ジャン・アレチボルトの冒険

ジャンルを問わず、思いついたことを、書いてみます。

問題は3月12日ではなく3月11日以前だ

2011-05-27 06:02:09 | 原発事故
海水を注入する行為は正しく、中断させようとしたことは誤り。

3月12日の海水注入に関して、「犯人さがし」をしている人たちが持っている共通認識である。

この認識が出てくるのは、福島第一原発1号機への海水注入は、原子炉が吹き飛ぶような再臨界を引き起こさなかったという事実を、5月27日現在の我々が知っているからである。

しかし、3月12日の時点で、燃料棒が露出して異常高温になっている原子炉に、天然海水を注入しても、絶対に再臨界は起らないと断言できる人はほとんどいなかったはずである。

従って、官邸や東電本社が海水注入を躊躇して、再臨界の可能性を検討したり、一時中断を指示するのは、責任者としてはむしろ自然なことである。

吉田原発所長が指示に背いて、結局、海水注入は中断しなかったと、東京電力が発表したため、「犯人さがし」も腰砕けに終わりそうだ。

誤った命令を指示した本部と、それに従わず正しい決定をした現場。

次は、そういう捉え方が流行するのかもしれないが、やはり未来にいて結果を知っている人々が、過去の人々の行動を神様よろしく裁いていることに変わりはない。

不思議なことに、ベントだ海水注入だと、3月12日という一日の責任を問う声は大きいが、この日を迎えざるを得なくした3月11日以前のことは、今のところあまり問題になっていない。

そこには、破滅的な事故を警告する声を踏みにじって、何十年にも渡って、ひたすら原発を推進し続けた人々が存在している。

全電源喪失などの過酷事故が起る可能性はゼロと決めつけて、コスト削減のため、原発の安全対策を意図的に怠ってきた行為こそ、もっとも強く批判されるべきだろう。

可能性は低くとも、破滅的な結果をもたらす再臨界を警戒して右往左往したことを、ここまで問題にするのは、批判の矛先をそらす方便としか思えない。

<関連ブログ>
仕事をしない斑目委員長 (2011/05/26)
東電「工程表」はあまりに無意味 (2011/05/18)
「収束」できない原発事故 ~ 「水素発生」への無為無策 (2011/05/04)
「収束」できない原発事故 ~ 「排水」が管理できない (2011/05/01)
まずは放射性汚染水の発生ルートを調査すべき (2011/04/27)
「水棺」というほど穏やかではない (2011/04/26)
「想定内の地震」で破損の可能性 (2011/04/21)
「除染」は放射性物質の「消去」ではない (2011/04/19)
東電「工程表」には「現場」という言葉がない (2011/04/18)
原発の見直しは不可避 (2011/03/30)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする