ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

小沢問題と世論操作

2009-05-13 11:07:58 | ときのまにまに
小沢辞任についての昨日のわたしの意見に対して、親しい友人から「異見」がメールされてきました。この友人は、高校時代のハイY(高校生YMCA会)の仲間で、大阪大学経済学部を卒業後、某大手商社に入社し、主に中国で活躍した人物で、現在も企業コンサルタントとして日本と中国とを行き来している経済の専門家です。定年退職後、某外大で教鞭をとったこともあるという論客でもあります。もちろん、現在でも大阪の某大教会(日本キリスト教団)の役員として教会活動にも積極的に参加しています。以下は彼の意見。
<今回の小沢辞職の論調の内、坦々と述べる首相と官房長官の談話が一番まともではないでしょうか―――今回小沢をやめさせたのは国民です。マスコミはただ単に世論にのっかて居るだけで、マスコミにしても怖いのは官僚でもなく、況や読売のナベツネでもありません。新聞の購買権とか選挙権を持った国民なのです。官僚も若返ってきて内閣特に首相や官房長官・閣僚が、自分達の任免権もっていることをわかりかけています。霞ヶ関も政治献金含めて清潔でないと出世出来ないので、後は阿吽の呼吸で首相の意向―――即ち庶民のして欲しいと願う気持ちを先取りしたブレインのアドバイスでの意向―――を察知してゴマスリをするのです。例えばソ連じゃなくてオロシアのプウチンさん来たら関係官僚特に次官候補がいいアドバイスするのです。>
政界はもちろんのこと、経済界にもにも足を踏み入れたことがない私に、この意見に対して反論する勇気はありませんが、彼と私との意見を異にするのは、政治・経済の問題ではなく、「世論」についての理解であろうかと思います。形としては確かに小沢さんは「世論」によって辞任に追い込まれたと言えますが、問題はその「世論」です。「世論」とは操作されるものです。小沢さんに対して直接手を下したのは、秘書逮捕という警察官僚の暴挙ですが、それを表向き批判しつつ、世論をうまく誘導、操作したのはマスコミであることは誰の目にも明白です。草君の事件(?)の場合も同じ構造ですが、この場合は多少「お遊び」の面があり、マスコミも直ぐに方向転換を謀りましたが、小沢問題は「政治的」であるだけに、「お遊び気分」は見られません。
今朝もテレビで誰かが話していましたが、ここ数日新聞各社が競って「世論調査」なるものを実施し、新聞紙上を賑わすでことでしょう。いまや、新聞がテレビに勝てる方法は世論調査ぐらいしかないのかも知れません。問題は「世論調査」という「世論操作」です。「世論」操作についての問題点については、このブログでもすでに昨年11月19日付けで「『輿論』の『よ』」として取り上げました。この際ぜひ、
佐藤卓己氏の『輿論(よろん)と世論(せろん)』(新潮選書)をお読みください。佐藤氏の論点は、「輿論」という漢字がなくなるとともに、「輿論」そのものが「世論」に変質してしまったということが分析されている点である。本来「輿論」と「世論」とは全然別な次元に属するものである。『輿論」は上から操作できないが「世論」はいとも簡単に操作できる。

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