村松真理子著『謎と暗号で読み解く ダンテ「神曲」』読書ノート
地獄編
ダンテの『神曲』は、専門家の解説書なしにはとても読めるものではない。おそらく、そのグロテスクさえも読み解けないであろう。おそらく「謎」ということさえもわからないままで終わってしまうのではないだろうか。いや、勿論最後まで読めたとしての話しだが。何しろ700~800年前に書かれたということもあるし、表現自体が何が何を象徴しているのか、暗号化されているのかも解らないであろう。ともかく、この書が書かれて以後、700年間、いろいろな人がこの書について解読し、論じ、絵画化して来ている。それらを読むだけでも大変だろうし、邦訳にしても何種類もある。私はそれらをほとんど読んでいないので、どの本が優れた解説書なのかも分からないが、ただ一つ言えることは村松真理子さんのこの本はとてもわかり易く、親切だということである。
この書の内容について、私が感想などまったく無意味であろう。むしろ読みながら思い出したこと。香港やシンガポールなど観光地には古い中国の仏教関係の施設が見られる。そこには原色でゴテゴテと彩られた地獄の風景などが展示されているが、それらはいかにも地獄の凄まじさを造形化しているのだろうが、どこかマンガじみたところがあって、迫力に欠けている。その点では、昨年、山口市立美術館で開催された「幕末の鬼才狩野一信の五百羅漢図」を見た時の圧倒的な迫力には到底及ばない。
ダンテの『神曲』は詩集である。言葉で綴られた地獄図である。色々な画家がこれを読み、どれだけ創作意欲を刺激されたことか、想像に難くない。しかし原書は詩文である。極度にまで整えられた詩型によって描かれた異常世界である。この詩型の美しさと描かれている内容のグロテスクさの落差が、読者のバランス感覚を失わせ、イマジネーションを刺激する(勿論、解説付きで)。
煉獄篇
英国における宗教改革、つまり英国教会の成立史を見ていると、プロテスタントになったりカトリックになったりしている。その違いの決定的な指標は何か。自ら宗教改革のきっかけとなり、宗教改革を推し進めたヘンリー8世は、自ら英国教会の主張となったが、それにもかかわらず、「奇妙にも」カトリック教徒として死んだと言われる(チャップマン『聖公会物語』43頁)。その理由は「彼は、自分の魂のために祈るように貧しい者に668ポンドを残したとされる。彼にとっては煉獄は廃止されていなかったのである。プロテスタントとカトリックとを区別する具体的な徴は突き詰めていうと煉獄の存在を信じているのか信じていないのかという点にある。
そこでその「煉獄とは何か」。プロテスタントの立場からは、煉獄は存在しないということで簡単に片付けられているが、それほど単純なものではない。
13世紀半ばころまでのキリスト教信仰においては、死後の世界について「天国」と「地獄」の2つしか存在しない。俗な言い方をすると人間は死んだら天国に行くのか地獄に行くのか、言い換えると、最後の審判において「救われる」か「救われない」か、二つに一つであった。その意味では、第3の可能性としての「煉獄」を否定したプロテスタント神学は13世紀以前の神学に直結している。ルターの宗教改革においては「免罪符」という煉獄思想に基づく歪んだ献金集めを排除することによって煉獄の思想そのものまで排除してしまった。まさに産湯と一緒に赤子を流すという愚を犯してしまったかのようである。
13世紀以前のキリスト教信仰によれば、生前、教会の定める「7つの大罪」に当たるような非常に深刻な罪を犯した者には「地獄」に落とされ、永遠に地獄で「罰」を受けて苦しみ続けるのことになる。しかし、生前に善行を積み、神に祝福された者の魂は「天国」に行くとされた。そこで問題が残る。罪を犯したが改悛した死者の魂はどこに行くのか。そこで考えだされたのが「二項対立的な死後の世界」に対して第三の場所の存在である。そこでは一つ一つの罪を悔い改め赦しを得るための一時的に滞在する場所、つまり「浄化の場所」が信じられるようになった。それが「プルガトーリオ(Purgatorio)」つまり「浄化する場所」である。日本語訳では「煉獄」という言葉が当てはめられている。
