ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

三木清『時局と思想』(1937年9月)

2015-11-17 09:33:51 | 三木清関係
三木清『時局と思想』 (1937年9月、『日本評論』、全集第15巻)

この文章は、前年(1936年)7月に始まったスペインの内戦が長期化し、またこの年の7月に盧溝橋事件を起こし日中戦争が勃発して間もない頃のことである。不思議なことに80年近い前に書かれた評論が、真に現在の日本にそのまま置き換えても違和感がないことである。
ここでは以下の5項目について論じられている。(1)宣伝と政治の限界 (2)「聖職者の背任」 (3)試験と学制改革 (4)文化の「混乱」 (5)言論統制と精神の自由

宣伝と政治の限界

スペインの内乱は容易に終熄しそうにもない。戦闘は次第に北方戦線から南方戦線ヘ移り、マドリッド戦線においては、7月初め、かつてヨーロッパの経験したことのないような大規模の空中戦とタンク戦が展開されたと伝えられている。またチェッコスロヴァキアに対するナチス・ドイツの脅威はいよいよ大きくなり、チェッコ議会においては新たに国防訓練法案が可決された。そして他方ダニューブ・ナチスの策動はダニューブ沿岸諸国を軒並に震駭させ、オーストラリアにおいては愛国戦線を正規軍に編入する等、その対応策が種々講ぜられている。このように「欧州の危機」は増大するばかりである。ヨーロッパの政治家はいづれも、戦争が、しかも破滅的な戦争が不可避であると信じているといわれている。

この場合、更に次のような事情が指摘されている。 「各国新聞紙は、この欧州の不安を激成するに大きな役割を持っている。新聞を通じて非難された外国はそれに反作用し、隣国の非難に対して非難を浴せ返し、結局戦争の不可避を思い込ませる憎悪を発生させるに至るのである。例えば、ドイツやイタリーの諸新聞の痛罵は、ロシア及びフランス各紙の痛罵を喚び起し、英国においてすら、独裁者の攻撃が現政府反対党の弁士から投げられると、囂々たる拍手の声援が新聞に見出されるという有様である。即ち新聞に現われた欧州の悪意は実に恐るべきものである。痛罵誹謗と悪意の論説が今日のように、これほど多数発表されるということは以前には無く、第1次世界大戦前にも見られないものであり、1914年当時の新聞諭調ですらもっと友好の気分に充ちていたということである」(『文学界』9月号、海外文化ニュース)。

実際、今朝の新聞を見ると、ドイツ政府はロンドン駐在ドイツ代理大使を通じイギリス政府に対してロンドン・タイムス紙がべルリン支局長ノーマン・エバット氏を2週間以内にべルリンから召還するよう必要な手段をとられたい旨要請したと報ぜられている。これに関してドイツの一新聞はドイツ政府の立場を伝えていう。「エバット氏は常にドイツ生活の悪い半面のみを狙い、タイムス紙の読者に封しドイツに就いて好くない印象を興えるような話題を報じた。ドイツ政府は爾来必要な手段をとる考であったが、英独関係に紛糾を来すことをおそれて躊躇して来た。然るに今や英国政府が3人のドイツ記者にロンドン退去を命令した以上、ドイツ政府としては最早猶予する理由はない、唯ドイツ政府が英国人記者3人に退去を要求せず、単に1人としたのは寛大と節度とを示したものである」(8月10日同盟通信電報)。

新聞の上では欧州はまさに噴火山上にある。しかし事態は果してそれほど差し迫って戦争に向っているのであろうか。将来の欧州大戦において大きな役割を演ずべきヨーロッパの民衆は果してそれほど興奮の坩堝の中にあるのであろうか。危機が叫ばれてから既に4ヶ年、欧州の天地は依然としてマルスの神の蹂躙する所となっていない。それは何故であろうか。この疑問に突き当たってニューヨーク・タイムス紙のロンドン特派員フェルヂナンド・ カーン氏は、 眼をヨーロ ッパの民衆に向け、彼等が案外冷静であることを認め、宣伝戦の民衆に及ぼした逆効果を発見して、次のようにいっている。「国境を越えて未曾有の激烈な悪意が交換されている現状にもかかわらず、欧州の諸国民は故意に耳を塞ぎ、隣国の民衆を憎悪することを拒否しているように見える。これが、私の見る所によれば、一切の不安な現状にあっても、各々が武器をとって闘はない原因の一つであろう」と。

先づ欧州の危機の根源ともいわれるドイツ国民はどうか。毎日の新聞の第1頁に超特大号の活字を用いてでかでかと印刷された政府筋発表物を見たとき、 彼等は即座にこれに反応し、他国に対して憤慨などしているか。ベルリンで見られる所では、大抵の市民は、もう飽き飽きしたといった態度で、肩をすぼめ、素速く頁を繰って第2頁から読み始める。これはナチス政権治下の4ヶ年で、かうした政治的環境にすっかり慣れっこになってしまった結果であるという。同様にフランス市民も、毎週外交通信員が暴露してくれる恐るベき陰謀記事に対し、嘘だといわんばかりの態度をとっている。英国においても、サラリーマンが忙しくバスを捕へ、電車に乗って、一刻も早く家路に着くのは、どこそこの国でまたセンセーショナルな新事件が起ったと書き立てる新聞を読んで驚いたためではない。彼等はそれらの政治的紛争をせいぜい一号活字見出しの殺人事件の記事くらいにしか考えていないのである。かく例証しつつ、カーン氏は、民衆のかかる案外な無関心は、要するに食傷気味になってしまった結果であるといっている。(前掲『文学界』参照)

