たちの御霊も、「私が何をなしたかを世界中の人達に伝えてください」と伝言して消えた女王卑弥呼も、空海様も、この計画の成就を願っていることだろう。

               2017年8月31日

                  卑弥呼の誕生日を祝って

                                     上森三郎

 

 

銅鐸は測量機器

銅鐸は、紀元前2世紀から紀元2世紀に至る弥生時代の約400年間、日本列島で使われていたが、その後姿を消した謎の青銅器である。

研究者の多くは祭祀に使われた楽器のようなものとしているが、私は「測量機器」であるという説を提唱している。

上部にあけられた穴から両目で覗くことによって銅鐸の向きを正確に決めることができるからである。

このことによって、他の用途不明の銅器の用途も判明する。

「有鉤銅釧」と呼ばれる青銅器は、銅鐸の上部にあいた穴を使って簡単に銅鐸を設置するための「吊り金具」である。

それを吊り下げるための紐は、「巴形銅器」から吊るされる。

巴型銅器は、予め結ばれていた三脚の紐に巴形の足をからめて、水平方向の微調整をする道具である。

そして、銅鐸の内壁に当てて音を出すための道具と言われている「舌」は、実は、銅鐸が地面の「基準点」の真上になるように、銅鐸の中心から吊り下げる「下げふり」として使われていたのである。

銅鐸としばしば一緒に出土する銅鏡も、測量現場で分度器や水平器として使われていたと考えられる。さらに、光通信にも使われたであろうと推測される。

 

 


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私は揚羽蝶の紋章が大好きです

2017-05-29 10:50:21 | かごめかごめの真実とは

2017年5月29日(月)

28日(日) 午後2:00から、セミナーが開かれました。

セミナーが終わって・・

「私がどうしてこの町に嫁いできたのか、ずっと疑問に思って生きてきましたが、今日やっと分かりました」と、ご婦人が私に興奮気味で話されました。

姫路城は卑弥呼の陵墓に向けて造られています」

アゲハチョウの紋章は、この日本で最も歴史が古く、由緒ある人達の紋章です」と話し、その町がこれから世界の聖地に間違いなくなることと、もう誰より早くその地に暮らしていることに、誇りさえ感じられたことでしょう。

「私が嫁いできたときに、婚礼衣装に揚羽蝶の紋章が入っていたんです。そしてもう一つには五三の桐の紋章が・・」と。

 

 

 

 


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不思議な不思議な御一行様

2017-02-05 06:57:34 | かごめかごめの真実とは

2017年2月5日(日)

 2月3日の節分の日のツアーには沢山の方々に参加していただきました。

楽しい楽しいひと時でした。

私はもう朝一番から興奮状態でした。何が興奮状態なのかは、参加した人たちしか知りえません。

本当に興奮状態で始まったツアーは、アッという間に夢のごとく過ぎ去りました。

一日の長さをこれほど短く感じたことは初めてでした。

姫路城でも天守閣では北の窓から外をみんなで眺める不思議な人たち。

ほとんど大勢で行かないであろう、まして今の時期には誰も行かないであろう福本遺跡で、とある山をバックに記念撮影。

そしてみんなで、とある山に向かって「ヤ~~ッホ~~~!!」と二回も大きな声で、その山に届くように皆さんが叫んでおられましたねぇ。

そしてそれから、ゾロゾロと林の中へと行って・・・、またまた、あの山、そちらの山を眺めて・・物思いにふけったりと・・。 ? ?

それからバスに乗り込んで、普通の喫茶店に行っては、その喫茶店と、またまたとある山をバックに記念撮影。

その前を自転車を押しながら不思議そうにチラチラ私たちを眺めていくおばちゃん。 ?!