カトリック教会の伝承では、聖書的根拠として1コリント3:13~15、1ペトロ1:7等が挙げられている。またマタイ12:32も「ある罪はこの世で、他のある罪はあの世で赦される」という言葉の解釈によって煉獄の存在の根拠とされる。つまり煉獄は天国と地獄という決定的な場所に対する一種の執行猶予の場所である。その意味では、この世と近い。従って煉獄にいる死者に対する助命運動がは有効であるとされた。カトリック教会の礼拝では聖母マリアを始めとする諸聖人たちの執り成しの祈りが重要な要素となっている。
煉獄という思想を排除してしまったプロテスタンティズムの問題は、たとえばカルヴィニズムの予定説のように「救われる人間」と「救われない人間」とが決定的に定められているという思想として現れたり、あるいはルター派のように人間の修行とか善行とか努力を軽視し「信仰のみ」という形で現れる。そこでは罪というものについての細かい分析や分類、あるいは軽重というものがほとんど無視され、十把一絡げに人間は全て罪人であるとされ、罪の具象性が抽象化され観念となる。罪が観念化される時、恵みも観念化する。
地獄と天国についてのイメージはカトリシズムにおいてもプロテスタンティズムにおいてそう変わらない。地獄編に見られる地獄図はキリスト教以外の諸宗教とそれほど異なるものとは思えない。天国にせよ、地獄せよ、あるいは煉獄にせよ、一応「死後の世界」ではあるが、現在私たちが考えるほど、「この世」と「あの世」とが峻別されているわけではなく、密接に関係している。特に煉獄については明確に「死後の世界」とは言い切れない雰囲気がある。
煉獄は山としてイメージされているが、その頂上は「地上の楽園」であり、堕落以前のアダムの姿が見える。地獄へと運命づけられている以外の人間、それがほとんどの人間であるが、彼らは死ぬと煉獄に至り、生前に犯した罪に相応しい場所に置かれる。そこで罪に対応する罰を受け、罪が浄化され、一つ一つの関門を通り、上昇し、頂上に至る。
主人公ダンテはかつての恋人ベアトリーチェに導かれて煉獄の山を登る。そして各階層でそこで浄められている途上にある人々と出会う。
もう少し具体的に煉獄の構造を見ると、次のようになっている。煉獄山の麓には2つの台地がある。最も罪の重い者はここから始まる。ここから始めるのは、教会から破門された者、もう一つは、信仰生活をサボって臨終の際にやっと悔い改めた者である。
煉獄山の入口には「ペトロの門」があり、門の前には「懺悔」「告解」「償い」を意味する3段の石段があり、そこを通って、煉獄の中に入る。煉獄山は「7つの大罪」を示す7層からなり、それぞれそこで浄められたら赦しの印が与えられる。そこで浄められる7つの大罪とは最も重い罪が「高慢」、次がな「嫉妬」、「憤怒」、「怠惰」、「貪欲」、「暴飲暴食」、最も軽い罪が「淫乱」であると。これらの関所を通過して山頂に至る。そこは天国に最も近い地上の楽園である。ここに描かれている罪のリストはダンテの時代の罪意識を反映していのであろう。
カトリック神学は13世紀にトマス・アクイナス(1225年頃~1274年)によって完成されるが、ダンテが『神曲』を書いたのはその半世紀ほど後の1304~1308年頃とされる。おそらく、その頃から托鉢修道僧たちの説教運動によって、地獄、煉獄、天国の思想が広められ、いろいろな形で展開していたのであろう。それらの雑多な煉獄イメージをダンテが一つにまとめあげたのが『神曲」であろうと思われる。
正直に言って、煉獄の思想は私には違和感がある。しかし視点を変えて、では現代人は天国とか地獄という思想を全く払拭しているのだろうか。天国とか地獄というイメージが私たちの潜在意識の何処かに潜んでいるとしたら、煉獄思想もそれほど奇異な思想ではないであろう。死後の世界についてのイメージの前提には「魂は肉体は死んでも不死である」という思想があり、それらは3つの世界に共通するものである。
著者の村松真理子氏はは「煉獄の魂は絶望していない。彼らには常に希望がある」(179頁)と言う。『神曲』を読んで、煉獄というものを考えると、これは一種の救済論ではないだろうか。というより、救済論として読み直すと面白いと思う。
最後に「天国篇」についての感想は、次の2つの聖書の引用に代える。
イザヤ書6:1~10
わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」
この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。わたしは言った。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたのであなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」
