怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

4月5日  冊子寄贈に向けて1

2013-04-05 08:34:53 | 学校に対して
昨日4日は、静岡側いつもの3人の弔問を受けていた。
元静岡県教委課長→浜松市小学校長→退職、元小プロ東海事業所所長→定年、浜松青年の家所長→東京本社勤務と、
3人共立場が変わり、毎週土or日の弔問も平日可能になっている。
3月から月一の弔問になり、初めての1ヶ月振りの弔問であった。



私達の事故についての冊子の承諾を得るため、

冊子印刷前のUSBメモリーを、3/26海難審判時に元所長Dさんに小プロを代表し渡していた。


昨日早速、検閲し返却してもらった。   




豊橋市各小中学校図書室に、再発防止を願い寄贈を予定しているので、
小プロや静岡県教委について記載したページもあり、寄贈前に承認が欲しかった。

内容はOKだったが、さすが出版社?、 5章83ページにも渡る冊子をコピーし、細かく語句等編集されいた。







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第2章・・・誰も事故の真相を教えてくれない  
 

(1)豊橋市教育委員会の事故後の対応
・事実関係を教えてくれない

 事故後の豊橋市関係者(学校、市教委、市議会、市長など)の対応について、私たち遺族は当初から多くの疑問を持っていました。まただんだんと、「豊橋市が責任を認めたことを、この市は時間が経つと忘れてしまうのではないか。」と不安になりました。
そんな思いから、「どこに問題があったのか、学校はどう行動すべきだったのか、今どうしなければならないのか。」このようなことを事故の風化を防ぎながら、豊橋市関係者の方々に見つめ直してほしくて、この冊子を作りました。

 第2章では、豊橋市の事故後の対応と、私たち遺族の思いを述べさせていただきます。
 豊橋市教育委員会の事故後の対応を振りかえった時に、まず思い浮かべることは、「事実を知りたいのに、伝えてくれない」という思いです。
 学校の正課の授業として野外活動に行った娘が、二度と帰ることが出来なくなってしまった、何が起きてしまったのか、どうして花菜は亡くなったのか、事実を知りたい。親として当たり前の感情に、豊橋市教育委員会は積極的に応えてくれなかったというのが、当初私たちはずっと感じていたことです。そのうち、何か説明があるのだろうと混乱した頭の中で思っていました。
事故から4日経った6月22日に、市教育委員会は、章南中学校の保護者を集め説明会を開いたようです。くしくもその日は告別式ということもあったのか、保護者でなくなった私たちには、その開催連絡はありませんでした。
 毎月、月命日の18日前後に、市教育委員会教育長らが、焼香に来る時もただ「申し訳ない」の言葉を繰り返すだけでした。娘の死を受け入れられないままの私たちにとっては、喪服で順番に焼香を済ませる姿を見せられ、どう対応したらいいのか戸惑うばかりでした。事故の話になると、警察の取り調べ中を理由に、事実関係はあいまいのままにされ続けられました。
 ただ、後に知りましたが、教育長の私案として、事故から1週間後の6月25日に開かれた市議会の各会派を集めた全員協議会で、事故のあった6月18日を「豊橋命の日」構想を伝えています。毎年、安全管理に対する意識を再確認する日ということです。この私案の件は、直接教育長から7月ごろ伺いましたが、事故究明がされていないこの時期、素早い風化防止の取り組みに違和感を覚えました。
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静岡県教委にもUSBメモリーを渡し、豊橋市教育長にも冊子寄贈の意向は伝えている。



娘を奪われた私達の事実を、ありのままに冊子にしたが、

字面だけで学校や教育委員会批判として、捉えられてしまうのだろうか、、、