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反転の思想  菅野覚明『神道の逆襲』(講談社現代新書)

2013-09-02 12:47:10 | 雑文
反転の思想  菅野覚明『神道の逆襲』(講談社現代新書)
昨日の説教で「反転の思想」に触れました。ルカ福音書16章の「金持ちとラザロ」の譬えでは、毎日贅沢に遊び暮らしている金持ちとその家の前に横たわっている貧しいラザロとの関係が日常性と世界として描かれ、死後の世界においてはアブラハムと共に宴席に着いているラザロと灼熱の地獄で苦しんでい風景とが死後の世界の風景として描かれているが、実はこれは生前と死後と云うよりもコインの表裏のように日常性と反転の世界としてが解釈されるのではないかと語った。私に「反転の思想」を教えてくれたのが、この書である。
菅野先生は後書きで次のように語る。「風景が反転し、人はそこでものを考える。神道に限らず、およそあらゆる思想の出自はそんなところにあるのではなかろうか。補sっほに一貫しているのは、結局そのことだったようである」。というわけで、本書の最も刺激的なカ所を書き抜いておく。

風景の裏側
大正から昭和初期にかけて活躍した萩原朔太郎(1886-1942)という詩人がいる。
日本口語詩の完成者といわれる彼の詩集『月に状える』『青猫』等ぼ、当時の文壇に大きな衝撃を与え、文学青年たちに深い影響を及ぽした。「実在の世界ヘの、故しらぬ思慕の哀傷」(『青猫』序)
曹青鐘晨庄を、艶めかしく、あるいは典稚に、孤独の情調とともに詠いあげた朔太郎の詩は、今日なおそのみずみずしさを失っていない。
この萩原朔太郎の、ほとんど唯一の小説作品に、『猫町』という不思議な短篇がある。「不思議な」といったのは、この作品が近代の詩人の創作であるにもかかわらず、神との遭遇の体験を語る民俗的な心性のあり方に奇妙に一致しているからである。その意味で『猫町』は、 『日本霊異記』や『今昔物語集』 から、 近くは柳田国男(1875-1962)の 『遠野物語』に至る、奇異き(くすしき)何者かとの出会いを語る霊異譚の系譜に連なるものといえる。みずから「香気」を生命すると述ベた詩人の作を、不器用にいじりまわすのは気がひけるのだが、以下簡単に要約してみよう。

単調な日常からの脱出を、見知らぬ場所ヘの旅のロマンに求めていた「私」は、しかし、旅が結局は「同一空間に於ける同一事物の移動」にすぎないことに次第に倦んできた。そんなある日、私は偶然、一つの新しい旅行方法を発見した。
元来私は、方角感覚に著しい欠陥を持った人間であり、しばしば道に迷うことがあった。その時も、普段の散歩道を歩いていて、ふと見知らぬ横町を曲がり、それがきっかけですっかり迷子になってしまった。ぐるぐると迷い歩いた挙げく、私はふと「全く、私の知らない見知らぬ美しい町」に出た。「四つ辻の赤いポストも美しく、煙草屋の店に居る娘さヘも、杏のやうに明るくて可隣であった。かつて私は、こんな情趣の深い町を見たことが無かった」。私にはそれがまるで現実の町ではない、影絵のように思われた。しかしその瞬間、記憶と常識が回復した。気づいてみれば、それは私の知っている「近所の詰まらない、有りふれた郊外の町」なのであった。この不思議な変化は、私が道に迷ったことに起因していた。いつもは右に見えるものが左に見え、南はずれにあるベきものが北に見えた。この反転が、見慣れた町を全く違った景色に見せたのである。この不思議な町は、磁石を反対にした世界の裏側に実在したのである。
その後、私は、故意に道に迷って、この不思議な空間を旅行しまわるのを、秘かな楽しみとするようになった。そしてある時、次のような奇怪な体験をするに至る。
北陸地方のある温泉に滞在していた私は、近所の歓楽地U町ヘ向かうため、わざと鉄道を途中下車して、山道を歩いていた。この地方に伝わる猫神や犬神憑きの伝説のことなどを考えながら歩いているうちに、 私はすっかり道に迷ってしまう。ようやく細い山道を発見し、麗に降りた私の前に、「思いがけない意外の」「繁華な美しい町」があらわれた。「市街の印象は、非常に特殊に珍しいものであった。町全体はしっとりと美しく、しかも、ある微妙な雰囲気で全体の調和が保たれていた。大通りには多くの人出があったが、そのくせどこか閑稚に静まり返っている。そして、注意してみて気づいたのは、町全体の美学的な均衡は、何か知らぬ織細な緊張によって、人為的に保たれているということであった。私は、急に息苦しく不安になってくる。「町の特殊な美しさも、静かな夢のやうな閑寂さも、却ってひっそりと気味が悪く」、私は模然とした凶兆の予感に焦燥を感じる。「建物は不安に歪んで、病気のやうに痩せ細って来た。所々に塔のやうな物が見え出して来た。屋根も異様に細長く、麗せた鶏の脚みたいに、ヘんに骨ばって」奇怪な姿を示してきた。
「今だ」と思わず私が叫んだとき、恐ろしい異変があらわれた。「町の街路に充満して猫の大集団がうようよと歩いて居るのだ。猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても描ばかりだ。そして家々の窓口からは、髭の生えた猫の顔が、額縁の中の絵のやうにして、大きく浮き出して現はれて居た」。
だが次の瞬間、私は意識を回復した。気づいてみると猫の姿はすっか消え、町の姿も一変していた。あの魅惑的な町はどこかに消え、カルタの裏を返したように、平凡な田舎町がそこにあった。私は一切を了解した。例によって、私はあの方位知覚の喪失に陥っていたのである。私は上下左右の逆転した「景色の裏側」を見たのであった。通俗の常識でいえぱ「所謂『弧に化かされた』のであった」。
人はこの物語を、病的な詩人の幻覚だと笑うであろう。しかし、私が宇宙のどこかで、あの奇怪な猫の町を「見た」ということは、私にとって「絶対不惑の事実」である。私は今も、宇宙のどこかにあの猫の精霊ぱかりが住む町が実在していることを堅く信じている。

