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怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

5月18日 花菜の涙A

2019-05-18 09:33:07 | 学校に対して
花菜は帝王切開で産みました。

いつも忙しく患者をみる先生が、エコー写真を見て考え込んでいる。
そして、先生の答えは「帝王切開しましょう」だった。

私は交替勤務で家にいる主人に電話した。
花菜の胎児の首にへその緒が巻きついて、15分しか持たないと言われ、すぐに車椅子の人に
なっていた。

そして主人が来てくれた。二人で考えている中に、帝王切開ができる先生がいなくて時間がかかった。

お腹の胎児は2500gはあるだろうと言われたが、実際には2020gだった。
私は帝王切開で取り出された瞬間、赤ちゃんを見た。

全身麻酔で夜の7時に気がついた。もうお腹には子供はいないと思い淋しい夜だった。

それで主人に子供が生まれたかどうか聞いた。
主人は未熟児センターで保育器の中の赤ちゃんを見せてくれた。

保育器はだんだん近くで見れるようになって来た。
毎日お乳を凍らせて持っていかなければいけなかった。

表にして、来ていおる妊婦さんを毎日来れる人とか、比べられていた。

花菜は、1ヶ月早く生まれてしまい、幼稚園に入る頃は普通の子と一緒の体重と身長になっていた。
私は花菜の誕生日が来るたびに、先生たちに救ってもらった命だと思った。


なのに、野外活動でこんなに簡単に命が取られてしまうとは思わなかった。

花菜は怖くて苦しかっただろうと思う。
私は章南中が許せない。


4月18日 引率教師は罪

2019-04-18 13:33:29 | 学校に対して
娘のカッターボートに乗っていたY先生は言った。

「生徒は泣いて漕げなかった」

それを聞いた私は先生の生徒に対する虐待だと思った。

同じボートに乗ったAちゃんは、ボートに滞留水が溜まっていたので、ざわついていた。

それでも先生は「黙って漕げ」と言った。

刑事裁判と海難審判を傍聴した私は、はっきり学校に娘を殺されたと思った。

海難審判でH弁護士は、先生たちの舵取りがダメだったと言った。

それで私は主人に頼んで、H弁護士のところに連れて行ってもらった。

私は娘の13歳の誕生日に「最高の言葉をありがとうございました」と言った。

8人の先生のうち6人は辞めたり異動願いを出していなくなってしまった。

8人の先生は、事故の原因を何にも言わない。

施設側と校長の話を鵜呑みにしたのはどういうことだろう。

自主艇で滞留水を掻き出さなかったのはどういうことだろうと、思った。

私は今も娘を学校に殺されたと思っている。

娘の夢も命も取られてしまって、苦しかっただろうなと今も思っている。

私は娘を学校に殺されたと思っている。

2月18日 ?の人たち

2019-02-18 19:37:56 | 学校に対して
娘の事故当時の話である。

市議会に事故のことを調べてもらえるように、署名活動で市民の皆さんにたくさん署名をもらって、市役所に持っていった。

市議のYから「そんなことしても無駄だ」と言われた。

結局、「趣旨採択」となった。

その市議がまた出てきて、「私のいった通りになったでしょ」と言ってきた。

主人に話を聞いていると、その時市議はカツラだった????? 今は落選していない。


地域のN市議は、私たちが困っているのに何もしてくれなかった。

地区のバーベキューの時、「困っていることがあればなんでもしますよ」と言っていたが、何もしてくれなかった。

彼の同級生によると、その当時、国会議員の座を狙っていて何も動けなかったらしい。

何年も彼のポスターが貼られている。農家の人ならその場所を貸すのはわかるけど、一般市民としてはこの地域の景観を悪くしているとしか思えない。

それがわからないだろうか?????

豊橋市長である。

民事裁判に持ち込んだ時、先生たちは正しかったと言っていた。

マスコミが事故のことを聞くと、すぐ怒り出す。

どんなに裁判が長引くかと心配していたら、あっという間に負けを認めた????????

