3月12日午後の出来事、
午後2時53分、1号機原子炉への真水の注水が停止
午後3時36分、水素爆発
午後6時から、官邸が海水の注水について会議を開始
午後7時4分、海水の注水開始 (官邸は知らなかったと主張)
午後7時25分、東京電力本店と第一原発を結ぶテレビ会議で注水の中断を決定
午後7時55分、菅首相が海水の注水を指示
午後8時20分、東電に吉田所長名で注水再開の連絡
(Ref.:日本経済新聞Web刊2011/5/21 、YOMIURI ONLINE 2011年5月26日)。
5月26日の記者会見で、東電の武藤副社長は、吉田第一原発所長が午後7時25分の中断指示に従わず注水を続けたので、結果として中断はなかったと発表した。
しかし、東電が発表した3月12日の経緯には、不思議な点がいくつかある。
まず気になるのは、午後7時55分の首相指示を受けて、東電幹部の誰かが吉田所長に注水を再開するよう伝えたはずだが、誰がいつどういう形で連絡したのか、それについての情報がない。
東電本店は、テレビ会議の後、注水は中断されていると思っていたのだから、再開の指示は大きな出来事で、伝達した人物はそれを記憶しているはずだし、何らかの記録があってもおかしくない。
注水再開の指示は、東電にとって何ら不利な事実ではないので、情報が出てこないということは、誰も指示を出さなかったということだろうか。
だとすれば、当時、東電本店は、注水は中断せずに続けられているという認識を持っていたことになる。
また午後8時20分に、吉田所長から注水再開の連絡が文書で来たそうだが、これもおかしな話だ。
第一原発が修羅場と化している状態の中、わざわざ吉田所長名で「注水を再開した」という文書を作って、本店に送ってくるだろか。一本電話をすれば済むことだ。
ましてや、吉田所長は本店を欺いて注水を続けていたのだから、中断や再開に関して、本店宛に何かの記録を残すようなことを自発的にするとは思えない。
さらに、吉田所長が今になって本当の事を話した理由が「IAEAの視察が来るから」というのもピンとこない。現場監督の声というより、まるで幹部エリートの作文のようである。
これらの疑問を上手く説明できる仮説が一つある。
午後7時4分、すでに海水の注水を始めていた東電は、その頃、官邸が再臨界を懸念して会議を開いていることを知って慌てた。官邸の意見を聞かず注水したことを、後で、叱責されるかもしれない。
そこで、午後7時25分にテレビ会議が開かれ、すでに始まっていた注水の中断が話し合われた。しかし、はっきりとした結論は出ず、しばらく様子を見ることになり、吉田所長はそのまま注水を続けた。
午後7時55分に菅首相が注水を指示して、ようやく後追いの形だが、官邸のゴーサインが出た。ただ、困ったことが一つ。首相指示の一時間近く前から注水を始めていたことが発覚すると、菅首相の面目は丸つぶれになる。
そこで、菅首相の指示はちゃんと守りましたよ、という証拠を残すために、東電の誰かが吉田所長に一筆書かせた。海水の注水を開始したという旨の文書で、午後7時55分以降の時刻が入っている。
これが3月12日午後の出来事に対する仮説である。さらに、現在起っていることに対して仮説を続けると、
最近になって、午後7時4分の注水開始は、官邸の知るところとなった。そこで今度は、午後7時25分に行ったテレビ会議で、本店が指示を出して、現場に注水を中断させたことにした。官邸の意向は尊重しているというアピールである。
このとき、吉田所長の文書は中断していた注水を再開した証拠という新たな意味を与えられた。
ところが、中断という言葉が一人歩きを始める。菅首相が注水を中断させたという噂が流布して、国会で大きな問題となり、官邸が本腰を入れて調査に乗り出すに至った。ここにきて、ようやく東電幹部は、中断はなかったという事実を認めざるを得なくなった。
ただ中断なしを認めると、テレビ会議で中断を指示したという主張の信憑性が疑われてしまう。そこで、吉田所長が本店の指示に背いて注水を続けたというストーリーが登場した。
もちろん、これは単なる仮説に過ぎない。また、他の仮説を排除するものでもない。
しかし、この仮説を検証する方法はある。仮説が正しければ、午後8時20分の文書は官邸を意識したものであるので、「中断」や「再開」という文字はなく、「注水開始」とだけ書かれているはずである。そもそも官邸は、中断どころか、開始すら知らなかったのだから。
一方、もし「中断」や「再開」という言葉が出てくれば、注水は中断していたという認識が東電にあったことが示されるので、仮説は手直しを迫られる。その場合、なぜ吉田所長が本店にわざわざ文書を送ったのかが新たな疑問となる。
従って、この文書を調べれば、そのとき何が起っていたのか、推測する有力な手掛かりとなるだろう。
真実がどうだったかは別にしても、東電が中断していなかったものを、中断していたと発表し、国会での貴重な時間を浪費させたことは間違いない。この会社を存続させる意義が、ますます小さくなったことだけは確かである。
<関連ブログ>
問題は3月12日ではなく3月11日以前だ (2011/05/27)
仕事をしない斑目委員長 (2011/05/26)
東電「工程表」はあまりに無意味 (2011/05/18)
「収束」できない原発事故 ~ 「水素発生」への無為無策 (2011/05/04)
「収束」できない原発事故 ~ 「排水」が管理できない (2011/05/01)
まずは放射性汚染水の発生ルートを調査すべき (2011/04/27)