私はもとよりカーン氏の言が全部の真理であるとは信じない。しかしその観察には注目すベきものが含まれていると思う。そして氏がヨーロッパについて述ベたことが我々自身の場合にとって教訓的でないとは言えないのである。

近代の新聞はリベラリズムと共に発達した。事件を自由に報道すると共に興諭を現わしまた興論を作るということ、あるいは種々の立場における意見と批判とを伝えるということが新聞の仕事であった。しかし自由主義が衰退し、統制が強化されて来た場合、新聞はなお何を為すことが出来るか。 主としてセンセーショナルな宣伝があるのみである。他方、政治は宣伝である。これは今日の政治のイロハとなっている。今日の政治の宣伝的性質が今日の新聞のコマーシャリズムと結び付くのである。各国政府の惰報部というものは、民衆に対する宣伝部の意味をもっている。

報道と言論とを統制された新聞の政治的情報がその商業主義と結び付いて宣伝的となるのは、自然の勢であろう。もしヨーロッパの民衆が政治的記事に対して無関心になっているとすれば、 それは彼等がセンセーションに慣れてしまったためである。人間は驚くベき順応性を有する動物だ。あるいはそれは彼等が政治は宣伝であるということを見抜いてしまったためである。「継続した雄弁は退屈させる」とパスカルは書いている。宣伝は雄弁でなければ宣伝でなく、しかし継続した雄弁はやがて民衆を退屈させる。そこに今日の情勢における政治にとって不可避な限界がある。「鉄は熱い間に打たねばならない」というのは周知の諺だ。しかし鉄を打とうとする者は適当な時期において、初めてそれを熱くすることを心得ていなければならない。あまり早く熱くすると、いよいよ打とうという段になってかえって冷くなっているということがある。そして日本の政治も現在において特にその危険がないとはいえないあろう。

ヨーロッパの民衆ももちろん決して政治に対して無関心になっているわけではなかろう。今日の情勢において誰が政治に対して無関心でいることができるであろうか。もし彼等が政治的情報に対して無関心を示しているとすれば、その「情報」が宣伝的であって真実をありのままに伝えないからである。真理は全体である。しかし今日の統制された情報はただ一部分しか伝えず、そのうえ多くは宣伝的に誇張され、あるいは反対に過小評価されている。とりわけ民衆が知りたがっているところの他の国の民衆の意見については何事も知り得ない。唯一つ、カーン氏の言から知られることは、いづれの国の民衆も他の国の民衆に対してそれほど憎悪を抱いていないということである。宣伝的であることを見抜いてしまった政治的記事に対して民衆が無関心になっているということは、かくして逆に、いかに民衆が真実を知りたがっているかを示すものである。今日ほど人々が真実を知りたがっている時代はない。しかも今日ほど真実が知り難い時代もない。

「古い神学的精神は根本において言葉の十分な意味における政治的精神である」、とアランは書いている。裏返して言えば、政治的精神は神学的精神であって科学的精神ではない。今日の政治は神学のようにドグマチックであり、不寛容であり、道理によってでなく「威嚇と約束と報酬」とを掲げることによって人間を動かそうとしている。
政治は今日の情勢において宣伝たらざるを得ないということが政治の限界である。そして統制は宣伝になるという所にまた言論の統制の弱点があり、限界がある。その限界において示されるものは、民衆はいづれは宣伝に飽きるものであり、また彼等は結局真理を知りたがっているということである。そこにあらゆる文化的活動は政治に対して自分の活動の出発点を見出し得るのであり、また見出さねばならない。

北支事変が始って以来、毎日の新聞記事ばかりが心に懸って、小説など読む気持ちが全く起らないと言っている文学者などもあるようである。それは人間の本能として自然のことであろう。しかし現象に追随することは慎まなければならない。すべての文化的活動に従事する者はむしろ今日において政治の限界をはっきり見究め、そこから政治に対する文化の関係を設定し、自分の活動の領域と意義とを確立することが大切である。

聖職者の背任

近衛内閣において大谷尊由氏が拓務大臣になったことは仏教界最初の入閣という画期的意義を有する出来事である。教界人が盛大な祝賀会を開いてこれを祝福したのも無理はないであろう。大谷氏の政治的手腕について、私は全然知らない。氏の政治的手腕がどうであるにしても、現在一つの省ではあるものの実は一つの局ほどの意義しかないと言われる拓務省の大臣を無事に勤め上げるだけの手腕は十分に期待することができるであろう。氏の入閣が日本の政治にとって有する意義はともかく、それが仏教界にとって有する特殊な意義の故に、我々もそれを歓迎するであろう。しかし氏の入閣があたかもこの見地から重要であるとされるだけ、氏の入閣に際して僧籍問題が起ったのはいよいよ遺憾なことであると言わねばならない。

西本願寺の連枝大谷尊由氏は拓務大臣に就任するに当り、「還俗」することを思い立ったのであるが、それには反対も生じ、結局「僧籍離脱」ということになった。還俗と僧籍離脱との間には、法律的な形式的な見方からすれば、いろいろ差異を考えることができるかも知れない。しかし実質的には、即ち宗教的乃至道徳的見地からすれば、何等の差異もあり得ない筈である。結果が還俗になったにせよ、僧籍離脱になったにせよ、根本にさかのぼれば、大谷氏が大臣となるについて僧籍を去ろうと発意したことそのことが問題なのである。僧籍というようなものは、本来、一個の形式論で片付けらるべき性質のものではない。