この三人は、もちろん一回も弔問に来ない。

市議会の人で、何回も来てくれる人がいる。

参議院の議員さんも何回も弔問に来ていただいている。

彼女はよく国会で質問している。

三人は?????の人たちだ。

意味のわからないことしかやらない。

ただ一つはっきりしているのは、娘はもういないことだ。

12月23日 「菜の花キャンドル9」

2018-12-24 08:26:56 | 学校に対して
私はこの日が来るのが嫌だった。

去年はこの日に家に帰ってから泣いてしまった。

なんの後片付けもできない車いすの私が嫌だった。

公園の丘陵地で、暗闇の中、車いすが転倒すると大変だから何もできなかった。

・・・・・・・

日曜日の夜の「菜の花キャンドル」

同級生に「菜の花キャンドル」のお知らせを送ると、一部の女子からは「行けなくてごめん」と返信があった。
男子からは、何も返信がなかった。

それで今年も同級生は来ないのかと思った。

・・・・・・

去年も同級生は少なかった。

当日は主人は忙しそうに、追加でキャンドルを頼んでいたけど未だに届いていない。
だから菜の花キャンドルは嫌だった。

今年はどうかわからなくて主人が迎えに来るのを待っていた。

主人が5時に迎えにきた時、「男子が来てたぞ」
私はホッとした。

主人に現地に来るまで連れて行ってもらった時、マスコミの車の多さに驚いた。

そこにはたくさんのキャンドルが並んでいた。








同級生たちは、ちゃんと片付けをしていた。

よかったね花菜ちゃん。こんなきれいなキャンドル作ってもらったよ。


10月18日 先生たちはXです。

2018-10-18 20:13:42 | 学校に対して
怖かったね。苦しかったね。花菜ちゃん。

お父さんとお母さんの可愛い花菜ちゃん。大事な花菜ちゃん。




事故が起きたとき、私は早く図面を提出したのでテレビを見ていた。

そこには章南中が浜名湖で、事故にあったことが報道されていた。


行方不明者が一人いるという報道がされていた。


一番聞きたくない電話が細江署から送られてきた。

私はすぐに主人に電話した。

主人は章南中から全員無事と言われて、近所の人の車で現場に向かっていた。

私は花菜と同じボートに乗っていた保護者の人から、車で連れていってくれると言われていた。

でも、細江署から連絡を受けていた私は章南中に連れて行ってもらうようにした。

でも先生たちはなかなか来ない。

電話で何度も家の場所を伝えた。家の近所には花菜より一つ上の生徒たちが二人いた。

だから家庭訪問でうちの場所はすぐわかるはずだと思っていた。

でも1時間経っても先生たちはなかなか来なかった。

早く現場に行きたかった私は、主人が一人で待つことが不安だった。



その時の水野校長は、自己保身のように毎日弔問に来た。

30日で嫌になっていた私はもう対応しなかった。

弔問の終わりで校長は「私の人生で取り返しのつかないことをした」と必ず言っていた。

豊橋どころか愛知県に親戚もいない私は、49日の準備もなかなかできなかった。



卒業アルバムには花菜を載せてくれないという。
花菜がどうして卒業アルバムに載せないのか、事故の意味を載せて欲しかった。
卒業アルバムにマニュアルがあるみたいで、花菜は載せられないと言われた。
でも、主人がマスコミにその話をしてみんなが市教委のところに行ってくれて、花菜は卒業アルバムに掲載してもらった。


