小沢代表の秘書が逮捕されて、大騒ぎである。民主党幹部は「国策捜査」と批判。一方、東京地検は「政治的配慮はしない」。
かつて東京地検は、当時の政界のドン、金丸信自民党元副総裁の佐川急便からの巨額献金疑惑を、事情聴取なし、軽い罪状での在宅起訴で終結させた。結局、金丸氏は、五億円の献金を受けたのに、罰金20万円という判決だった。
こういう過去がある以上、東京地検が政治的配慮云々といっても、あまり説得力がない。
与党の大物だから大目に見て、野党の党首だから厳しく罰する?
失礼、悪い冗句だ(笑)。
だが、説得力がない背景には、説得力のある事実が存在する。
検察は政府法務省と密接に結びついている。政府から、高い独立性を保持しているとは、到底言えない。加えて、検察に対する、強制力を持ったチェック機構は、ほとんど存在しない。
誰を、いつ、どのような罪で起訴するのか。そして、誰を不起訴にするのか。
すべて検察の判断一つである。
今のところ、国民は、検察の正義をひたすら信頼するしかない。検察のトップを選挙で信任するような制度がないので、国民は、意見を表明する機会もない。
ところで、昨日の朝日新聞夕刊(3月3日14面)に、驚くべき記事が載っていた。
佐賀県で自転車を蛇行運転させた知的障害者が、佐賀署員五人によって取り押さえられ、その直後に死亡。遺族が、取り押さえた際の暴行によって死亡したとして、警察官たちを刑事告訴するも、佐賀地検は不起訴。
しかし、その後の「付審判請求」を佐賀地裁が認め、署員一人を審判に付すとのこと。
この裁判では、裁判所が選んだ弁護士が、検察官役を務めるそうである。
付審判請求は、滅多に認められないそうだが、検察の判断をチェックするという意味で、有意義な制度だと思う。
検察への不当な介入は排除すべきだが、正当なチェック機構がないと、かえって国民が検察を信頼しなくなる。それは、司法への信頼失墜とほぼ同義だ。
検察の正義を、誰がチェックするのか?
それとも、する必要はないのか?
今回の事件を機に、議論を深めてみてはどうだろう。
かつて東京地検は、当時の政界のドン、金丸信自民党元副総裁の佐川急便からの巨額献金疑惑を、事情聴取なし、軽い罪状での在宅起訴で終結させた。結局、金丸氏は、五億円の献金を受けたのに、罰金20万円という判決だった。
こういう過去がある以上、東京地検が政治的配慮云々といっても、あまり説得力がない。
与党の大物だから大目に見て、野党の党首だから厳しく罰する?
失礼、悪い冗句だ(笑)。
だが、説得力がない背景には、説得力のある事実が存在する。
検察は政府法務省と密接に結びついている。政府から、高い独立性を保持しているとは、到底言えない。加えて、検察に対する、強制力を持ったチェック機構は、ほとんど存在しない。
誰を、いつ、どのような罪で起訴するのか。そして、誰を不起訴にするのか。
すべて検察の判断一つである。
今のところ、国民は、検察の正義をひたすら信頼するしかない。検察のトップを選挙で信任するような制度がないので、国民は、意見を表明する機会もない。
ところで、昨日の朝日新聞夕刊(3月3日14面)に、驚くべき記事が載っていた。
佐賀県で自転車を蛇行運転させた知的障害者が、佐賀署員五人によって取り押さえられ、その直後に死亡。遺族が、取り押さえた際の暴行によって死亡したとして、警察官たちを刑事告訴するも、佐賀地検は不起訴。
しかし、その後の「付審判請求」を佐賀地裁が認め、署員一人を審判に付すとのこと。
この裁判では、裁判所が選んだ弁護士が、検察官役を務めるそうである。
付審判請求は、滅多に認められないそうだが、検察の判断をチェックするという意味で、有意義な制度だと思う。
検察への不当な介入は排除すべきだが、正当なチェック機構がないと、かえって国民が検察を信頼しなくなる。それは、司法への信頼失墜とほぼ同義だ。
検察の正義を、誰がチェックするのか?
それとも、する必要はないのか?
今回の事件を機に、議論を深めてみてはどうだろう。