国家の法律は大臣が僧侶であることを禁じていない筈である。また真俗二諦を説く真宗の教理から言っても、僧籍に留まりながら大臣になるということは一向差支ないことであろうと思う。現に大谷氏は田中内閣時代に、久原房之助氏とかの推挽に依り貴族院議員に勅選されているのである。その大谷氏が今度入閣するに際し僧籍を去ろうとしたということは、我々には不可解である。もし万一そのことが何等かの勢力による強要に基くとしたならば、何故に大谷氏はかかる勢力に対して自己の立場から説得に努めなかったのであるか。そしてもし聴き容れられない場合には、むしろいさぎよく入閣を断るべきであったのである。我々俗人にしても、大臣になるということがそれほど偉いことであるとは考えていない。まして大谷氏は僧侶である、しかも氏は仏教的に言えば、浅からぬ因縁によって、西本願寺の連枝という特別の地位にある人である。かかる栄位を棄ててまで大臣にならねばならないという理由は理解し難い。僧侶は一代の聖職であるが、大臣は永く続いたところで二三年の間のことに過ぎないではないか。大臣になるということは名誉なことであるとしても、先づ俗世の栄誉の果敢無さを悟るというのが仏教ではないのであろうか。

もとより我々は決して僧侶が政治に関与することを否定するものではない。今日のひょうな時代にあっては、それはある意味において積極的に必要であると考えることもできるであろう。しかし僧侶が政治に従事する場合、それは彼の本来の使命即ち衆生済度という活動の延長でなければならない。このことを自分でも自覚し、また世間に対しても標榜するために、彼はその場合僧籍を離脱するというが如きことを為してはならない筈である。もっともこの際、大臣になることは衆生済度の方便であり、僧籍を離脱することはそのまた方便であるというような議論をすることもできるであろう。しかしこのような議論は、裏返して考えるならば、僧侶も結局方便に過ぎないということになるのである。すでに僧侶にして然り、一般民衆の間にいはゆる「仏法も方便」というような思想の生じて来るのも無理はないと考えて然るべきであろうか。

あるいは説をなす者あり、大谷氏が僧籍を離脱したのは深い意味のあることでなく、ただ新聞などにおいて「坊主大臣」と書かれることが嫌であったからであると言う。世間の悪口家の中には、今の内閣は公卿と坊主の内閣だと称する者がある。しかしそのために近衛氏は公爵を拝辞しはしないであろう。僧侶と呼ばれることを嫌うのは自己を軽んずるもはなはだしいと言わねばならない。

林内閣の声明において聖徳太子十七条憲法の中から「和を以て貴と為す」という句を採っい用ゐた。近衛内閣のいはゆる国内相剋の解消もこの精神を継ぐものと解することができるであろう。林内閣が祭政一致を唱えて以来、仏教界においてはそれと歩調を合はせるために聖徳太子崇拝がにわかに盛んになり、各宗の教祖も為めにその影を薄めるかのような観を呈しさえした。ところで太子の十七条憲法の中には、「篤く三宝を敬へ、三宝は仏法僧なり」、とある。まことに僧は三宝の一つであり、大臣も篤く敬せねばならないものである。このように僧の地位を大臣となるために棄て去るということは仏教の精神にはもとより聖徳太子の精神にも背反することにならないのであるか。國体明徴の立場から教組以上にすら聖徳太子を尊崇しようとする仏教家のこのような行為はまた國体明徴にも背反することにならないのであろうか。

僧侶も政治的関心を有しなければならないということは近年繰返し力説されている所である。然るにこの場合「政治的関心」というものは、それが最初マルクス主義の伽牧佛教青年層への侵入と共に力節されるようになったという事惰から考えても分るように、特定の意味を有するものでなければならない。佛教がマルクス主義と一緒になるということは矛盾であるにしても、佛教は佛教そのものの立場における独自の政治的関心を有すベき筈である。言い換えると、僧侶はその衆生済度の立場において、弱き者、虐げられし人々の救済の立揚において政治的でなければならない。

然るに近来佛教界に著しい現象はむしろそれとは反対に権力への迎合である。政治的とはいかにして巧に権力へ迎合するかということになっている。佛教独自の政治的信念が何等存するわけではない、 ただ権力の動くままに追随して動いているのである。 これは 「聖職者の背任」といわれないであろうか。佛教の信仰そのものに基いて今日の政治を批判し、その動向に影響を興えようとするがごとき気魂は少しも見られないのである。まことに「一人の義人あるなし」というべきである。ただ単にいはゆる政治的であるというのであれば、僧侶に政治家は決して少なくはなく、かえって彼等があまりに政治的であることが種々の弊害の原因となっているのである。信仰なくしてただ政治的である者があまりに多いのである。魂の救済に従事すべき僧侶自身に何等の信仰もなく、ただいたずらに政治家の手先になって働くということ、これは「聖職者の背任」以外の何物であるのか。佛教の復興は、もしそれが可能であるとしたならば、まさに信仰の再生によって初めて成就されることであって、 僧侶が政治的権力に迎合することによってはかえってその衰亡を速めるのみであろう。

もっとも、私は大谷尊由氏個人には寧ろ同情したいのである。多分氏の素質は、氏の令兄大谷光瑞氏などと同じく、宗教家よりも政治家あるいは事業家に適するものであろう。そのような氏が僧籍に拘束されねばならないということは気の毒な次第である。そして大谷拓相が今度のような問題を起したということも、広く見れば、僧侶世襲制の問題に関連している。この世襲制は今日宗教にとっても僧侶にとっても手かせ、足かせになっている。それは封建時代における職業世襲の風と軌を一にするものであるが、その制度が出来た当時にあっては教団の確立と発展とのために必要なものであったであろう。しかし資本主義と共に職業の選択の自由が一般化した後、この社会の内部において僧侶のみが封建的な世襲制を維持してゆくということには矛盾が生じて来た。あらゆる職業が解放されるに至って、僧侶の子弟の中にも他の職業に対する欲望が起るようになった。単に利害の関心や流行等の影響からのみでなく、彼等の素質からいっても他の職業に一層適した者が出て来るというのはやむを得ないことである。それらの人々が僧侶世襲制を手かせ足かせとして感じるようになったことは当然である。また他方において世襲制は寺院の子弟に最初から生活の安定を保護し、そのために彼等は自然その修行を怠り勝ちとなり、信仰も修養もなくして僧侶になる者が多くなり、その結果宗教の堕落を生じ易いのである。世襲制は宗教そのものの立場から言っても面白くないものになっている。