そこでコーヒーを飲み終えたら、「ハイハ~~イ時間ですよ~~」とバスに乗り込み、川辺にある岩を眺めては、皆さんが写真を撮られます。  ハイハ~~イ 時間ですよ~~!と。

それはそれは不思議な御一行様たちでしたぁ。

最後は、姫路駅の近くの神社へと行って、またまたワイワイガヤガヤ。

私は、最後にまたまた興奮状態となりました。

厳島神社で手を合わすと、・・なんと卑弥呼様の陵墓に手を合わすように出来ていました。

本殿で手を合わせるとイエス・キリストに・・、そして弁財天様では卑弥呼様に手を合わすように微妙に建物の角度を変えていました。

そして、最後、バスに乗り込もうとすると、空にはお月さま。

ああ~~もう、感動、感動の一日でした。

  皆様には感謝しています。

    思いでのひと時を有難うございました。

      また次の機会を楽しみにしていま~~す!

      

 

 


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姫の路 シュメールの故郷へ 聖地巡礼ツアー のお知らせ

2016-12-21 10:20:25 | かごめかごめの真実とは

2016年12月21日(水)

 2017年2月3日(金) 大事な節分の日に、「姫の路 シュメールの故郷へ」 聖地巡礼ツアーが決定しました。

姫路城が女王卑弥呼の陵墓に向けて造営されていた事実から、「姫路」という地名は、間違いなく御姫様の陵墓への路であることを教えていました。

そして女王である御姫様の陵墓が、どうして神河町にあるのかというのは、5代前のご先祖様、すなわち世界の大王イエス・キリストの墓や、王家の人達の墓守を卑弥呼がしていたからです。

では、どうして大王イエス・キリストの墓が神河町にあるかというと・・、なんと、その地域こそがシュメール人の故郷だったからなのです。

シュメールの粘土板に残されたその印章の図柄の生命の樹や蛇の絵などが、全くその地域の川や地上絵などと同じなのです。

そして、その地域の神河町に、一万三千年前の福本遺跡があることからしても、そのことは十分に言えます。

24日(土)のセミナーで、そのシュメールの故郷は兵庫県の中央部であったことを、地元の古代史研究家の市川慎さんに発表していただきます。

そして・・、ツアーにも市川慎さんが参加されて、シュメールの里を一緒に歩いてみたいと思っています。

 

麻賀多神社の猿田彦の「猿」の秘密は、先ず24日のセミナーで話をしたいと思っています。

24日のセミナーは、市川慎さん、武部さん、そして私が話しますが、3時30分ごろから懇親会となります。

今から私もセミナーが楽しみです!

 


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Осака Castle мүрзөсүнө үчүн курулганVirgin Мариям жана Ыйсанын падыша үй-бүлө мүрзөсүнө

2016-12-12 17:40:19 | かごめかごめの真実とは

 

2016-12-12 17:31:01 | かごめかごめの真実とは 17:31:01 2016-12-12 | Kagome Kagome чындык

 

2016-12-12 10:35:14 | かごめかごめの真実とは 10:35:14 2016-12-12 | the truth of Kagome Kagome

2016年12月12日(月) December 12, 2016 (Monday)

11日(日)、大阪城へと計測に行きました。 On 11th (Sunday) I went to Osaka Castle to measure.

天守閣へと階段を使って上がりました。 I went up to the castle tower by using the stairs.

最上階で勇んでコンパスグラスを覗くと・・・。 When I peek at compass glasses on the top floor ...

もう測る度に、測る場所場所で、方位が狂います。 Every time we measure it, the direction will go wrong with the place to measure.

大阪城は、姫路城の木造と違って、SRC(鉄骨鉄筋コンクリート)造になっていて、方位磁石が狂って正確に測れませんでした。 Osaka castle, unlike wooden of Himeji castle, was made SRC (Steel Reinforced Concrete), and the azimuth magnet was out of order and could not be measured accurately.

それで、外部から外壁面や石垣の通りなどから計測することにしました。 So, I decided to measure from the outside from the outside wall, stone street etc.

結果、向いている方角は、285度。 As a result, the heading direction is 285 degrees.