そして学校から、卒業アルバムのお金はいらないと言われた。

保護者でなくなった私だがお金は払いたかった。

無償でくれると言った章南中。

でも私たちの気持ちの真意は掴んでくれない。

事故から半年過ぎて、ようやく引率教員の意見が聞けるようになった。

二十数問の質問をあらかじめ紙に書いて渡した。

その答えを画板で構えて待っていた私。
引率教員を連れて来た校長からメモは取らないでくださいと言われた。


引率教員の8人のうち6人が移動で章南中からいなくなってしまった。


先生たちはもうボロボロだと教育長に言われた。
まるで花菜の死が悪いことのように。

再発防止のために何もしない章南中・・・・・・。





9月20日 山川先生が弔問に来た

2018-09-20 20:10:44 | 学校に対して
19日に市教委から電話があった。

「山川先生を連れて行きます」と、しっかりした口調でいわれた。

9月20日の弔問で、市教委が来た時、なんども、すっぽかされていたので、山川先生が来ることはあまり感じなかった。

教頭になった山川先生は自分からくると言ったそうだ。

そして、20日市教委が来た時に、教育長が守るように山川先生を座らせていた。



小学校の教員になった山川先生は若く見えた。

私の三重県の友人が、中学から、小学校の先生に移動した時、「小学校の先生は若くしてるよ」と言っていた。


8年来なかった先生を強い人に思っていて、心の中できつい山川先生のイメージを持っていた。

それが、自然と弔問されてあっけなく終わってしまった。


私は泣きそうな感じで、記者の人に「山川先生が来ない」とメールした。

主人が山川先生に手紙を書いた時、その手紙を読んだ山川先生はやはり来なかった。



あっけない終わり方だった。

心の中できつく感じていたのが、私だけだった。

泣いてマスコミの人にメールしたのが嘘のようだった。

最後に私は何に怒っていたのだろう。


娘と同じボートに乗っていた男の先生は辞めてしまうし、山川先生は来ないし。

不思議な体験だった。

教育長が最後に言った言葉。

「山川はまた来るとは限らないけど、私たちはまた来ます」

8年という長い時間がいつのまにか経っていた……



花菜に花火を

2018-07-22 07:42:19 | 学校に対して
光美・・・1ヶ月前

私・・・「花菜の花火をあげようよ」

その時は主人はびっくりしていたが、日にちが近づくにつれて、主人自らメモリアル花火を申し込んだ。



しばらくして、主催者から当日の確認の電話があった。

以前家族3人で桟敷席で見たことがあった。

主人・・・主催者に「車椅子はダメなのですか」と聞いていた。

車椅子がダメなのはわかっていたので、私は家で寂しい気持ちで主人の映像を待っていた。

車椅子で無理なことがいっぱいあるので、もう慣れていた。

私は難病の再発もあるので、行かない方が良いとも思った。

家からは花火も音も見えなかった。

ただひたすら主人の帰りと映像を待っていた。


主人が帰ってきた。

早速映像を見せてもらった。

(youtube より)
豊橋祇園花火大会 メモリアル花火 花菜の花火












花火は成人式と同じで、

嬉しくてとても悲しいイベントだった。


6月18日 命日

2018-06-19 14:04:02 | 学校に対して



6月18日には多くの方が来て、お花がたくさん花菜の前にそろいました。

1年前にお母さんと一緒に来た時に、Aちゃんにお願いしたことがありました。

「今度の学校いのちの日に、Aちゃんが章南中の先生の前でお話をして欲しいんです」

年が明けてメールでAちゃんに「あの時の話覚えてる?」と聞きました。

Aちゃんは「先生たちの前で話のは苦しいので記者さんの前で話す」と言ってくれました。

私はすぐ中日のI記者に連絡を取りました。

6月の日程を合わせて東京から来てくれました。

私はAちゃんが心療内科に通院していることを聞いていたので、ちょっと心配になりました。



私はAちゃんが来る前に私の絵本を読みました。それはAちゃんが傷つかないか気になっていたからです。

主人が「Aちゃんは自分の意思を言える子だよ」

Aちゃんは事故の時、ボートに閉じ込められてD氏に助けられた子です。

自分が低体温症にもかかわらず、「花菜ちゃんがいないよ」とみんなに訴えてくれた子です。

でもAちゃんが学校に戻ると、事故のことを拘っていて、こだわるAちゃんは異色の存在になりました。

学校は事故のことを口にするのは許さなかったのです。

I記者に取材される時が来ました。

I記者は事故のことを全部知っているので大丈夫だと思いました。

実際にAちゃんはしっかりと答えていました。




私はAちゃんのお母さんも来てくれていたので安心しました。

もしAちゃんがPTSDになったら大変だと心配していました。

Aちゃんが訴えることはI記者も知らないボートの転覆後の状況でした。

私も怖かったです。

でも、なぜか花菜が隣にいてその話をしてくれているようでした。

(大変だったんだよ・・・花菜)

ヴァイオリンの話。

6月18日の前に主人にNHKから連絡がありました。

「花菜のヴァイオリンを使って章南中で演奏することを(いのちの日)取材したい」

放送は6月18日に予定されていました。

6月18日はバタバタになりました。

しかも、大阪では地震で大変な状況がありました。

主人に「放送されるかなぁ」と私は聞きました。

そんな大変な時でもNHKは放送してくれました。




6月18日はいっぱいいろんなことがあった日でした。・・・・・ おわり














1月7日成人式(娘の生きた証を残したい)