主は言われた。「行け、この民に言うがよいよく聞け、しかし理解するなよく見よ、しかし悟るな、と。この民の心をかたくなにし耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなくその心で理解することなく悔い改めていやされることのないために。」
ヨハネ黙示録21:22~22:5
わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。
天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。
読了後の感想
村松さんの本を読み終え、何となく清々しい気分に浸っている。一つの本の「解説書」でこの清々しさとは何であろうか。思うに、本文、第1部「謎の詩人ダンテ」、第2部「暗号に充ちた『神曲』」、第3部「地獄の魂たち」、第4部「煉獄の希望」、第5部「天国の幸福」、それぞれが素晴らしい内容で、著者ダンテの問題意識や詩作の心がよく伝わってくる。しかし、それら以上に第6部「ダンテ『神曲』のこれから」の部分が他では得られない清々しさを与えてくれる。現在でも生きている『神曲』の秘密が明らかにされ、特にラテン語という権威ある言語に対する「俗語」としてのイタリア語の成り立ちが語られる部分が、私には非常に新鮮で、言語というものについての新しい刺激となっている。それが、どうやら清々しさの秘密であるように思う。
一つだけ疑問が残っている。『神曲』の原書名はイタリア語で「 La Divina Commedia 」で、英語的には「 the divine comedy 」である。ダンテ自身は単に「 Commedia 」と題したとのことであるが、日本語に直訳すると「神聖喜劇」である。なぜ、これがコメディ(喜劇)なのか。本来なら「悲劇」と題するのが相応しい「人間悲劇」を「神聖喜劇」と読み替えるところに詩人としての言語感覚があるのであろう。しかも、この書名を『神曲』としたのは、森鴎外だと言われているが、その場合の「曲」とは何を意味するのだろうか。
地獄編
ダンテの『神曲』は、専門家の解説書なしにはとても読めるものではない。おそらく、そのグロテスクさえも読み解けないであろう。おそらく「謎」ということさえもわからないままで終わってしまうのではないだろうか。いや、勿論最後まで読めたとしての話しだが。何しろ700~800年前に書かれたということもあるし、表現自体が何が何を象徴しているのか、暗号化されているのかも解らないであろう。ともかく、この書が書かれて以後、700年間、いろいろな人がこの書について解読し、論じ、絵画化して来ている。それらを読むだけでも大変だろうし、邦訳にしても何種類もある。私はそれらをほとんど読んでいないので、どの本が優れた解説書なのかも分からないが、ただ一つ言えることは村松真理子さんのこの本はとてもわかり易く、親切だということである。
この書の内容について、私が感想などまったく無意味であろう。むしろ読みながら思い出したこと。香港やシンガポールなど観光地には古い中国の仏教関係の施設が見られる。そこには原色でゴテゴテと彩られた地獄の風景などが展示されているが、それらはいかにも地獄の凄まじさを造形化しているのだろうが、どこかマンガじみたところがあって、迫力に欠けている。その点では、昨年、山口市立美術館で開催された「幕末の鬼才狩野一信の五百羅漢図」を見た時の圧倒的な迫力には到底及ばない。
ダンテの『神曲』は詩集である。言葉で綴られた地獄図である。色々な画家がこれを読み、どれだけ創作意欲を刺激されたことか、想像に難くない。しかし原書は詩文である。極度にまで整えられた詩型によって描かれた異常世界である。この詩型の美しさと描かれている内容のグロテスクさの落差が、読者のバランス感覚を失わせ、イマジネーションを刺激する(勿論、解説付きで)。
煉獄篇
英国における宗教改革、つまり英国教会の成立史を見ていると、プロテスタントになったりカトリックになったりしている。その違いの決定的な指標は何か。自ら宗教改革のきっかけとなり、宗教改革を推し進めたヘンリー8世は、自ら英国教会の主張となったが、それにもかかわらず、「奇妙にも」カトリック教徒として死んだと言われる(チャップマン『聖公会物語』43頁)。その理由は「彼は、自分の魂のために祈るように貧しい者に668ポンドを残したとされる。彼にとっては煉獄は廃止されていなかったのである。プロテスタントとカトリックとを区別する具体的な徴は突き詰めていうと煉獄の存在を信じているのか信じていないのかという点にある。