この方角は、岡山県にある聖母マリアの墓 (289度)と、 イエス王家の陵墓 (280度)の中間あたりを意識して築造されています。 This direction is, Our Lady is in the Okayama Prefecture, Maria of the tomb and the (289 degrees), Jesus royal tombs have been construction aware of the intermediate per (280 degrees).

偶然ではないでしょう。 It will not be coincidence.

又、いろいろな装飾が金で装飾されていましたが、全て意味あるものばかりでした。 Also, various decorations were decorated with gold, but all were meaningful.

そして天守閣の外面には、マリアさまやイエス・キリストなどを象徴する鶴の絵が四方に飾られていました。 On the outside of the castle tower, there were pictures of cranes symbolizing Maria and Jesus Christ on all sides.

三つ巴は三位一体の印ですよ。 Three is a sign of the Trinity.

メノラーに・・、十字もありますね。 There is also a cross in Menorah. そして・・ん? And · · ·? ・・アレレ? ..Arele? Is it? It is! It is!

天皇家の象徴的な十六菊花紋? Symbolic sixteen chrysanthemum pattern of the Emperor? ではなく・・半分の8ですよぉ・・! It is not 8 · half of 8 · · ·! Is it? It is! Is it?

何か何か・・誰かさんの思いが何やら伝わってきそうな・・・。 Something something ... It seems that someone's thoughts are coming down ....

この物語は最初から、「時間が無い、急げ!」でしたから、それで・・、私はそこから急ぎ足で大阪城公園駅まで行って、環状線で大阪駅まで行って、そして新大阪駅へと行って、新幹線に乗っていました。 This story from the beginning, "time is not, hurry up!" Because it was, so ..., I went to Osaka Castle Park Station at a brisk trot from there, go to Osaka Station in the loop line, and to Shin-Osaka Station I went there and was on the Shinkansen.

新幹線は陽が上がる方角へと急いでいました。 The Shinkansen was in a hurry to the direction the sun rose.

そして・・たどり着いたお城が向いていた方角は・・・なんとぉ! And ... the direction where the castle that came to me was ... What ah! 見事に・・・! Brilliantly ...! It is!

・・つづく ··to be continued

 

生野と大阪城とマリアの墓は綺麗な二等辺三角形になっています。 Ikuno, Osaka Castle and Maria's grave are beautiful isosceles triangles.

又、イエス王家の陵墓とイエス・キリストの墓とを結んだ延長線上に生野があることも偶然ではないでしょう。 Also, it is not a coincidence that there is an inferno on the extension line connecting the tomb of the royal family and the tomb of Jesus Christ.


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Osaka Castle was built for the tomb of the Virgin Mary and the tomb of Jesus' royal family

2016-12-12 17:31:01 | かごめかごめの真実とは

 

2016-12-12 10:35:14 | かごめかごめの真実とは 10:35:14 2016-12-12 | the truth of Kagome Kagome

2016年12月12日(月) December 12, 2016 (Monday)

11日(日)、大阪城へと計測に行きました。 On 11th (Sunday) I went to Osaka Castle to measure.

天守閣へと階段を使って上がりました。 I went up to the castle tower by using the stairs.

最上階で勇んでコンパスグラスを覗くと・・・。 When I peek at compass glasses on the top floor ...

もう測る度に、測る場所場所で、方位が狂います。 Every time we measure it, the direction will go wrong with the place to measure.

大阪城は、姫路城の木造と違って、SRC(鉄骨鉄筋コンクリート)造になっていて、方位磁石が狂って正確に測れませんでした。 Osaka castle, unlike wooden of Himeji castle, was made SRC (Steel Reinforced Concrete), and the azimuth magnet was out of order and could not be measured accurately.

それで、外部から外壁面や石垣の通りなどから計測することにしました。 So, I decided to measure from the outside from the outside wall, stone street etc.

結果、向いている方角は、285度。 As a result, the heading direction is 285 degrees.