大谷拓相の僧籍問題はこのような僧侶世襲制の矛盾がたまたま表面化したに過ぎないと見られるであろう。従って教団においてはこの問題が起ったのを機会として、この制度そのものについて根本的に検討し、批判を加え、改革を行うことを企図すべきであったのである。それなのに教団の「善知識」たちはこのような根本問題について反省することなく、還俗を僧籍離脱に替えるというような全く形式的な、その場限りの解決に満足しようとしている。教団の改革そのものにまで入ろうとする誠実と勇気とを有する者は誰一人いないのである。そしてそのような教団の「現状維持」の意志が、実は、今日の僧侶の上層部をして「政治的」ならしめ、「革新政治」の味方にすらならしめているのである。彼等のいう革新政治とはおよそいかなるものであるかが、この一事によっても窺ひ知られ得るであろう。仏教界は既に久しく宗教法案の制定に非常な関心を示している。今大谷尊由氏が大臣となり、また近衛首相自身も仏教に縁故のあるこの内閣において、この法案の成立することが熱望されている。しかし仏数の復興はこのような法律によって期し得るものではない。大谷柘相の僧籍問題を還俗でなく僧籍離脱ということにして片附け、それで満足しているような「善知識」たちによって仏教が復興されるとは到底考えられないのである。

ところで「聖職者の背任」についていえば、それは今日あらゆる方面に存在しないであろうか。ここに仮に「聖職者」というのは単に僧侶や牧師のみでなく、すべての藝術家、哲学者、教育家等を指していうのである。勿論それは他の職業を軽んずる意味を毛頭も有するものではない。背任した聖職者は他のいかなる物質的生産に従事する人々の場合よりも遙かに軽蔑に値するであろう。例えば、本来ヒューマニティの立場に立つべき教育家がこの頃の政治現象に追随してヒユーマニティを蹂躙するというようなことは聖職者の背任と呼ばれないであろうか。また例えば、カール・ヤスパースの哲学を新しい啓示か何かのように騒いで来た日本の若い哲学者たちが、この人が最近ドイツの大学からユダヤ人の故をもって追放されたということを聞いても、現実の政治に対して何等の憤りを感じないとしたらどうであろう。ヤスパースの哲学と言えば、日本においても唯物論者からファッシズムの哲学の代表のように批評され攻撃されて来たものであるが、この人にしてなほナチスから放逐されねばならないのである。そこに哲学と政治との次元の相違があるのであって、このような相違を問題にしない唯物論は抽象的であることを免れないであろう。更に例えば、今日の文学者が戦争に関心し、そこに身を横たえて創作するということは、必要なことであろう。しかしその際従来の戦争文学の傑作とはいかなるものであるかをしっかり考えてみなければならない。私はこの頃のラヂオで放送される新作軍歌を聴いて全く暗い気持になるのである。その歌詞も多くは低俗であり、殊にその調子と言えば、あの頽廃的な流行歌と何等異る所がないのである。現在一種の「国民歌謡」となっている軍歌は日清日露の戦役の頃に作られたものであるが、今日そのような軍歌は一つも現われそうにないのである。それは単に個人の才能に関することでないとすれば、何故であるか。先づこういう問題にぶっつかって真剣に考えてゆくべきである。そこから初めて文学も思想も生れて来るのである。

試験と学制改革

入学試験一科目制は安井文相の一枚看板であり、いわば「専売特許」である。安井氏が大阪府知事時代に管下の中等学校における入学試験に国史一科目のみを課したということは、氏を「有名」にした事実である。その安井氏は文相になると早速、省内の役人に命じて入学試験制度について「調査」を行わしめ、その結果に基いて矢張り一科目制の断案を下し、このようにして中等学校の入学試験はなるべく一科目にするようにとの通牒が文部省から各地方長官宛てに発せられた。文部省がどのような調査を行ったのか、私は知らない。しかしそれが結局安井文相の専売特許である一科目制に都合の好いものであったとすれば、およそ官庁の「調査」なるものの性質が分るような気もせられるのである。

安井文相の就任当時、一新聞記者が文相に水を向けて、国史一科目制についての氏の意見を求めたとき、文相は、数学のようなのは応用問題が無限にあるから、これを試験科目にすると生徒の準備のために心身を労することが多くなる、という風に答えた。私はこの記事を新聞で読んだとき、官吏中の俊秀として知られる安井氏にしてなおこの程度かと歎息し、新文相の教育に関する見識についてやや不安にならざるを得なかったのである。