そこでその「煉獄とは何か」。プロテスタントの立場からは、煉獄は存在しないということで簡単に片付けられているが、それほど単純なものではない。
13世紀半ばころまでのキリスト教信仰においては、死後の世界について「天国」と「地獄」の2つしか存在しない。俗な言い方をすると人間は死んだら天国に行くのか地獄に行くのか、言い換えると、最後の審判において「救われる」か「救われない」か、二つに一つであった。その意味では、第3の可能性としての「煉獄」を否定したプロテスタント神学は13世紀以前の神学に直結している。ルターの宗教改革においては「免罪符」という煉獄思想に基づく歪んだ献金集めを排除することによって煉獄の思想そのものまで排除してしまった。まさに産湯と一緒に赤子を流すという愚を犯してしまったかのようである。
13世紀以前のキリスト教信仰によれば、生前、教会の定める「7つの大罪」に当たるような非常に深刻な罪を犯した者には「地獄」に落とされ、永遠に地獄で「罰」を受けて苦しみ続けるのことになる。しかし、生前に善行を積み、神に祝福された者の魂は「天国」に行くとされた。そこで問題が残る。罪を犯したが改悛した死者の魂はどこに行くのか。そこで考えだされたのが「二項対立的な死後の世界」に対して第三の場所の存在である。そこでは一つ一つの罪を悔い改め赦しを得るための一時的に滞在する場所、つまり「浄化の場所」が信じられるようになった。それが「プルガトーリオ(Purgatorio)」つまり「浄化する場所」である。日本語訳では「煉獄」という言葉が当てはめられている。
カトリック教会の伝承では、聖書的根拠として1コリント3:13~15、1ペトロ1:7等が挙げられている。またマタイ12:32も「ある罪はこの世で、他のある罪はあの世で赦される」という言葉の解釈によって煉獄の存在の根拠とされる。つまり煉獄は天国と地獄という決定的な場所に対する一種の執行猶予の場所である。その意味では、この世と近い。従って煉獄にいる死者に対する助命運動がは有効であるとされた。カトリック教会の礼拝では聖母マリアを始めとする諸聖人たちの執り成しの祈りが重要な要素となっている。
煉獄という思想を排除してしまったプロテスタンティズムの問題は、たとえばカルヴィニズムの予定説のように「救われる人間」と「救われない人間」とが決定的に定められているという思想として現れたり、あるいはルター派のように人間の修行とか善行とか努力を軽視し「信仰のみ」という形で現れる。そこでは罪というものについての細かい分析や分類、あるいは軽重というものがほとんど無視され、十把一絡げに人間は全て罪人であるとされ、罪の具象性が抽象化され観念となる。罪が観念化される時、恵みも観念化する。
地獄と天国についてのイメージはカトリシズムにおいてもプロテスタンティズムにおいてそう変わらない。地獄編に見られる地獄図はキリスト教以外の諸宗教とそれほど異なるものとは思えない。天国にせよ、地獄せよ、あるいは煉獄にせよ、一応「死後の世界」ではあるが、現在私たちが考えるほど、「この世」と「あの世」とが峻別されているわけではなく、密接に関係している。特に煉獄については明確に「死後の世界」とは言い切れない雰囲気がある。
煉獄は山としてイメージされているが、その頂上は「地上の楽園」であり、堕落以前のアダムの姿が見える。地獄へと運命づけられている以外の人間、それがほとんどの人間であるが、彼らは死ぬと煉獄に至り、生前に犯した罪に相応しい場所に置かれる。そこで罪に対応する罰を受け、罪が浄化され、一つ一つの関門を通り、上昇し、頂上に至る。
主人公ダンテはかつての恋人ベアトリーチェに導かれて煉獄の山を登る。そして各階層でそこで浄められている途上にある人々と出会う。
もう少し具体的に煉獄の構造を見ると、次のようになっている。煉獄山の麓には2つの台地がある。最も罪の重い者はここから始まる。ここから始めるのは、教会から破門された者、もう一つは、信仰生活をサボって臨終の際にやっと悔い改めた者である。