この方角は、岡山県にある聖母マリアの墓 (289度)と、 イエス王家の陵墓 (280度)の中間あたりを意識して築造されています。 This direction is, Our Lady is in the Okayama Prefecture, Maria of the tomb and the (289 degrees), Jesus royal tombs have been construction aware of the intermediate per (280 degrees).

偶然ではないでしょう。 It will not be coincidence.

又、いろいろな装飾が金で装飾されていましたが、全て意味あるものばかりでした。 Also, various decorations were decorated with gold, but all were meaningful.

そして天守閣の外面には、マリアさまやイエス・キリストなどを象徴する鶴の絵が四方に飾られていました。 On the outside of the castle tower, there were pictures of cranes symbolizing Maria and Jesus Christ on all sides.

三つ巴は三位一体の印ですよ。 Three is a sign of the Trinity.

メノラーに・・、十字もありますね。 There is also a cross in Menorah. そして・・ん? And · · ·? ・・アレレ? ..Arele? Is it? It is! It is!

天皇家の象徴的な十六菊花紋? Symbolic sixteen chrysanthemum pattern of the Emperor? ではなく・・半分の8ですよぉ・・! It is not 8 · half of 8 · · ·! Is it? It is! Is it?

何か何か・・誰かさんの思いが何やら伝わってきそうな・・・。 Something something ... It seems that someone's thoughts are coming down ....

この物語は最初から、「時間が無い、急げ!」でしたから、それで・・、私はそこから急ぎ足で大阪城公園駅まで行って、環状線で大阪駅まで行って、そして新大阪駅へと行って、新幹線に乗っていました。 This story from the beginning, "time is not, hurry up!" Because it was, so ..., I went to Osaka Castle Park Station at a brisk trot from there, go to Osaka Station in the loop line, and to Shin-Osaka Station I went there and was on the Shinkansen.

新幹線は陽が上がる方角へと急いでいました。 The Shinkansen was in a hurry to the direction the sun rose.

そして・・たどり着いたお城が向いていた方角は・・・なんとぉ! And ... the direction where the castle that came to me was ... What ah! 見事に・・・! Brilliantly ...! It is!

・・つづく ··to be continued

 

生野と大阪城とマリアの墓は綺麗な二等辺三角形になっています。 Ikuno, Osaka Castle and Maria's grave are beautiful isosceles triangles.

又、イエス王家の陵墓とイエス・キリストの墓とを結んだ延長線上に生野があることも偶然ではないでしょう。 Also, it is not a coincidence that there is an inferno on the extension line connecting the tomb of the royal family and the tomb of Jesus Christ.


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오사카는 성모 마리아의 무덤과 예수 왕가의 능묘를 향해 축조되어있었습니다

2016-12-12 17:18:48 | かごめかごめの真実とは

 

2016-12-12 10:35:14 | かごめかごめの真実とは 2016-12-12 10:35:14 | 카고메 카고메의 진실은

2016年12月12日(月) 2016 년 12 월 12 일 (월)

11日(日)、大阪城へと計測に行きました。 11 일 (일) 오사카 성으로 측정에 갔다.

天守閣へと階段を使って上がりました。 천수각으로 계단을 통해 올라갔습니다.

最上階で勇んでコンパスグラスを覗くと・・・。 최상층에 기운이 솟아 나침반 잔을 들여다 보면 ···.

もう測る度に、測る場所場所で、方位が狂います。 다른 측정마다 측정 위치 장소에서 방향이 차질 있습니다.

大阪城は、姫路城の木造と違って、SRC(鉄骨鉄筋コンクリート)造になっていて、方位磁石が狂って正確に測れませんでした。 오사카는 히메지의 목조와 달리, SRC (철골 철근 콘크리트) 구조로되어있어 나침반이 미쳐 정확하게 측정 할 수 없습니다.

それで、外部から外壁面や石垣の通りなどから計測することにしました。 그래서 외부에서 외벽면이나 돌담의 거리 등 측정하기로했습니다.