「水棺」というほど穏やかではない (2011/04/26)
「想定内の地震」で破損の可能性 (2011/04/21)
「除染」は放射性物質の「消去」ではない (2011/04/19)
東電「工程表」には「現場」という言葉がない (2011/04/18)
原発の見直しは不可避 (2011/03/30)
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午後7時25分、東京電力本店と第一原発を結ぶテレビ会議で注水の中断を決定
午後7時55分、菅首相が海水の注水を指示
午後8時20分、東電に吉田所長名で注水再開の連絡
(Ref.:日本経済新聞Web刊2011/5/21 、YOMIURI ONLINE 2011年5月26日)。
5月26日の記者会見で、東電の武藤副社長は、吉田第一原発所長が午後7時25分の中断指示に従わず注水を続けたので、結果として中断はなかったと発表した。
しかし、東電が発表した3月12日の経緯には、不思議な点がいくつかある。
まず気になるのは、午後7時55分の首相指示を受けて、東電幹部の誰かが吉田所長に注水を再開するよう伝えたはずだが、誰がいつどういう形で連絡したのか、それについての情報がない。
東電本店は、テレビ会議の後、注水は中断されていると思っていたのだから、再開の指示は大きな出来事で、伝達した人物はそれを記憶しているはずだし、何らかの記録があってもおかしくない。
注水再開の指示は、東電にとって何ら不利な事実ではないので、情報が出てこないということは、誰も指示を出さなかったということだろうか。
だとすれば、当時、東電本店は、注水は中断せずに続けられているという認識を持っていたことになる。
また午後8時20分に、吉田所長から注水再開の連絡が文書で来たそうだが、これもおかしな話だ。
第一原発が修羅場と化している状態の中、わざわざ吉田所長名で「注水を再開した」という文書を作って、本店に送ってくるだろか。一本電話をすれば済むことだ。
ましてや、吉田所長は本店を欺いて注水を続けていたのだから、中断や再開に関して、本店宛に何かの記録を残すようなことを自発的にするとは思えない。
さらに、吉田所長が今になって本当の事を話した理由が「IAEAの視察が来るから」というのもピンとこない。現場監督の声というより、まるで幹部エリートの作文のようである。
これらの疑問を上手く説明できる仮説が一つある。
午後7時4分、すでに海水の注水を始めていた東電は、その頃、官邸が再臨界を懸念して会議を開いていることを知って慌てた。官邸の意見を聞かず注水したことを、後で、叱責されるかもしれない。
そこで、午後7時25分にテレビ会議が開かれ、すでに始まっていた注水の中断が話し合われた。しかし、はっきりとした結論は出ず、しばらく様子を見ることになり、吉田所長はそのまま注水を続けた。
午後7時55分に菅首相が注水を指示して、ようやく後追いの形だが、官邸のゴーサインが出た。ただ、困ったことが一つ。首相指示の一時間近く前から注水を始めていたことが発覚すると、菅首相の面目は丸つぶれになる。
そこで、菅首相の指示はちゃんと守りましたよ、という証拠を残すために、東電の誰かが吉田所長に一筆書かせた。海水の注水を開始したという旨の文書で、午後7時55分以降の時刻が入っている。
これが3月12日午後の出来事に対する仮説である。さらに、現在起っていることに対して仮説を続けると、
最近になって、午後7時4分の注水開始は、官邸の知るところとなった。そこで今度は、午後7時25分に行ったテレビ会議で、本店が指示を出して、現場に注水を中断させたことにした。官邸の意向は尊重しているというアピールである。
このとき、吉田所長の文書は中断していた注水を再開した証拠という新たな意味を与えられた。
ところが、中断という言葉が一人歩きを始める。菅首相が注水を中断させたという噂が流布して、国会で大きな問題となり、官邸が本腰を入れて調査に乗り出すに至った。ここにきて、ようやく東電幹部は、中断はなかったという事実を認めざるを得なくなった。
ただ中断なしを認めると、テレビ会議で中断を指示したという主張の信憑性が疑われてしまう。そこで、吉田所長が本店の指示に背いて注水を続けたというストーリーが登場した。
もちろん、これは単なる仮説に過ぎない。また、他の仮説を排除するものでもない。
しかし、この仮説を検証する方法はある。仮説が正しければ、午後8時20分の文書は官邸を意識したものであるので、「中断」や「再開」という文字はなく、「注水開始」とだけ書かれているはずである。そもそも官邸は、中断どころか、開始すら知らなかったのだから。
一方、もし「中断」や「再開」という言葉が出てくれば、注水は中断していたという認識が東電にあったことが示されるので、仮説は手直しを迫られる。その場合、なぜ吉田所長が本店にわざわざ文書を送ったのかが新たな疑問となる。
従って、この文書を調べれば、そのとき何が起っていたのか、推測する有力な手掛かりとなるだろう。
真実がどうだったかは別にしても、東電が中断していなかったものを、中断していたと発表し、国会での貴重な時間を浪費させたことは間違いない。この会社を存続させる意義が、ますます小さくなったことだけは確かである。
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「除染」は放射性物質の「消去」ではない (2011/04/19)
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