なるほど国定教科書に書いてある歴史の内容は一定している。そのうへ、この頃ではそれを自由に解釈したり、それに自由に付加したりすることは禁じられている。即ち国史には応用問題はない、従ってその試験は暗記試験となる性質をもっている。にもかかわらず今日試験の弊害の重要なものの一つは実にこの暗記試験にあるのではないか。大学においても法科の試験は、また高等文官試験はこのような暗記の性質を多くもっていると言われるのであるが、安井文相の意見は法科出の秀才、模範的な官吏のイデオロギーに相応するものであろう。暗記試験によって優劣を決めようとする場合、暗記しておかねばならないほどの重要性を有しない事柄の暗記までもが生徒に強いられることになる。その結果、知識は形式的なものとなり、瑣末な事実はよく知っているにしても、国史の「精神」そのものはかえって捉えられていないということも生ずる。精神は暗記によっえ捉へられ得るものでない、精神を捉えるためには各自が自己自身の精神を自由に活動させることが必要なのであるが、暗記はそれとは逆のことである。国史の精神が捉えられないということは国史を奨励する趣旨にも反することになり、國体明徴も形式的なものとならざるを得ないのである。それのみでなく国史の見方もつねに不変なものでない。不変なものでない故に、国定教科書ですら時々書き変えられるのである。文部省で多くの学者を集めて作った『国体の本義』すら議会で問題になったではないか。不変なものでない故にこそ国史の「研究」ということも可能であり、必要でもあるのである。研究は「暗記」であるよりも「応用」である。国史の研究にも無数の応用問題を解かねばならない数学などと同じ精神が必要なのである。国史には数学のような応用問題がないと考える者に果して歴史的認識の本質についての理解があると言えるであろうか。歴史の研究においても応用が自在に出来るような精神、創造的な精神が要求される。ファッシズムのようなものにしても創造的な精神の活動なくしては発達し得ないのであって、我が国における官僚ファッショといわれるものの弊害も、外国のファッシズムを暗記的に輸入することから生じている。否、ファッシズムそのものの弊害は、人間の自由な創造的な精神を高圧するところに有している。安井文相の国史一科目制はこのようなファッシズム的傾向を有するものではなかろうか。それのみでなく、文相の意見は数学の性質についての誤解を含んでいる。なるほど数学の応用問題は無数にある。しかしそれら無数の応用問題の一つ一つを暗記していなけれは数学が分っていないのではない。原理的なところがしっかり掴まれてをればどのように多くの応用問題も解くことができるというのが数学の性質である。従ってその点においては数学は歴史よりもかえって簡単であると言える。

入学試験一科目制については、既にその当時、理論上からも、また実際上からも——即ち例えば、国史一科目であれば、どれもこれも同じような答案ばかりで甲乙をつけるのに困難であるというような——種々の批評が出た。安井文相はそれを知らない筈はないのである。(もっとも、自分に都合の悪い批評は、特に彼が権力を有する地位にある場合、なかなか耳に入らないもので、もしそれを知ろうと思えば周囲の者や部下の者だけの言を信ぜず、自分自身で勉強しなければならない)。それら種々の批評にもかかわらず今や一科目制を全国的に行おうというのには、自分が「専売特許」として売り出したものに固執するということ(それは普通人間の心理としてはもっともなことであるが)以上に、何等かの確信があるのであろうか。

今日の事情において入学試験が行われる限り、一科目であろうが、二科目乃至三科目であろうが、結果は同じである。一科目にすれば生徒の負担が軽くなるというのは形式論に過ぎない。そのために準備教育が廃止されると考えることも空想に近いであろう。なぜなら試験科目が一科目であれば、誰も皆それに集中して勉強することになり、従ってほんの僅かな差異で及落が決せられることになるために、いよいよその準備に熱心にならねばならなくなる。数科目の平均点の場合よりも一科目のみの場合の方が競争が激烈になるということは、敢へて試験に限らず人間生活のあらゆる場面において看取し得ることである。また入学試験科目が一科目である場合、その成績の差異が自然少くなるから、口頭試問などが及落に影響することになり、その方面に関して準備教育が行われるということになるであろう。

このような一科目制の弊害は小学校教育そのものにおいて大きく現われるであろう。なぜなら、今日のように小学校の教育が、殊に高学年においては、入学試験準備に集中され、その科目のために他の学科が犠牲にされている場合、入学試験の科目の数が少なければ少いほど小学校の教育はますますかたよりようになる。この点から言えば、入学試験の科目は、上級学校へ進む上にぜひ必要なものに就いて多い方が好いとも言える。

「試験地獄」はまことに憂うべき現象である。しかし飜って考えるならば、入学試験に落第した者も結局どこかの学校へ片付いているいてのであるから、我が国の中等学校は、私立のものまでも合せるとき、全体としてはそれほど不足していない筈である。試験地獄は、それらの学校のうち特に官公立のものえ、中でも「有名な」学校え——「有名な」学校必ずしもその内容が実際に善いとは言えないであろうが——入学志願者が殺到するために生じていることである。従ってもしすべての学校が誰もの入りたがるような善い学校になるならば、試験地獄も大いに緩和され得るわけである。こうして政府として為すべきことは、私立学校に補助を与えてその内容の改善を計るということである。これは金のかかることであるが、しかし入学試験が青年の健康に対していかに害をなしているかを考えるならば、社会保健省も設置されようというこの際、その金くらいは問題にすべきでないであろう。内容を改善するためには、現在の私立学校の商業主義、その資本主義的経営に対して取締が行われなければならない。この方面における教育の「統制」は大いに必要である。しかしながら同時に教育における画一主義を打破し、各学校をしてそれぞれ個性を発揮せしめ、他方各家庭においては子弟の素質に応じて通常な学校を選択するということが大切である。今日のように画一主義が行われ、各学校について、あたかも入学試験の場合においてのように、甲乙丙と採点することができるやような状態にあっては、試験地獄は到底緩和され得ないのである。

このようにして入学試験の問題は根本において学制改革の問題に繋がっている。そのことは、義務教育8年制の問題は全般的な学制改革の問題と関連して考慮されねばならないという安井文相にはよく理解できることであろうと思う。ところが実際においては、根本的な改革は何等手を着けないで枝葉のことのみやかましくいうということは兎角ありがちなことである。入学試験に関する朝三暮四的な改変はもう好い加減にして、学制改革の実行に移って貰いたい。