結果、向いている方角は、285度。 결과 향하고있는 방향은 285도.

この方角は、岡山県にある聖母マリアの墓 (289度)と、 イエス王家の陵墓 (280度)の中間あたりを意識して築造されています。 이 방향은 오카야마 현에있는 성모 마리아의 무덤 (289 번)와 예수 왕가의 능묘 (280도)의 중간 쯤을 의식 해 축조되어 있습니다.

偶然ではないでしょう。 우연이 아닐 것입니다.

又、いろいろな装飾が金で装飾されていましたが、全て意味あるものばかりでした。 또, 여러가지 장식이 금으로 장식되어있었습니다 만, 모든 의미있는 것뿐이었습니다.

そして天守閣の外面には、マリアさまやイエス・キリストなどを象徴する鶴の絵が四方に飾られていました。 그리고 천수각의 외면에는 마리아 님과 예수 등을 상징하는 학 그림이 사방으로 장식되어있었습니다.

三つ巴は三位一体の印ですよ。 파전은 삼위 일체의 표시예요.

メノラーに・・、十字もありますね。 메노라에 .. 십자가도 있군요. そして・・ん? 그리고 .. 응? ・・アレレ? .. 어라 라? ? ! !

天皇家の象徴的な十六菊花紋? 천황의 상징적 인 열 여섯 국화 무늬? ではなく・・半分の8ですよぉ・・! 대신 .. 반 8이에요 ..! ? ! ?

何か何か・・誰かさんの思いが何やら伝わってきそうな・・・。 뭔가 뭔가 .. 누군가 씨의 생각이 무엇인가 전해져 것 같은 ···.

この物語は最初から、「時間が無い、急げ!」でしたから、それで・・、私はそこから急ぎ足で大阪城公園駅まで行って、環状線で大阪駅まで行って、そして新大阪駅へと行って、新幹線に乗っていました。 이 이야기는 처음부터 "시간이 없어, 서둘러!"였기 때문에, 그래서 .. 내가 거기에서 빠른 걸음으로 오사카 성 공원 역까지 가서 순환선 오사카 역까지 갔고, 신오사카 역에 로 가서 신칸센을 타고있었습니다.

新幹線は陽が上がる方角へと急いでいました。 신칸센은 해가 오르는 방향으로 서둘러했습니다.

そして・・たどり着いたお城が向いていた方角は・・・なんとぉ! 그리고 .. 도착한 성이 향하고 있던 방향은 ...なんとぉ! 見事に・・・! 보기 좋게 ...! !

・・つづく .. 계속

 

生野と大阪城とマリアの墓は綺麗な二等辺三角形になっています。 이 쿠노와 오사카와 마리아의 무덤은 깨끗한 이등변 삼각형으로되어 있습니다.

又、イエス王家の陵墓とイエス・キリストの陵墓とを結んだ延長線上に生野があることも偶然ではないでしょう。 또한 예수 왕가의 능묘와 예수의 무덤을 연결 한 연장 선상에 쿠노가있는 것도 우연은 아닐 것입니다.


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大阪城は、聖母マリアの陵墓やイエス王家の陵墓に向けて造営されていました

2016-12-12 10:35:14 | かごめかごめの真実とは

2016年12月12日(月)

11日(日)、大阪城へと計測に行きました。

天守閣へと階段を使って上がりました。

最上階で勇んでコンパスグラスを覗くと・・・。

もう測る度に、測る場所場所で、方位が狂います。

大阪城は、姫路城の木造と違って、SRC(鉄骨鉄筋コンクリート)造になっていて、方位磁石が狂って正確に測れませんでした。

それで、外部から外壁面や石垣の通りなどから計測することにしました。

結果、向いている方角は、285度。

この方角は、岡山県にある聖母マリアの墓(289度)と、イエス王家の陵墓(280度)の中間あたりを意識して築造されています。

偶然ではないでしょう。

又、いろいろな装飾が金で装飾されていましたが、全て意味あるものばかりでした。

そして天守閣の外面には、マリアさまやイエス・キリストなどを象徴する鶴の絵が四方に飾られていました。

三つ巴は三位一体の印ですよ。

メノラーに・・、十字もありますね。 そして・・ん? ・・アレレ??!!