2018-01-08 13:58:56 | 学校に対して


▲1月8日の新聞

12月の中旬に自治会長と副会長と成人式の担当の3人がみえた。

娘を成人式に呼んでくれるらしい。
遺影を持つ同級生を決めて、1月7日の朝遺影を取りに来てくれるらしい。

成人式のスケジュールを教えていただいた。
遺影の位置は目立たないところに置いてもらうようにした。

私は娘を成人式に呼んでもらうことに嬉しくなった。


成人式の前日に同級生が3人来るというメールをもらった。
彼らはもう小学校の頃の卒業式のダボダボの学生服を着た姿ではなかった。
しっかりと大人の姿になっていた。

▲思春期で事故を経験した3人からの贈り物


成人式の前はマスコミの取材が多かった。

当日朝、遺影を副会長が取りに来た。
▲娘の遺骨で作ったプレートも渡した。


以前は、マスコミには「遺影を取らないでください」とお願いしていた。
遺影が映って「かわいそうな子」と思われるのが嫌だったから。

娘はあの事故まで自分の青春を謳歌して、楽しく生活していたからだ。


当日主人が成人式に向かった。

晴れ着姿で重い遺影を持っていたため、いつでも受け取れるように同級生に配慮した。



当日は晴天だった。
娘の喜んでいる顔が見えるようだった


12月末に命日でヴァイオリンを演奏してくれた大竹さんが来てくれた。
花菜の練習途中の楽譜を演奏してくれた。
涙ながらに聴いている私たちに、「花菜さんもこれぐらい弾けるようになっていますよ」と言ってくれた。

ヴァイオリンケースにクマのぬいぐるみ


https://www.youtube.com/watch?v=Rj5VX8VOxdE
▲花菜の使っていたヴァイオリンを大竹さんが演奏してくれました。YouTube投稿しました。
kana's violin ヴィヴァルディ作曲 ヴァイオリン協奏曲イ短調作品3-6 第1楽章



能楽子ども教室で一緒だった生徒さんが、東京で花菜の仕舞扇で舞ってくれた。



娘の生きた証を残したい







2017年12月23日 菜の花キャンドル

2017-12-24 16:22:43 | 学校に対して


花菜ちゃん、今日も笑っていますか。

花菜ちゃんの大好きなお友達が集まってくれたよ。

よかったね。


お友達には私は「今年も集まってくれてありがとう」

「成人おめでとうございます。」と言った。


当日は車椅子の私を段差から上げてくれた。


主人はマスコミ対応に忙しいみたいです。
私はテントの中にいました。
そこには箸が落ちても笑う女子同級生たちの笑い声が聞こえます。
そして、私たちが持って行った西野カナのCDが聞こえます。




新聞記者の人から「同級生を見て悲しくなりませんか」と聞かれた。

「私は友達がよく弔問に来てくれるんで、そう感じていません」と答えた。


次は、娘の成人式です。

6月18日 先生は生徒を守らない

2017-06-19 07:37:24 | 学校に対して
娘の同級生から、
今年も校庭で植樹してもらったハナミズキの写真が、メールで送られた。



*****

3月8日
静岡検察庁から検察審査会より不起訴不服申立が認められた

校長への起訴の件だった

前の検事は遺族に味方になってくれるとは思えない人だったが

異動して信頼できそうな新しい検事になった

しかし、

彼は

「校長は起訴できない。

Ð氏の起訴でもう判決が出ているから」

と言われた。

がっくりしたが

99.9ぱセント勝てるとならないと

検察は起訴してくれないとテレビドラマデであったのと同じだった。


*****

6月18日

娘の同級生達が日曜日とあって

下宿先から職場から、

集まってくれた。

ラインで「行けなくてごめんなさい。」といれてくれる同級生もいた。

*****

この事故で

先生は生徒を守らない

と実感した。

主人は大学の教育学部の学生に娘の事故の話をしっているが

今は熱心に聞いてくれるが、


仕事について教師となったら生徒を守る先生になれるかわからない。

職場の空気にのまれないように祈る。

*****

主人と18日にドライブしたら、章南中で娘の描いた絵の旗がみえた。



*****


先生は生徒を守らなかった・・・・・。




12月23日  第4回菜の花キャンドル

2016-12-25 09:36:54 | 学校に対して
花菜ちゃん 今日も笑ってますか?