学制改革は既に久しく歴代の内閣が唱えて来たことである。内閣の変る毎に新たな調査官とか審議会とかが設けられて種々立案されて来たのであるが、未だかつて実行に移されなかったのである。これには色々な理由があるであろう。しかもその一つに、新たに大臣になった者が前任者の案を踏襲することを好まず、何か自分自身の案を立てようとするという政治家や官吏にありがちな心理が働いていることも事実であるように思われる。このようにしてつねに新しい調査会と新しい案が作られはするが、そのうちに大臣が変るということになり、決して実行されるに至らない。政治家や官吏の個人的な功名心の弊害であると言えるであろう。財政とか経済とかの問題になると、客観的情勢に強要されて前任者の案を踏襲せざるを得ないということもあるのであるが、文部行政に関する事柄においてはそのようなことがないために結局改革は実現されずに終るということになる。そのうへ文部大臣は、安井文相の場合もその一つであるが、文政についての専門家でないことが多い。司法大臣や大蔵大臣等は専門的知識を有しない者には勤まらないのであるが、文部大臣は素人でも好いように考えられている。そのために文部大臣にはなりたい人が多いので、林内閣の時には自薦他薦の候補者が何十人か現われたとすら伝えられる有様である。このようなことは教育をディレツタンティズムに委ねるものであって、国家の将来にとって実に不幸なことである。この頃文部大臣になりたがる人が多いというのは、国体明徴が政府の政綱の首位に掲げられるようになって以来、文部大臣の位置が最早や以前のように居候大臣でなくなったのによるであろう。しかしこのようにして国体明徴のことすらもがディレツタンティズムに委ねられることになりはしないかがおそれられるのである。このようなディレツタンティズムが支配している限り、学制改革は行われ難いであろう。もはや調査は必要でない、実はいくらでもあるのである。例えば、近衛公とも関係があると思われる教育改革同志会の案のように、進んだ所をもった好い案であると思われる。問題はただ実行に移すことである。安井文相に対して青年大臣にふさはしい断行の勇気を期待したいのである。

文化の「混乱」

文化の「混乱」ということが現代の合言葉になっている。今日ある者にとっては社会的不安の感覚なしには生活の意識を持ち得ないように、文化の混乱の感覚なしには生存の意識を持ち得ないほどになっている。現代の多くの青年インテリゲンチャはこのような精神的状況にある。しかし文化の混乱ということはまた今日一部の自由主義者の、物を公平に観察すると称せられる自由主義者の合言葉ともなり、彼等に特徴的な折衷主義の、実は妥協説に他ならないところの折衷主義の前提となされている。前の場合、混乱は必ずしも日本的なものと西洋的なものとの間の混乱として意識されているのでなく、むしろ日本え移し入れられ日本において根を下した西洋的系統の文化そのものにおける動揺を意味するに反して、後の場合、混乱は、特に日本的なものと西洋的なものとの間の混乱と見られているのである。この後の意味における文化の混乱は、一部の自由主義者のみでなく、日本主義者たちによっても力説され、彼等の主張の出発点となっている。この意味における文化の「混乱」の観念は極めて常識的であり、俗耳に入り易い。しかしこのような常識論は果して日本文化の現状についての正しい認識であると言えるであろうか。

もし現代日本の文化の混乱が日本的なものと西洋的なものとの間に存するとしたならば、このような混乱は今日よりも大正時代において、大正時代よりも明治時代において大きかった筈である。それなのに明治大正時代においてはそのような「混乱」が感じられず、特に今日においてそれが感じられるというのはいかなる理由によるであろうか。西洋文化の輸入以来、時代を溯れば溯るほど、西洋的なものと日本的なものとは融合されずに存在するということが甚だしかった。その後社会の発展と共に両者は次第に融合され統一される傾向をたどって来たのである。衣食住というように基本的なことについて見ても、例えば洋服は今から20年前10年前に比べていかに日本の男女の身に着いて来たであろう。勿論その間において日本旧来のものであって亡ぶべき運命にあったものは次第に衰え、また亡んで来た。しかし実はそのことによって日本文化は次第に調和と統一とに向いつつあったのである。西洋のものでも、どうしても日本人の身に着かないものはおのづから棄て去られた。このようにして歴史はその必然の道を歩いて来たのであって、そこに混乱はあり得ない筈である。例えば、大衆文学と純文学とが併存するということは日本の文学における混乱の一つであると言われる。しかし通俗文学と純粋文学との併存は単に日本のみでなく他の国においても見られることである。そして我が国においても、今日この日本主義流行の時に当って帝国藝術院が作られた場合、大衆文学の作家はその会員から除外されるという有様になっているのである。日本の通俗文学も次第にその封建的日本的なものを清算せねばならなくなるであろう。そこには何らの混乱もあり得ない。

それ故にもし文化の混乱が存在するとするならば、それは日本のみのことでなく、西洋各国においても同じである。今日確かに西洋のインテリゲンチャも文化の混乱を感じている。日本のインテリゲンチャはある意味では彼等から文化の混乱の観念を受取ったのである。世界大戦後ヨーロッパにおいては、ヨーロッパ精神とアメリカニズムとの関係が問題にされた。戦争後ヨーロッパに侵入したアメリカニズムに対して種々の批評が盛んに行われた。このアメリカニズムとヨーロッパ精神との問題は、少くとも形式的に見れば、我が国における日本的なものと西洋的なものとの間の混乱の問超に類似していると言えるであろう。しかし一時ヨーロッパを賑はせたアメリカニズムの問題は今日では最早やそれほどの重要性を有せず、むしろ季節はづれのものとなってしまっている。現在ヨーロッパにおいて文化の混乱が問題にされている意味はっと深く、その原因はもっと重大なところにある。文化の混乱が世界的に感じられている点から見ても、それが我が国においても単に日本的なものと西洋的なものとの間の混乱というような方式をもって考えられないものであるということは明かである。