萩原朔太郎の『猫町』はここで終わっている。しかし彼が作品の中ず提起した「謎」は、今も終わってはいない。朔太郎はいう。
「錯覚された宇宙は、弧に化かされた人が見るのか。理智の常識する目が見るのか、そもそも形面上の実在世界は、景色の裏側にあるのか表にあるのか。だれもまた、おそらくこの謎を解答できない」(筑摩書房『萩原朔太郎全集』より)。
『猫町』の世界が暗示しているのは、心ときめきつつもどこか気づまりな、客=神とともにあるときの、人々の心の深部にある何ものかである。いいかえれば、もてなし祭ることの陰に隠された、神とのじかの接触の経験てある。社交の装いをはがされた生の異物との遭遇なのである。「弧に化かされた」経験が、そうした無防備な状態における神との出会いの一様態であるのは、民俗世界における古くからの了解事項である。民俗伝承の世界では、狐のみならず「猫」もまたしばしば神のあらわれを示す生き物であるとされてきた。
家族の一員と思われていた飼い猫が、飼い主の恕みを晴らすベく妖異な力を発揮する、いわゆる化け猫の説話は、猫が不可思議な向こう側に半身を置いた存在であることを示すものである。
中略
小説『猫町』の世界は、神との遭遇を記す数多くの説話世界と限りなく近い。「景色の裏側」に惹かれる朔太郎の心性は、何ものかとしての神を感受する伝統的な心性とほとんど重なっている。そして、『猫町』の言葉を使うなら、万物の創造者とも、全知全能の唯~神とも異なるわが国の「カミ」とは、風景としてみずからをあらわしている、「裏側」の何ものかなのである。

神の定義
小説『猫町』は、神との直接の出会いの体験として読み解くことができる。神がじかにあらわれる世界は、不気味で恐ろしい世界でもあり、異様に魅惑にあふれた世界でもある。ただ問題なのは、 その異形の世界は、人々の見慣れた日常世界と、「カルタ」の裏表のように一体のものであるということなのである。 詩人の見た 「猫ばかりの住んでる町」 は、実は「普通の平凡な田舎町」と同じなのである。そしてこの同じものの反転において、ただの猫、ただの孤、ただの雨、ただの雷が、それぞれ神であるのだ。ここで、日本の神についての本居宣長(1730-1801)のあの有名な定義が思いおこされる。宣長の定義はこうである。
「さて凡てカミとは、古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐御霊(ますみたま)を申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐい海山など、其余(そのほか)何まにれ、尋常ならざるすぐれたる徳(こと)のありて、可畏き物(かしこきもの)をカミとは云うなり。(すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云うに非ず、悪しきもの奇しきものなども、よにすぐれて可畏きをば、神と云うなり)」(『古事記伝』三之巻)。
中略
この定義は、今日私たちが、名人、達人、奇人、変人の類を「~~の神さま」とよんではばからない、日本語の「カミ」という言葉のニュァンスをよく言い当てている。と同時に人格的な唯一創造主ゴツド(God)に、神という訳語を当てたことが、我が国の翻訳史上、最大の失策であったことをも納得させてくれる。(29頁以下)

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