ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

芥川龍之介の『猿蟹合戦』

2008-11-18 13:37:48 | ときのまにまに
面白い本に出会った。と言っても、もちろん朝日新聞(2008.11.16)の読書欄で紹介されていたのであるが、アマゾンに注文する暇も惜しんで、すぐに近くの本屋で買ってきた。佐藤卓己著『輿論(よろん)と世論(せろん)」(新潮選書)である。読み始めたら止まらないほど面白い。しかし、内容が緻密なので、なかなか前に進まない。まだ、本のはじめの方であるが、要するに、昔は輿論と世論とは全然別な概念であったのに、漢字制限のお蔭で、世論と輿論との境界線が曖昧になっている、ということの分析である。
この本のはじめの方に、芥川龍之介の『猿蟹合戦』という短編が紹介されていた。ちょうど、この本が輿論と世論とが合間になる時代の作品で、著者の佐藤氏は、「芥川は、『輿論の世論化』を意図的に戯画化して見せたと見ることも可能だろう」(30頁)として紹介している。わたしはまだこの作品を読んでいなかったので、早速ネットで検索し拾い出して読んだ。非常に面白い。さすがに芥川の作品である。それで、かなり古い文章であるし、ちょっと危ない表現もあるので、現代文に書き改めてみた。
以下、芥川の『猿蟹合戦』の再話である。
『猿蟹合戦、その後』(原作:芥川龍之介、再話:文屋)
皆さんは、あの猿蟹合戦のおとぎ話はご存じですね。猿からお握りをだまし取られた蟹が、臼と蜂と卵の協力を得て、憎き猿に仕返しをしたあのお話です。いまさら、その話を繰り返すつもりはありません。それよりも、その後、蟹とその仲間がどうなったのか、という後日談をお話ししましょう。そのことについては誰も口を閉ざし、蟹は穴の中で、臼は台所の土間の隅で、蜂は軒先の蜂の巣で、卵は籾殻の箱の中で、平穏な生涯を送ったかのように装っています。しかしそれは嘘です。彼らは仇を取った後、警官に逮捕され、監獄に放り込まれ、裁判にかけられました。一審、二審、最高裁と裁判は続き、最終的には主犯である蟹は死刑になり、臼、蜂、卵たちも共犯者として無期懲役の判決を受けました。おとぎ話しか知らない読者は彼らのこのような運命を不思議に思うかもしれませんが、これは事実です。少しも疑いのない実話です。
蟹自身の訴えによりますと、お握りと柿と交換いたしましたが、猿は熟した柿ではなく、青い柿しかくれませんでした。しかも、それを蟹に向けて力強く投げつけて、怪我をさせたました、とのことです。しかし、裁判所では蟹は猿との間に文書による契約書を交わしていないこと、おまけに、お握りと交換したという柿について、熟した柿とは言っていないこと、最後に青い柿を投げつけられたというが、猿に悪意があったかどうか、その辺の証拠は不十分であるということでした。蟹を弁護した雄弁な某弁護士も、裁判官の同情を乞うよりほかに、方策がないということでした。弁護士は気の毒そうに、蟹の泡を拭いながら、「あきらめてください」と言ったそうです。もっともこの「あきらめてください」という言葉が、死刑の宣告を意味していたのか、あるいは高い弁護料のことをさしていたのか、はっきりしていません。
マスコミの報道も、蟹に同情を寄せたものはほとんどなかったようです。蟹が猿を殺したのは私憤の結果で、しかもその私憤は自分の無知と軽卒を棚に上げて、猿が利益を独占したことに腹を立てただけのことである、といった論調でした。優勝劣敗の世の中で、この種の私憤を持つことは、馬鹿かあるいは狂っているとしか言いようがない、という批判がマスコミを支えた輿論であったものと思われます。実際、商業会議所会頭某男爵などは、このような輿論に加えて、蟹が猿を殺した背景には、多少は流行の危険思想の影響が見られるなどと論評していました。そのためか、蟹の仇打ち以来、某男爵は身辺護衛のSPや、どう猛なブルドッグを十頭飼ったそうです。
また蟹の仇打ちはいわゆる学識文化人の間でも不評で、大学教授某博士は倫理学上の見地から、蟹の猿を殺したのは明らかに復讐の意志によるもので、復讐は善くない、と発言しています。さらに、社会主義の某首領は蟹は柿とかお握りとかいう私有財産にこだわっており、それに同調した臼や蜂や卵なども反動的思想を持っていたのであろう。ことによると彼らを後押ししていたのは、国粋会かも知れないと語ったそうです。宗教界からは、某宗派の管長某師は蟹は仏慈悲を知らなかったらしい。たとい青柿を投げつけられたとしても、仏慈悲を知っていさえすれば、猿の所業を憎む代りに、かえってそれを憐んだであろう。ああ、今から思えば一度でもいいから、わたしの説教を聴いていたら、と言って、嘆いたとのことです。
その他にも、各方面からいろいろと批評する名士たちがいましたが、いずれも蟹の仇打ちには不賛成の声ばかりだったと言われています。そういう中で、たった一人、蟹のために気を吐いたのは酒豪兼詩人の某代議士でした。彼は蟹の仇打ちは武士道の精神と一致すると言っておりましたが、こんな時代遅れの議論には誰も注意を払わなかったようです。むしろ、週刊誌などのゴシップ記事によると、その代議士は数年前、動物園を見物中に猿に小便をかけられたことで恨んでいたそうです。
おとぎ話しか知らない読者は、悲しい蟹の運命に同情の涙を落すかも知れませんが、蟹の死を気の毒に思うのは、幼稚なセンティメンタリズムにすぎないとし、世間一般は蟹の死刑は当然であると認めていました。現に死刑の行われた夜、判事、検事、弁護士、看守、死刑執行人、教誨師たちはみんな48時間熟睡したそうです。その上、彼らはみんな夢の中で、天国の門を見たそうです。彼らの話によると、天国は封建時代の城に似た百貨店みたいであったということです。(原作:大正12年2月)
原著者は、この跡、蟹の家族の事情を語っているが、あまりにも「差別的」な表現が多く、現代語に言い換えにくいのと、話しの主旨に大きな影響はないと思われるので、省略した。

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