3月20日付、朝日新聞朝刊17面の「私の視点」欄に、元東京地検特捜部検事の堀田力氏が、論文を寄稿されている。
民主党小沢代表の違法献金事件に関して、検察には説明責任がないという主張である。
堀田氏はこう述べている。
政治資金規正法は、
「政治が国民一般のために行われるようにしたいという、国民の長い間の悲願に応える法律」
であり、それを
「迂回献金やダミー団体によってくぐり抜ける行為は悪質というほかない」、
したがって、
「容疑が発生した時は、真実解明のために、万全の捜査を遂げ、法廷の中で容疑の全容を明らかにすることが検察の任務である」。
つまり、選挙の前であれ、形式犯での逮捕であれ、それが必要であれば、検察は躊躇するべきではなく、全容解明を目指せばよい、という意見である。
私も、この主張に賛成である。
そして、むしろ賛成だからこそ、今の検察には説明を求めたい。
なぜ、西松建設からの違法献金事件について、検察は全容解明を目指さないのか。
西松建設からの違法献金を疑われているのは、小沢氏だけではない。自民党の有力政治家の名前が、何人も挙がっている。おまけに、その中には、二階氏のような、現職閣僚も含まれている。
つまり、西松建設は、野党の小沢氏だけでなく、与党自民党の政治家にも、法の目をかいくぐって、お金をばらまいてきた疑惑があるということだ。
政治資金規正法は「国民の長い間の悲願に応える法律」なのだから、政府与党側の人間が、それを平然と踏みにじっている可能性があるとすれば、これは、検察にとって、悪質極まりない疑惑であるはずだ。
しかし、自民党政治家の秘書に対する事情聴取や捜査は、一切、聞こえてこない。
それどころか、小沢氏への献金を最初に仕切ったとされる、元秘書、岩手4区の自民党公認候補である高橋氏への聴取すら、行われた形跡がない。
なぜ、検察は、「真実解明のために、万全の捜査を遂げ」ないのだろう。
さらに、逮捕された西松建設の幹部は、自民党政治家への献金については、どのように語っているのだろうか?
これらの政治家は、西松からの献金という認識を持っていなかったのだろうか?
検察は、小沢氏の場合と異なり、自民党の政治家については、なぜか、その点を、追及して行く気がないらしい。
今回の捜査が、多くの批判を集めているのは、検察が、自民党へ捜査のメスを入れることを、躊躇しているように見えるからである。
「真実解明のために、万全の捜査を遂げ」ているとは、思えないからである。
ある容疑だけを法廷に持ち込んで、それと同等、あるいは、さらに悪質な可能性のある容疑を、権力に抵触するからという理由で、不問に付しているのだとすれば、それは大問題だ。
多額の税金を使って不公平な捜査が行われている。そういう疑惑を持たれている以上、検察は、そうでないことを国民、すなわち、納税者に納得させなければならない。
何より、疑惑を払拭するような捜査を、断固として展開するべきである。
しかし、現在までのところ、そのような捜査が行われているとは、残念ながら、到底思えない。
検察の正義は、国民の支持が背後になければ、独りよがりな権力の濫用に陥ってしまう危険がある。
だからこそ、検察は、国民の声に耳を傾け、国民が不信を抱いているならば、自らの考えを説明するべきである。
それを怠っていると、検察を信頼する人がさらに減っていき、結局は、検察の弱体化を招くことになるだろう。
検察を批判する声が、今回、なぜこれほど多いのか。堀田氏の論文には、その理由を真摯に考えようという視点が欠けていると感じた。
そして、その視点こそ、もっとも民主主義に必要なものではないだろうか。
民主党小沢代表の違法献金事件に関して、検察には説明責任がないという主張である。
堀田氏はこう述べている。
政治資金規正法は、
「政治が国民一般のために行われるようにしたいという、国民の長い間の悲願に応える法律」
であり、それを
「迂回献金やダミー団体によってくぐり抜ける行為は悪質というほかない」、
したがって、
「容疑が発生した時は、真実解明のために、万全の捜査を遂げ、法廷の中で容疑の全容を明らかにすることが検察の任務である」。
つまり、選挙の前であれ、形式犯での逮捕であれ、それが必要であれば、検察は躊躇するべきではなく、全容解明を目指せばよい、という意見である。
私も、この主張に賛成である。
そして、むしろ賛成だからこそ、今の検察には説明を求めたい。
なぜ、西松建設からの違法献金事件について、検察は全容解明を目指さないのか。
西松建設からの違法献金を疑われているのは、小沢氏だけではない。自民党の有力政治家の名前が、何人も挙がっている。おまけに、その中には、二階氏のような、現職閣僚も含まれている。
つまり、西松建設は、野党の小沢氏だけでなく、与党自民党の政治家にも、法の目をかいくぐって、お金をばらまいてきた疑惑があるということだ。
政治資金規正法は「国民の長い間の悲願に応える法律」なのだから、政府与党側の人間が、それを平然と踏みにじっている可能性があるとすれば、これは、検察にとって、悪質極まりない疑惑であるはずだ。
しかし、自民党政治家の秘書に対する事情聴取や捜査は、一切、聞こえてこない。
それどころか、小沢氏への献金を最初に仕切ったとされる、元秘書、岩手4区の自民党公認候補である高橋氏への聴取すら、行われた形跡がない。
なぜ、検察は、「真実解明のために、万全の捜査を遂げ」ないのだろう。
さらに、逮捕された西松建設の幹部は、自民党政治家への献金については、どのように語っているのだろうか?
これらの政治家は、西松からの献金という認識を持っていなかったのだろうか?
検察は、小沢氏の場合と異なり、自民党の政治家については、なぜか、その点を、追及して行く気がないらしい。
今回の捜査が、多くの批判を集めているのは、検察が、自民党へ捜査のメスを入れることを、躊躇しているように見えるからである。
「真実解明のために、万全の捜査を遂げ」ているとは、思えないからである。
ある容疑だけを法廷に持ち込んで、それと同等、あるいは、さらに悪質な可能性のある容疑を、権力に抵触するからという理由で、不問に付しているのだとすれば、それは大問題だ。
多額の税金を使って不公平な捜査が行われている。そういう疑惑を持たれている以上、検察は、そうでないことを国民、すなわち、納税者に納得させなければならない。
何より、疑惑を払拭するような捜査を、断固として展開するべきである。
しかし、現在までのところ、そのような捜査が行われているとは、残念ながら、到底思えない。
検察の正義は、国民の支持が背後になければ、独りよがりな権力の濫用に陥ってしまう危険がある。
だからこそ、検察は、国民の声に耳を傾け、国民が不信を抱いているならば、自らの考えを説明するべきである。
それを怠っていると、検察を信頼する人がさらに減っていき、結局は、検察の弱体化を招くことになるだろう。
検察を批判する声が、今回、なぜこれほど多いのか。堀田氏の論文には、その理由を真摯に考えようという視点が欠けていると感じた。
そして、その視点こそ、もっとも民主主義に必要なものではないだろうか。