煉獄山の入口には「ペトロの門」があり、門の前には「懺悔」「告解」「償い」を意味する3段の石段があり、そこを通って、煉獄の中に入る。煉獄山は「7つの大罪」を示す7層からなり、それぞれそこで浄められたら赦しの印が与えられる。そこで浄められる7つの大罪とは最も重い罪が「高慢」、次がな「嫉妬」、「憤怒」、「怠惰」、「貪欲」、「暴飲暴食」、最も軽い罪が「淫乱」であると。これらの関所を通過して山頂に至る。そこは天国に最も近い地上の楽園である。ここに描かれている罪のリストはダンテの時代の罪意識を反映していのであろう。
カトリック神学は13世紀にトマス・アクイナス(1225年頃~1274年)によって完成されるが、ダンテが『神曲』を書いたのはその半世紀ほど後の1304~1308年頃とされる。おそらく、その頃から托鉢修道僧たちの説教運動によって、地獄、煉獄、天国の思想が広められ、いろいろな形で展開していたのであろう。それらの雑多な煉獄イメージをダンテが一つにまとめあげたのが『神曲」であろうと思われる。
正直に言って、煉獄の思想は私には違和感がある。しかし視点を変えて、では現代人は天国とか地獄という思想を全く払拭しているのだろうか。天国とか地獄というイメージが私たちの潜在意識の何処かに潜んでいるとしたら、煉獄思想もそれほど奇異な思想ではないであろう。死後の世界についてのイメージの前提には「魂は肉体は死んでも不死である」という思想があり、それらは3つの世界に共通するものである。
著者の村松真理子氏はは「煉獄の魂は絶望していない。彼らには常に希望がある」(179頁)と言う。『神曲』を読んで、煉獄というものを考えると、これは一種の救済論ではないだろうか。というより、救済論として読み直すと面白いと思う。
最後に「天国篇」についての感想は、次の2つの聖書の引用に代える。
イザヤ書6:1~10
わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」
この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。わたしは言った。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたのであなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」
主は言われた。「行け、この民に言うがよいよく聞け、しかし理解するなよく見よ、しかし悟るな、と。この民の心をかたくなにし耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなくその心で理解することなく悔い改めていやされることのないために。」
ヨハネ黙示録21:22~22:5
わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。
天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。
読了後の感想
村松さんの本を読み終え、何となく清々しい気分に浸っている。一つの本の「解説書」でこの清々しさとは何であろうか。思うに、本文、第1部「謎の詩人ダンテ」、第2部「暗号に充ちた『神曲』」、第3部「地獄の魂たち」、第4部「煉獄の希望」、第5部「天国の幸福」、それぞれが素晴らしい内容で、著者ダンテの問題意識や詩作の心がよく伝わってくる。しかし、それら以上に第6部「ダンテ『神曲』のこれから」の部分が他では得られない清々しさを与えてくれる。現在でも生きている『神曲』の秘密が明らかにされ、特にラテン語という権威ある言語に対する「俗語」としてのイタリア語の成り立ちが語られる部分が、私には非常に新鮮で、言語というものについての新しい刺激となっている。それが、どうやら清々しさの秘密であるように思う。
一つだけ疑問が残っている。『神曲』の原書名はイタリア語で「 La Divina Commedia 」で、英語的には「 the divine comedy 」である。ダンテ自身は単に「 Commedia 」と題したとのことであるが、日本語に直訳すると「神聖喜劇」である。なぜ、これがコメディ(喜劇)なのか。本来なら「悲劇」と題するのが相応しい「人間悲劇」を「神聖喜劇」と読み替えるところに詩人としての言語感覚があるのであろう。しかも、この書名を『神曲』としたのは、森鴎外だと言われているが、その場合の「曲」とは何を意味するのだろうか。