今日も華菜ちゃんの大好きなお友達が集まってくれるよ。

良かったね。




この言葉で始まる菜の花キャンドルの知らせ。

娘の名前で入れてもらったラインやメールで同級生に送った。




私は働いていたり、専門学校に通っていたり、大学生になっている同級生が集まってくれるか心配だった。

準備の時間に行った主人が車椅子の私を連れに来てもらった時、何人かの同級生が来てることを教えてもらい

安心した。

しかし、去年と同じく朝は晴れていたが、雨が降ってきた菜の花キャンドル。

私が到着すると

LEDの灯りが

すでに灯されていた。


風も強く寒かった。





同級生達は寒さの中キャンドルを作ってくれたのだ。



主人が始まりの挨拶をした。


「二十歳になる来年は、私たちがメインではなくて、君たちにこのキャンドルをやってほしい」


娘を追悼することは、二度と学校現場でこのような事故が起こらないことを訴えることにつながる。

このキャンドルの集いは多くの方に支援いただいた。


大学の先生に教師になる生徒さんのコメントをもらったりと・・・・。

*****






▲絵本を作った。二度と事故が起こらないように。


再捜査の申し入れ

2016-11-10 07:24:59 | 学校に対して
昨日、主人は静岡へ、弁護士二人と行った。









弁護士二人というとすごいが、娘の事故から7年近く、若かった弁護士も独立して事務所を構えている。

私は、今の主治医が少量だが免疫抑制剤の服用を勧めるので、大事を取って自宅待機をした。

11月10日の新聞に主人が静岡で記者会見したことが掲載されていたが、

今日の豊橋の新聞には掲載はなかった。静岡の記者は多く集まってくれたのに・・・

私には何もわからない。豊橋の人もそうだろう。


確立的に難しいといわれる、校長への不起訴不服申し立てが検察審査会に認められ、嬉しかった。

プロではない審査会の人に認められたのだ。

校長に過失があると。


津波で多くの生徒が犠牲になった宮城県の大川小学校。


先生は生徒を守らない。

今日の新聞に遺族が、涙ながらに控訴した市と県に控訴したことを報じていた。


その姿 立派だと思う。

裁判で、この痛ましい事故を


二度と起こさない事を残してほしい。


それが亡くなった生徒のため、多くの人のためになるから。

9月26日  生きた証を残したい

2016-09-26 07:27:54 | 学校に対して

娘の生きた証を残したい

そして同じような事故をなくしたい



*****
昨日もそして今日も、働いている同級生は、後日も娘の誕生日にわが家に来る予約を入れてくれている。

事故が起き、私は彼女らが月命日もわが家に来てくれると思っていた。

しかし彼女らにとっては自分が選んだ誕生日が一番だった。

決して事故が起きた日ではなく・・・

命日は、多くの大人が来た。
▲命日に届いた花


*****
事故が起き、学校は死んだ娘よりも残った同級生のケアに大変だった。

娘の死を匂わすことを、極力避けていた。

寄贈した文庫の上に事故のことを記したプレートを設置して欲しいとお願いした時も、

彼らが卒業するまで校長室の生徒の目にふれる場には置けない と言われた。





同級生の心のケアと言われると強くお願いできない・・・


*****

次に浜名湖で開催されていた娘を弔うイベント「菜の花キャンドル」を中学のグランドで開催してほしい とお願いした。

しかし、

その時の校長からは

「地域の自治会に認めてもらわないと」

「浜名湖のイベントに行けない同級生に、近くなったといって参加できる訳がない。」

と断られてしまった。



同級生達にメールして近くの公園なら参加してもらえるかときいた。

「この日だったら部活も終わっているし大丈夫」

と力強い答えが帰ってきた。


▼菜の花キャンドル




*****

次に娘のことをを書いた絵本を作った。





娘が生きた証になりますようにと。

二度とこのような事故が起きませんようにと。


*****


学校が起こした事故。

私は在校生ではなく、先生達に事故のプレートを見てもらいたい。



教師の起こした生徒の命を
ないがしろにした事故だから

6月19日 親がしなくてはいけないこと

2016-06-19 07:25:30 | 学校に対して

18日は悲しみの日ではなくて


学校への 怒りの日

*****



昨日18日は、土曜日ということもあって娘の同級生の弔問で哀しみを感じている暇もなかった。

大学生になった子、専門学校に行ってる子。

少し彼らの幸せに充てられている自分がいる。


事故のことはできるだけ考えないようにしているが、


告別式に見た白い夏の制服の彼らを忘れることが出来ない・・・


席には肩書きのある人たちの紙が置いてあった。

スーツの黒い集団を思っていた私。

主人が「子供を座らせろ!」と言って、大人は後ろに立っていたらしい。

*****

この6年、ずっと親が娘の命を無駄にしないようにいろいろな事をしてきた。

   

  

*****  

弔問に来た
娘の同級生達が「7時に来る同級生がいるけど、大丈夫?」と聞いてくれた。

「いいよ」と答えた私。

それから主人と食事をして

19時半に弔問に来てくれたのは、働きだした男子だった。


大人と会話しているような男子との時間。

友達の、しかも女子の親と話すのに抵抗はないのかな?と心配する私。


話は年末の菜の花キャンドルにまで及んだ。

去年の菜の花キャンドルも出席してくれたみたいだった。(入院していた私には分からなかったが・)

弔問が終わると、男子は仕事に戻っていった。

*****

いつか彼らにも娘の事故の意味が分かるだろう。

大人の先生達が起こした事故だと。

娘の夢だけでなく命も奪った事故。