以上のように今日の文化の混乱が日本的なものと西洋的なものとの間の混乱として感じられるということは何か特別の理由のあることが知られるであろう。もとよりこのような混乱が何ら存在しないというのではない。このような混乱はいづれの時代においても多かれ少かれ存在するものである。しかもこのような異質的なものの同時存在を矛盾として混乱として感じないということが日本精神の伝統的な特質であると考えることさできるのである。それにもかかわらず、今日それがまさに「混乱」として感じられるということには何か特別の理由がなければならないであろう。日本的なものと西洋的なものとがもっと甚だしく乖離して存在していた時代においてすら、それは混乱として非難されなかったではないか。

文化の混乱が日本的なものと西洋的なものとの間の混乱として感じられるという理由は、今日、西洋におけるファッシズムの影響のもとに「日本固有のもの」と称するものを特別に力強く主張する者が出て来たことに基いている。即ち我々日本人が自然的に有し、我々の文化的活動のうちに自然的に現われ、西洋文化の移植においてすらその自然的な基礎になっている日本的なものでなく、かえって過去の日本的なもの、近代的文化の発達と共にいづれは衰え亡びゆくもの、現に衰へ亡びつつあるものを無理に担ぎ出して西洋的なものに対抗させようとする者が生じることによって、日本的なものと西洋的なものとの間の混乱という方式のもとに文化の混乱が感じられるようになったのである。言ひ換えるならばおのづから調和と統一とに向って発展しつつあった日本の文化——その際過去の日本的なもののあるものが衰え且つ亡んでゆくということは已むを得ないことである——に対して、殊更に「西洋的なもの」を区別し、これに「日本固有のもの」と称すするものを強制的に対立せしめるということから今日の文化の混乱が惹き超されたのである。それ故に文化の混乱に対する責任はこのような無理を敢えてする日本主義者にあると言わねばならない。今日一部の自由主義者が我が国における文化の混乱を日本的なものと西洋的なものとの間において認めるとき、彼等はすでにファッシズムに対して妥協しているものであると考えられるであろう。勿論、過去の日本の文化のあらゆるものが滅んだのではない。しかし滅んでいないものはいわば永遠のものであり、このようなものとして単に過去のものでなくて我々自身のものであり、従って我々はそれを殊更に「日本的なもの」として区別して誇張せねばならない理由もないわけである。またもとより、日本の文化のうちにおいて統一と融合とに向いつつあったものにおいて、強制的に「日本的なもの」を、そしてこれに対して強制的に「西洋的なもの」を区別して考えてみることが全く無意味であるというのではない。しかしそれは一層美しい調和、一層高い統一を求めるためにのみ意味のあることである。

更に勿論、今日の日本においても、この場合には西洋におけると同様の事情のもとに、現在すでにある程度まで日本的なものと西洋的なものとを調和し統一することによって成り立っている日本の文化そのもののうちにある混乱が生じていることは確かである。しかしこのような混乱は、マルクス主義者によれば階級対立に基くものとして説明されるように、決して単に日本的なものと西洋的なものとの間の混乱として方式化され得る種類のものではないのである。

このようにして常識的に文化の「混乱」と言われるものの原因が明かになったとすれば、今日我々の文化がおかれている状態について、我々は憂慮せざるを得ないであろう。幕末明治以来先人が幾多の苦心と犠牲とによって折角ここまで築き上げて来た我々の文化が破壊されてしまうことになりはしないかがおそれられるのである。もとよりいかなる日本主義者といえども日本の文化からあらゆる西洋的なものを排除しようとは考えないであろう。工業や軍備は西洋的な科学と技術とを基礎にしなければならないことにおいて彼等に異論はないであろう。もしそうであるとすれば、他の文化もこれに適応したものにすることが必要である。言い換えれば、日本的なものと西洋的なものとが乖離することなしに統一に向ってゆくことが大切である。それなのに一方工業や軍備においては西洋的なものを発達させながら、他方その他の文化においては日本固有のものに固執しようとすれば、そこに諸文化の間の有機的統一の破壊が生じる。このことこそ文化にとって、最も危険なことである。このような状態においては文化は頽廃せざるを得ないであろう。実際、今日我が国の文化において頽廃的なものがそれに原因していることは稀でないのである。日本主義者の言うように、機械文明に支配されるのでなく機械文明を支配することは大切であろう。それなのに機械を支配し得る精神は抽象的に機械に対立したものでなく、かえって機械を作り得るような精神でなければならない。即ち科学的精神を排斥するような日本精神は結局機械に負かされてしまう他はない。

国粋主義は日本のみでなくナチスにおいても盛んであり、日本のものは多くの点においてドイツのそれの模倣である。国粋主義はドイツにおいても種々の弊害を生じているのであるが、日本の場合その弊害は更に大きいであろう。なぜならドイツの場合、ユダヤ的文化を排斥したり非合理主義を唱道したりするにしても、自国に既に久しい以前から科学的文化の伝統が存在し、その伝統のカによって科学的精神は持続することができる。しかし日本においてはこのような伝統が未だ浅い故に、今ここで西洋的なものを排斥することは文化を根本から破壊してしまう危険をもっているのである。

