人として生きる 丁字村ブログ

この時代に 人の温もりを感じて感謝できる生き方って どんな立場であろうと同じです。幸せになるためには考え方が大切です。

「伝説に一歩近付いた」、ボルトが100連覇で不安説一蹴

2012年08月06日 18時21分26秒 | Weblog
さすがですね!
日本も、個人は苦戦してますが、団体は頑張ってます。
卓球・水泳・フェンシング・サッカーなどなど・・・
日本人らしい協調性・団結力・使命感
たくさん群れれば、団結できるわけじゃない。
群れることによって、最初は団結しているように見えてもかえって収集がつかないことも多い。
要は、そこに集まった一人一人が、どれだけ自立しているか。
他に依存しすぎずに、自分の力を発揮する気持ちがあるか。そこに、団結パワーが生まれるかどうかの鍵がある。
誰かの力を借りたい時に、たくさんの人を集めようとするよりも、まず、自立した人を探した方がいい。
実は、これが一番難しい。それは、自分が自立していないと、自立した人間に出会えないから。
もちろん、自立すればするほど、たくさんの人に頼られる可能性あり。その中から、自立した波長をもつ人を感じるためには、「自分」が必要。
依存したり、寄り添う気持ちが強すぎると、きっと別の者と強く結びついちゃう。
そんなふうに群れれば、結局は、人を高めるパワーよりも、落とし入れるパワーが強まったりする。
集まった時には、その時を大切に。孤独の時にも、その時を大切に。


国会の暴れん坊

2012年08月06日 07時08分55秒 | Weblog
「ハマコー」の愛称で親しまれた元自民党衆院議員の浜田幸一氏が5日午前、自宅で死去したことが分かった。83歳。

印象深い人でした。
・・・らしさのある生き方。
これまで、私は生きてきたか?っていうところを考えると、だいたいは、自分らしい生き方って何?ってなことを考えさせられる。
若い人は、好きなことをする道を探し、そこを通り過ぎた人は、まわりから評価される道を探す。
探して生きていくなかで、有名になれるか、大きなことができるか、人と違うことができるかは、結局のところ、分からない。
何によって、「自分の人生を生きたか」を測れるかどうかでさえ本当は分からない。
今をすべて投げ捨てて、新しい人生を切り開くことが「私は生きた」と言える時もあれば、
ただの逃げであって、そう言えない時もあるだろう。
まわりからの評価が高くても、いくら有名になっても、大きなことを成し遂げても、本人が「私は生きた」と思えるかどうかは知れない。
きっと、人生には「本体」の部分と「おまけ」の部分があって、どっちもいいものに違いないけど、
人生の場合は、「本体」を失ったら、「おまけ」の意味もなくなるんでしょう。