怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

6月6日  引率教諭の声が聞きたい <第3回公判>

2015-06-06 07:10:27 | 学校に対して
昨日は5月にはなかった公判があった。

裁判官も1人から3人になっていて、最後に新しく加わった女性の裁判官は涙しているようにみえた。


前回と同様 検事の電話で30分早く来るように言われていた。

控室に通されたた主人と私は、検事がまた大きな風呂敷に裁判官に提出する調書を包んでいるのを見た。

裁判所に調書をコピーしてもらったことを告げる主人。




▲厚さ14㎝、4万2,000円のコピーの半分


同級生の供述調書は、曳航されすぐ転覆した事故の様子がよくわかるという検事。


そして主人は、検事に娘の死体検案書ではなく解剖記録が欲しいと・・親にとって一番辛い書類を頼んでいた。




遺族が裁判で聞いて欲しい事を箇条書きでいいから書いて教えて欲しいと言われ、5月11日に検事が我が家に来た。

その際 検事は起訴したD氏のH弁護士の海難審判の考えに違和感を持っていた。

そしてH弁護士もこれから証人尋問で出廷する渋川の小プロの施設のボートの専門家も、小プロの息がかかった人間だとはきすてた。


6月5日の公判に引率教諭で娘のボートの舵を操作したK先生の証人尋問があるとき、

自分達がおこした事故なのに弔問にも来ない引率教諭をおもい、

ようやく引率教諭のひとりに事故の真実がきける。


海の事故の裁判である海難審判以来、K先生の姿を見るのはK先生が中学を辞めて、久々だった。

静岡大学で教育を学ぶ学生と先生10人が白いカッターシャツの正装で傍聴しているのに比べ、K先生はGパンだった。

海難審判でH弁護士が怒りで涙をみせるほどまともに答弁しなかたK先生。

裁判までに検事にあった回数を2回と答えたK先生の答弁は、自分を守ろうする海難審判の時よりまともだった。


しかし、

生徒ひとりの命が失われているのに、事故後なんの事故の検証も講じなっかた学校の姿勢を話すのは同じだった。


裁判が終わったあと外は娘の涙雨と思われる雨が降っていた。

多くの静岡のマスコミの取材に答えて車に戻った主人の一声は

  

          「花菜は学校に殺された。」




中日新聞 社会面

「学校で訓練はせず」
元担任が公判で証言
浜名湖転覆事故

2010年に浜名湖で野外活動中のボートが転覆し愛知県豊橋市の中学1年西野花菜=当時(12)=が死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われた宿泊研修施設の元校長、檀野清司被告(57)の裁判で5日、ボートに同乗していた元担任男性教諭が証人として出廷し、「檀野被告から具体的な指示がなく、不安になった」と証言した。
 西野さんや元教諭ら20人が乗ったボートは荒天で動けなくなり、檀野被告が救助艇でえい航中に転覆した。転覆前に船内の水をかき出さず、無線で施設側に連絡を取らなかった理由を弁護士側などが尋ねると、元教諭は「えい航の速度が速く恐怖を感じ、冷静な判断ができなかった」と話した。
 元教諭は「学校で事前に事故を想定した訓練はなかった」とも説明。施設に安全管理を委ねており、事故後も教諭らで原因を分析しなかったと明かした。西野さんの父友章さん(56)は公判後、「安全対策は施設任せで学校側は何も反省していない。花菜は殺されたようなものだ」と話した。



*****
1ヶ月に1回のペースだと思っていた公判だが、次は6月17日と告げられた。

なんと花菜の命日の1日前・・・

そして今後の公判に、

校長が出廷するという。

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1 コメント

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絶対に赦さない (怒れる市民の会)
2015-06-17 11:51:43

あの日の海は荒れ狂い【地元漁師でさえ陸に上がり近づかなかった】

現場の最高責任者「水野克○」あいつを絶対に赦さない。自分の娘が同じ目にあったと考えるだけで容易に辛さがわかる。


水野自身が豊橋市東部中学で社会科の授業中に『突然俺は赤だ!』と語った。生徒は「ポカーンとしていたらしい。」利発な女子生徒から報告を受けた。


私は直接抗議したら、水野教諭が謝ってきた。メモ用紙で。

(いまだに保存して有ります)

私は,この書き込みに責任を持ちます。


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