言論統制と精神の自由

北支事変の勃発と同時に、政府はジャーナリズムの代表者を集めて懇談した。その内容の詳細は分らないが、その結果が言論の統制となって現われたことは事実である。すでに数年前から言論の統制は次第に強化される傾向にあったのであるが、今や事変を契機としてそれが一段と強化されることになったのである。一度強化された以上、それが事変の終結と共に緩和されるであろうと考えることは、甘い空想に過ぎないかも知れない。

この重大時におい て言論の統制が行われるのはやむを得ない ことであろう。 しかしまた翻って考えるならば、この重大時に当っては国民が時局の真相を十分に認識することが大切であり、そのためには先づ報道の自由が要求されるのである。もとよりそれは無制限の自由ではあり得ない。しかし時局の真相を伝えるに足りるだけの報道の自由は必要である。時局の真相が分らないようでは「時局認識」を深めようにも深めようがない。統制の強化のために事件の一部分一方面が伝えられるのみで全般が伝えられない場合には、真相は掴めないであろう。また検閲の強化のために報道が遅れるようでは事件に対して的確な判断を下すことができないであろう。

政府は国民に向って「時局認識」を深めることを要求している。それは極めて当然なことである。時局に就いて正しい詔識がなければ、国民は完全に協力することができないであろう。しかし国民に認識を要求するならば、その認識に達するために必要なものを国民に知らせることを忘れてはならないであろう。 然るに実際は「時局認識」の重要性がしきりに説かれるようになって以来かえってその認識に欠くことのできない報道がますます不足してゆくように感ぜられてはいないであろうか。
この重大時に当って言論の自由が拘束されるのはやむを得ないことであろう。しかしまた他面から考えるならば、このような重大時には衆智をあつめて遺憾なきことを期することがいよいよ肝要なわけである。衆智をあつめるためには言論の自由が許されねばならない。もとより無制限な自由が可能であるとは考えない。しかし国民の批判を聞くということは政府としても万全の策を立てるために大切なことである。いづれも国を思ひ国を憂うるの至情から出たものである限り、たとえ反対者の意見であるにしても、それから学び、それを利用しないようでは真の政治は行はれ難いであろう。他人の口を塞ぐことは自己を無智ならしめることである。 自分に都合の好い ことしか耳に入れないようにすることは危険であるといわなければならない。批判を通じてのみ真の認識に達することができるのである。

もっとも、日本人は、政府が統制を唱えると、必要以上にそれに対して過敏になる傾向がある。そうでなくても、言論の統制が行われれそうな気配があると、日本人は自分から自然に統制されていくという傾向を持っている。日本ほど政治の行いやすい国はないということも出来るであろう。日本人のこのような性質は何処から来ているのであろうか。

誰もが先づ挙げるのは、日本において自由主義が十分に発達するに至らず、従って日本人は自由というものを真に味ったことがないということである。これは確かに重要な理由であろう。日本人は確かに自由を経験したことがない故に、たとえ言論の自由が存在するとしても、自己の個性的な意見をしっかりと持っている者は稀であって、大抵は事大主義的に権力のある思想や流行になっている思想に追随していくのである。即ち言論の自由がある場合にも精神の自由はないのである。精神の自由といえば、直ちに個人主義とか自由主義とかといわれ、すでに時代遅れの思想のようにいわれであらう。それが自由主義の産物であるにしても、自由主義のすべてが廃棄すべきものであるのではない。自由主義のうちにも勝れたものがあり、一部の真理が含まれているのであって、それを正しく継承するのでなければ今後の真の文化は発展し得ないのである。日本人には精神の自由が乏しい故に、言論の自由が興ヘられてもそれを十分に利用し得ず、また言論の自由が奪われてもそれほど苦痛に感じないのである。挙国一致も附和雷同では困るであろう。精神の自由が欠けている場合には、何かの具合である思想に全部一致していても、事情が少し変って来ると、今度は全部の者が全く反対の思想に感染してしまうということも生じるのである。

精神の自由と言論の自由とは区別されるべきものであるが、両者はまた互に関連している。精神の自由がなければ言論の自由も死んだもの、意味のないものになるであろうし、言論の自由がなければ精神の自由も発達し得ないであろう。我が国において必要なものは言諭の自由のみでなく精神の自由であり、しかし精神の自由を発達させるためには言諭の自由が許されることが必要なのである。

日本のインテリゲンチャが容易に統制されるのみか、自ら進んで統制に応じる傾向を有するという理由には、また例えば彼等の生活程度が低く、つねに生活に脅かされているということもあるであろう。そしてそのこととも関連して考えられる一層重要な理由は、日本のインテリゲンチヤの活動の範囲が狭いということである。例えば、ドイツではナチスの政策に依って多敵の学者が大学から追放された。それらの学者はあるいはイギリスへ、あるいはアメリカへ行って、相変らず学者として活動を続けている。中にもアメリカに渡った者は多く、そのためにアメリカの学問は現在注目すべき発達を遂げつつある。ナチスのユダヤ人追放によって得をしたのはアメリカであり、損をしたのはドィツ自身である。

ところで仮に日本のインテリゲンチャが同様の事情におかれたと想像する場合、彼らは一体何処へ行きうるであろうか。学問や芸術の有する本質的な国際性にもかかわらず、彼等は恐らく行くベきところがないであろう。いづれにしても日本のインテリゲンチャにとって活動の範園の狭いということが彼等の精神の自由にとって妨害となっている。日本の学者や芸術家にしても、支那において活動の天地が興えられているとしたならば、事情はよほど変わってくるであろう。その場合には彼等の学問や芸術の性質も変わってきて、一層国際性を有するものとなって来るであろう。精神の自由は文化の国際性の意識とも結び附いている。このようにして現在の支那問題の発展は日本のインテリゲンチャにとって注視すベき重要な問題であるのである。

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