天皇家の象徴的な十六菊花紋?ではなく・・半分の8ですよぉ・・!?!?

何か何か・・誰かさんの思いが何やら伝わってきそうな・・・。

この物語は最初から、「時間が無い、急げ!」でしたから、それで・・、私はそこから急ぎ足で大阪城公園駅まで行って、環状線で大阪駅まで行って、そして新大阪駅へと行って、新幹線に乗っていました。

新幹線は陽が上がる方角へと急いでいました。

そして・・たどり着いたお城が向いていた方角は・・・なんとぉ! 見事に・・・!!

  ・・つづく

 

                  

    生野と大阪城とマリアの墓は綺麗な二等辺三角形になっています。

又、イエス王家の陵墓とイエス・キリストの墓とを結んだ延長線上に生野があることも偶然ではないでしょう。

 


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豊臣秀吉も全てを知っていた

2016-12-11 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2016年12月11日(日)

 姫路城が向いている方角は、卑弥呼の墓へと見事に向けて造ってありました。

イエス・キリストの墓との角度は、10度ほどの差でした。

そして天守閣には祠があり姫神を祀ってあったり、それは偶然ではありえないし、

姫路城には豊臣秀吉も関係しているようですので、では大阪城も当然として大いにイエス・キリストの秘密をしっていたとしたら・・。

さっそく地理院地図で大阪城とイエス王家の陵墓である岡山の天神山と、イエス・キリストの墓と姫路城を結んでみると・・。

なんとぉ! これは偶然では絶対にありえない図形が浮かび上がりましたぁ。

黄色い三角形は、2:1:√3  青の三角形は3:4:5の大矩の直角三角形です。

そして大阪城とイエス王家の陵墓を底辺としてイエス・キリストの墓までの垂線に、大阪城と姫路城と卑弥呼の墓との直角三角形になる位置に姫路城があります。

これらは偶然でしょうか。

これはもう、秀吉は我が国の礎を築いた初代大王イエス・キリストに関することと、そのイエス・キリストの墓を守り祀っていた卑弥呼のことも全て知っていたということです。

それであれば、当然として大阪城はどこに向けて造ってあるのか・・・、「知りたい」私です。

もう早くコンパスグラスで測りたい!・・という気持ちで頭の中は一杯ですぅ。

今日、11日・・行って来ま~~す!  ハヤクシリタイ・・ ハヤク・・!!

 

 

 


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射楯兵主神社で手を合わせると、イエス・キリストの墓に向かって手を合わせるようになっていた

2016-12-06 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2016年12月6日(火)

 姫路城から東へチョット行った所に「播磨国総社 射楯兵主神社」があります。

んん~~ん、立派な神社ですよぉ、この神社は・・!

射楯兵主神社(いだてひょうずじんじゃ)で手を合わせると、キッチリとイエス・キリストの墓に向かって手を合わせるようになっています。

偶然でしょうか・・。 偶然ではないでしょう。

そしてこの神社では、兵庫県指定重要無形民俗文化財になっている「一ツ山大祭・三ツ山大祭」という祭りがあるとのことです。

一ツ山大祭は、平安中期に起きた藤原純友の乱を鎮定する為、天慶二年(939)に執り行われた「天神地祇祭」が始まりと伝えられています。・・とありますが、

藤原純友の乱と言えば・・・

            

