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「荒野の預言者ヨハネ」をめぐる断想

2015-12-06 14:45:13 | 説教
「荒野の預言者ヨハネ」をめぐる断想

「荒野の預言者ヨハネ」をめぐる断想  (降臨節第2主日のテキスト ルカ3:1~6 )

先ずはじめに、古い祈祷書では降臨節第2主日は「聖書の主日」と呼ばれ、イエスの誕生に向けての聖書の意味が強調されていた。特祷でも「我らを教うるために聖書を記させたまいし主よ、願わくは、これを聞き、これを読み、ねんごろに学び、かつ味わいて魂の養いとなさしめ給え」と祈られていた。この特祷は現行祈祷書では「聖書を読む前の祈り」として残されている。
現行祈祷書ではこの主日は預言者の働きに重点がおかれ、福音書日課ではA年(マタイ3:1~12)、B年(マルコ1:1~8)、C年(ルカ3:1~6)と3年とも洗礼者ヨハネのことが取り上げられている。

1. イエスの時代はいつから始まるのか
イエスによる救いの業はイエスの生涯のうちでどの時点から始まるのかということは原始教団、とくに福音書記者たちにとって一つのテーマであった。最初の福音書を書いたマルコは洗礼者ヨハネの活動を「福音の初め」(マルコ1:1)とする。マタイはイエスの誕生、厳密にはマリアの聖霊による受胎から物語を始める(マタイ1:18)。ルカは洗礼者ヨハネの奇跡的な誕生から物語を始めるが、洗礼者ヨハネ自身は旧約聖書の時代に属する預言者であるとする。言い換えると、旧約聖書の預言の時代は洗礼者ヨハネで終わると考えているようである(ルカ16:16)。イエスが公に活動を始めるのは洗礼者ヨハネの投獄の後である(ルカ3:20)。
歴史家としてのルカにとってイエスの時代は非常に重要である。ルカ福音書全体を通して明らかになる点ではあるが、先取りしておくとルカにとって救済史(人類の救済に関する神の計画)は、(1)旧約聖書の時代から始まり、(2)イエスの時代を中心として、(3)使徒時代を経て、(4)現代(ルカにとっての「今」)に至り、(5)終末を迎える。
この時代区分は時間(期間)の配分という点から見ると非常にアンバランスである。(1)の時代は数千年を単位とする期間であり、(2)はイエスの誕生から数えるとしてもせいぜい30年程度、厳密にはイエスの活動の期間として3年足らずである。更にイエスの復活から昇天までの40日プラス、ペンテコステ前の10日が移行期で、(3)の使徒時代となりおよそ30年から40年程度、紀元70年のエルサレムの陥落以後現代に至る。最後の期間はまだ終わっていないがもう既に2000年を経ている。
ルカの頭の中にある時代区分は以上のようなものと思われる。これを確かめながらルカの救済史を学ぶ。この救済史観の中心はイエスの時代であり、この期間、悪魔はイエスを離れる(4:13~22:3)。

2. 非ユダヤ人キリスト者の視点
洗礼者ヨハネについて論じる前に著者自身の視点について確認しておきたい。考えてみると新約聖書の著者たちの中で明らかに非ユダヤ人はルカだけである。「異邦人への使徒」と自ら規定するパウロも典型的ユダヤ人であるし、ヨハネ文書の著者群にせよ、ヘブライ書の著者にせよ、ヤコブにせよ、第2次パウロ書簡群の著者たちについては非ユダヤ人かユダヤ人かは不明であるが、少なくともルカだけは明らかに非ユダヤ人である。その意味では原始教団におけるユダヤ人との確執や洗礼者ヨハネの集団との関係等ユダヤ人特有の議論にはルカは加わらないだけではなく、むしろ冷ややかに見ているように思われる。この点については結論を急ぐ必要はないであろうが、ここでは問題だけを指摘しておく。なぜなら洗礼者ヨハネに対するルカの姿勢の中にそれを感じるからである。その意味からルカはマルコ1:5の「ユダヤの」という地理的制限を削除する。ヨハネの元に集まってきた人々は地理的限定のない「群衆」(3:7)である

3. 洗礼者ヨハネと時代背景
洗礼者ヨハネについてルカ福音書における取り扱いの著しい点は、あの特徴ある風貌がほとんど取り上げられていない点である。マルコは次のように描く。「ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた」(1:6)。マタイもそれをそのまま継承している(3:4)。ところがルカはそのことについて一切触れない。その理由ははっきりしない。この風貌については列王記下1:8のエリヤの特徴をそのまま写している。その意味ではユダヤ人にとってはそれこそが預言者の典型的なイメージであるが、ルカはそのことにはあまり関心はないようである。異邦人が対象である文書にとってはそれはほとんど無意味であると思ったのか。
歴史家ルカはこれから描こうとするイエスの活動舞台である地域の年代と政治的宗教的状況をさりげなく「皇帝ティベリウスの治世の第15年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った」(3:1,2)と述べる。これは紀元でいうと28~29年で、ローマの総督ピラトのもとで、ガリラヤ地方、トラコン地方、アビレネ地方の3地域に分割され、複雑な政治的状況を示す。また本来一人であるべき大祭司が2人いたという事実も無視できない。
この地域の住民の大半を占めていたユダヤ人の日常生活にとって大祭司の権力は絶大で、いわば「王的存在」であった。大祭司アンナスは紀元6年から15年まで大祭司として権力をふるっていたが退職後も5人の息子と孫を次々と大祭司職につけて背後から彼らを操っていた。洗礼者ヨハネとイエスが活動した時期はカイアファ(アンナスの娘婿)が大祭司職に就いていた(在任18~36年)。
ルカは「神の言葉が荒れ野でヨハネに降った」(3:2)と言う。なぜその時ヨハネは荒れ野にいたのだろうか。1: 80によるとヨハネは「人々の前に現れるまで荒れ野にいた」とだけ述べられている。あたかも荒れ野がヨハネの出身地であったかのような表現であり、そこで神の言葉を聞き、「ヨルダン川の沿岸」地方に出てきたとされる(3:3)。
ヨハネが「荒れ野」出身であるということとクムラン共同体(エッセネ派)との関係について一言述べておく。多くの研究者はこの「荒れ野」とは死海の西北岸の山岳地帯にあったとされる。そこにはエッセネ派の共同体があり、祭司の子であるヨハネは幼いときからこのクムラン共同体に預けられ、そこで育ったのではないかと推測される。ヨハネの宣教と活動の中心であった洗礼という宗教儀式ももともとこの共同体で行われていた「清めの儀式」との関係が濃厚である。クムラン共同体が生み出したいわゆる「死海文書」は、黙示思想的傾向が強く、終末審判の到来を熱く説いていた。この思想はヨハネの「差し迫った神の怒り」(3:7)の説教に示されている。ヨハネはクムラン共同体の一員であったということはほぼ明らかであるが、少なくとも彼は「神の言葉」を受けてクムラン共同体から「出た」のである。イエスとヨハネとの関係を考える場合、この点を無視できない。
ヨハネが人々の前に登場したことについての叙述はマルコ福音書とはかなり異なる。マルコによると洗礼者ヨハネは「荒れ野に現れ」(マルコ1:4)であり、「ヨルダン川で」(同1:5)人々の洗礼を授けたとされる。マルコとルカとの叙述に違いはかなり重要である。この点ではマタイはほぼマルコに従っている。ヨハネの元に集まってきた人々についての叙述においてもマルコとルカとではかなり異なる。マルコは「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆」(マルコ1:5)であるのに対してルカは意識的にその規定を省きただ「群衆」(ルカ3:7)という。つまりルカにおいてはヨハネの教えに従って洗礼を受けた人々はユダヤ人とかエルサレムの人たちに限定されない。ただし洗礼を受けなかった人々についてはわざわざ「ファリサイ派の人々や律法の専門家たち」(ルカ7:29)と明記する。さらに重要な点はマルコにはないヨハネの説教が詳細に記録されている点であろう(3:7~17)。もう一つ付け加えるならば、ルカ福音書においてはイエスの受洗の場面で洗礼者ヨハネの名前がないということも注意しておく必要がある。
ルカの時代区分によると洗礼者ヨハネは旧約聖書時代とイエスの時代との間に立っている。というよりもむしろ旧約聖書時代の最後の預言者として位置づけられている。「律法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくでそこに入ろうとしている」(ルカ16:16)。
ルカは成人した洗礼者ヨハネについて「神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った」(3:2)という言葉で語りはじめる。この言葉はルカにだけしか見られないし、ヨハネが祭司ザカリアとアロン家の娘エリザベトの息子であると記録、さらにはその出生の奇跡物語など、旧約聖書時代を代表する預言者のイメージを備えている。さらにイエスもヨハネについて「預言者、そうだ、言っておく預言者以上の者である」(7:26)と言い、「女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない」(7:28)とまで言っている。
要するにルカにとって洗礼者ヨハネは旧約聖書時代(律法と預言者の時代)の預言者の最後の預言者として位置付けられている。というよりも洗礼者ヨハネは旧約聖書のすべての預言者を一人格に圧縮した預言者であり、彼によって旧約聖書時代がイエスの時代へと繋がれている。
他方、ヨハネとイエスとの年齢差を6ヶ月とするのはルカのみで、ルカは厳密にはヨハネとイエスとは同時代人として描く(1:26)。従ってルカにとってヨハネはイエスの先駆者であるというよりも旧約時代の預言者という意味で「先に遣わされた使者」(7:27)である。