藤原純友の乱

  藤原純友の乱で、最後に海賊の残党が捕えられた地に備前、播磨、但馬が注目されます。

但馬の赤い斜めのライン部分が、現在の生野、神河町のあたりです。

この乱は単なる乱ではなく、何か根深いものを感じざるを得ません。

純友を支持する部族たちが捕えられた地こそ、この我が国の礎を築かれた王家の人達が親しんだ地域でしょう。

王家とそれを支えた部族は、いつの間にか「鬼」や「海賊」と呼ばれる立場に追いやられたというように私には聞こえてきます。

 


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姫路城の秘密

2016-12-05 10:01:58 | かごめかごめの真実とは

2016年12月5日(月)

神戸の六甲道駅から姫路まで、新快速電車で45分ほどで行きます。

3日(土)、古代史研究家の市川慎さんと神戸駅で待ち合わせをして、市川さんの車の助手席から姫路城と、一つの神社の鳥居が目に飛び込んできました。

その日は、Yさんも一緒に市川さんの話を聞きましたが、それからその2ヶ所が非常に気になるので、翌日日曜日に姫路城へと行きました。

それは、前々から姫路という地名と、卑弥呼の陵墓との関係性が大いにあるという思いが私にはありましたから、この今のタイミングなんだろうと思って、天気は悪くとも行くことにしました。

事前に私は、コンパスグラスで覗いて20度ラインが卑弥呼の陵墓であることを地理院地図から割り出して行きました。

姫路駅で降り立ち、北の方へ出ると、そこには姫路城を案内するかのようにメイン道路が城へと延びています。

そこでコンパスグラスで城の方向を見ると・・、角度が全く違いました。

これは益々、天守閣へと行って方位を測らなければならないという気持ちになりました。

神戸を出る時は雨は降っていませんでしたが、姫路駅に降り立った時にはもう小雨が降りだしていました。

城はすぐそこにみえていますが、それで・・、タクシーで行くことにしました。

・・・

天守閣へと上り詰めると・・、そこには御社が祀られていました。

なんと、姫神様を祀ってありました。

「さぁ角度は何度だ、角度は!」と私の頭の中に響き渡ってきます。

小雨模様の天候のせいもあって室内は薄暗くて・・、ハッキリとコンパスグラスの数値は読みにくい状態でしたが、何度も何度も間違いないかと計りました。

その数値は、「ピッタリ20度」でした。

播磨国風土記に記された埴岡の里、現在の神河町にある卑弥呼の陵墓がある角度にピッタリと向けて姫路城は造営されていました。

そしてそして、天守閣にはその卑弥呼の陵墓に向かって手を合わすように、城の最上階の天守閣の中央に「姫神」を祀る御社がありました。

私は北の窓からどのような山々が見えるかも非常に興味がありましたので、コンパスグラスでそこから目印になるような山の形にラインを合わせると・・。

イエスの陵墓と卑弥呼の陵墓を教える特徴ある山も見ることができました。

そして、天守閣へと登る途中でアゲハチョウの模様を掘った瓦も展示してありましたが、靴を入れるビニール袋にも平家の紋章であるアゲハチョウが印刷されてありました。

又、パンフレットには、十字紋瓦が「にの門」の破風上にあることも書かれていましたが、このことも私には大いに興味が持たれます。

姫路城とは、間違いなく御姫様である女王卑弥呼を守り祀っていくお城であり、御姫様の陵墓へと通じる路が「姫路」という地名として残っているということでしょう。

昨日の雨は、「やっと姫路城の本当の意味を分かって下さる方が来られましたぁ・・」と、イエス王家の方々とその直系である卑弥呼様とそれを支えた平家の方々など目に見えない多くの方々涙されたようでした。

世界文化遺産である姫路城へと、これから益々、世界中からやって来られます。

そして、そこで先ずは姫路城で御参りを済ませ、そこから播但線に乗って生野、神河町の聖地へと行かれます。

その流れはもう止めることができないでしょう。

神様のシナリオは、それはそれは素晴らしいものですよ。

その重大なことを教えるもう一つの秘密も、姫路の方々に変わって書きたいと思います。・・つづく

             


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