4. 本日のテキスト
さて本日のテキストは3:1~6である。3:1~2aは既に述べたとおり時代と場所とを示す言葉であり、2b~6が本日のテキストの本文である。この部分は基本的にはマルコ福音書を下敷きにしている。なお、4~6は旧約聖書からの引用である。構造的に見ると、マルコとルカとでは全半と後半とが差し替えられ、マルコでは旧約聖書が前にあり、ルカでは後半におかれている。マルコの本文は「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」(4)であり、ルカはそれを「神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこでヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」と書き換えている。
先ず注目すべきことは、ルカはマルコの「荒れ野に現れて」を「ヨルダン川沿いの地方一帯に行って」と書き改めている。これはまさに逆方向の動きである。マルコにおいては洗礼者ヨハネは「荒れ野に」現れ、ルカにおいては「荒れ野から」出てきた。ヨルダン川のほとりは決して荒れ野ではない。むしろ人々が憩う場所である。ヨハネは荒れ野から人々の集まるところに出てきて語る。このことが何を意味するのか非常に興味深い。
そこで洗礼者ヨハネは「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」という。この文章においては「罪の赦し」と「悔い改め」との関係が問題である。原文では「罪の赦しに至る悔い改め」ということであって、要するにヨハネがしていたことは「悔い改めの洗礼」を受けたら「罪の赦しに至る」という説教であり、ただ語るだけではなくて実際に洗礼を施していたということであろう。この点についてはルカもマルコも全く同じである。この点でマタイ福音書は明快である。「荒れ野で宣べ伝え、『悔い改めよ。天国は近づいた』と言った(マタイ3:2)。「天国」つまり「罪の赦し」「近づいているから」「悔い改めよ」。
ルカとマルコが著しく異なるのは旧約聖書からの引用である。
マルコは次のように言う。
<預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ』。>(1:2~3)。
マルコはイザヤの書(40:3)を引用していると言いながら、実はそれにマラキ書3:1の言葉を混入させている。ルカにとってはそれは我慢が出来なかったのか、マルコの文章を次のように書き改めている。
<これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る』。>(3:4~6)
つまりルカはマラキ書の「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう」という部分を削除し、逆にイザヤ書の続きの部分「谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る」を書き足している。要するにルカは洗礼者ヨハネをイエスの先駆者であるというイメージを消すと同時に「道をまっすぐにする」という意味を明確にする。ルカにとってヨハネの使命は「谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る」。まっすぐという意味は「でこぼこをなくす」という意味であり、その結果すべての人が神の救いを仰ぎ見るようになるという点が重要である。要するにユダヤ人と異邦人との差別を取り除き、すべての人々への福音を準備する。従って洗礼を授けてもらおうとして出てきたのは「群衆」(3:7)であり、「民衆は皆」(3:21)洗礼を受けたのである。

5. 「悔い改めの洗礼」
当時、エルサレムの神殿の「腐敗した祭儀」を強く批判し、「荒野に出て」、神の律法に厳しく従い、理想的な生活を求めて、共同生活をする集団があった。それがクムラン共同体である。この共同体の生活規律を記した文書によると、「(私たちは)、不義の者どもの集会から離れて荒野に行き、そこで神の道を清めねばならない。『君たちは荒野に神の道を備え、砂漠でわれわれの神のために大道をまっすぐにせよ』と書かれているように」。要するに、彼らは荒野で、律法の研究と遵守をすることが、イザヤのいう「神の道を整えること」であると考えた。恐らく洗礼者ヨハネはこの共同体の一員であった。洗礼は、この共同体で行われていた日常的な宗教行事で彼らはそれを「清めの洗礼」と称し、ほとんど毎日繰り返していた、といわれている。それは神道でいう「禊ぎ」、あるいは「斎戒沐浴」である。律法を研究し、遵守するためのいわば準備で、体を清めて律法に向かうのである。
クムラン共同体における洗礼に対して洗礼者ヨハネは大きな革新を行った。つまり洗礼を一生に一度だけの「罪の赦しのための悔改め」の儀式としてとしたのである。つまり洗礼そのものが「悔改めの印」であり、それ自体が「神の道」を整えることとしたのである。ここで言う「悔改め」とは、「反省」とか「懺悔」というようなことではなく、「生活の変革」「廻れ右」ということである。「神に反して生きる」ということから「神に向かって生きる」という方向転換、これが悔改めということである。

6.キリスト教における洗礼
ここでキリスト教における洗礼について触れておかない訳にはいかない。
キリスト教における洗礼はヨハネの洗礼をさらに発展させたものである。ヨハネの洗礼においては生き方を変えようという人間の意志が問われている。その意味では、単なる儀式ではない。問題は人間はそう意志すれば、そうなるのか。意志の通りに人間は生きることができるのか。確かに、反省はある。決断もある。しかし、それらはすべて人間の意志である。その人間自体は変えられていない。方向は転換し、生き方も変わったかもしれない。しかし人間自体は変わっていない。そのような悔改めはやがて破綻する。
キリスト教会における洗礼とは「古い私が死んで、新しい私によみがえる」という「死と復活」の儀式である。方向転換する主体が入れ替わる。弟子たちはイエスと共に生きることによってそのことを経験した。特にイエスの十字架という出来事と復活という経験をとおして、「新たに生まれる」ということを経験した。このようなヨハネとイエスとの関係が古代の教会において「わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる」(マルコ1:8、マタイ3:11、ヨハネ1:31~33) という言葉に定式化された。使徒パウロは次のように語る。「キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、その死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」(ロマ6:3-4)。

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