カール・バルトやボンヘッファー等神学者がローズンゲンを愛用していたことは、それ程驚くべきことではないでしょう。しかし、鉄血宰相として有名な政治家ビスマルク(1815年4月1日~1898年7月30日)がローズンゲンの愛用者であったということにはニュース性があります。歴史家アルノルト・O・マイヤーはビスマルクの信仰とローズンゲンとの関わりを研究し、「ローズンゲンに映ったビスマルク」(1933)という研究書を著しています。それによりますと、ビスマルクはその生涯を通して何10年間も、毎日規則的寝る前にローズンゲンを読んでいたという事実を明らかにしています。このことが明らかにされて、ドイツではローズンゲンの愛用者が一挙に増えたと言われています。
ビスマルクはローズンゲンを短い日記代わりに愛用していたらしく、政治的なこと、森や樹木についての感想、四季の移りゆき、天候についての記述など、いろいろなことをメモのように書き込んだとのことです。
例えば、1869年4月10日の新約聖書の聖句には全文アンダーラインが強く引かれ、感嘆符まで付けられていました。その言葉はペテロ第1の手紙2:19で「不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです」という言葉でした。ここにビスマルクの葛藤とそれを克服した力の秘密があったようです。同じように、1889年8月20日の頁には「主は、あなたがすべてのことを理解できるようにしてくださるからです」(2テモテ2:7)の言葉に対して「主がそうしてくださることを」という書き込みをしています。また、1877年2月21日の頁には使徒パウロの警告「自分を賢い者とうぬぼれてはなりません」(ロマ12:16)にも下線が引かれています。
時には非常に激しい言葉も見られます。1878年6月に皇帝ヴィルヘルム一世の暗殺事件(未遂)があった当日の頁には「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」(マタイ10:28)の聖句があり、彼はここにも下線を引き、その下に大きな字で「しかし、彼らは悪党だ」と書き込みをしています。
年若い皇帝ヴィルヘルム二世が即位して間もない頃、皇帝と対立したビスマルクは突如宰相を辞職しますが、その8日後、1890年3月28日の頁に「わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう」(マタイ26:31)の聖句に下線が引かれ、大きな疑問符が書き込まれます。
以上、宮田先生の「御言葉はわたしの道の光」からの荒っぽい引用ですが、これらを読んでいて気づくことは、ビスマルクは旧約聖書の聖句よりも新約聖書の「教えのテキスト」に心は向けられていたようです。
人間が権力を持つということは非常に恐ろしいことです。従って、強力な権力を持てば持つほど、何かに頼らざるを得ません。ローズンゲンを読むということは、自己の弱さを自覚することです。鉄血宰相といわれ、国際舞台で政治的駆け引きに明け暮れしたビスマルクにとってローズンゲンは1つの道しるべであったことは間違いなさそうです。逆に言うと、それだからこそ、権力を思う存分振るえたとも言えます。
次回は、第1次世界大戦の時ドイツ軍の最高参謀長として戦争を指導したルーデンドルフ(1865年4月9日~1937年12月20日)の場合を取り上げます。
ビスマルクはローズンゲンを短い日記代わりに愛用していたらしく、政治的なこと、森や樹木についての感想、四季の移りゆき、天候についての記述など、いろいろなことをメモのように書き込んだとのことです。
例えば、1869年4月10日の新約聖書の聖句には全文アンダーラインが強く引かれ、感嘆符まで付けられていました。その言葉はペテロ第1の手紙2:19で「不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです」という言葉でした。ここにビスマルクの葛藤とそれを克服した力の秘密があったようです。同じように、1889年8月20日の頁には「主は、あなたがすべてのことを理解できるようにしてくださるからです」(2テモテ2:7)の言葉に対して「主がそうしてくださることを」という書き込みをしています。また、1877年2月21日の頁には使徒パウロの警告「自分を賢い者とうぬぼれてはなりません」(ロマ12:16)にも下線が引かれています。
時には非常に激しい言葉も見られます。1878年6月に皇帝ヴィルヘルム一世の暗殺事件(未遂)があった当日の頁には「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」(マタイ10:28)の聖句があり、彼はここにも下線を引き、その下に大きな字で「しかし、彼らは悪党だ」と書き込みをしています。
年若い皇帝ヴィルヘルム二世が即位して間もない頃、皇帝と対立したビスマルクは突如宰相を辞職しますが、その8日後、1890年3月28日の頁に「わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう」(マタイ26:31)の聖句に下線が引かれ、大きな疑問符が書き込まれます。
以上、宮田先生の「御言葉はわたしの道の光」からの荒っぽい引用ですが、これらを読んでいて気づくことは、ビスマルクは旧約聖書の聖句よりも新約聖書の「教えのテキスト」に心は向けられていたようです。
人間が権力を持つということは非常に恐ろしいことです。従って、強力な権力を持てば持つほど、何かに頼らざるを得ません。ローズンゲンを読むということは、自己の弱さを自覚することです。鉄血宰相といわれ、国際舞台で政治的駆け引きに明け暮れしたビスマルクにとってローズンゲンは1つの道しるべであったことは間違いなさそうです。逆に言うと、それだからこそ、権力を思う存分振るえたとも言えます。
次回は、第1次世界大戦の時ドイツ軍の最高参謀長として戦争を指導したルーデンドルフ(1865年4月9日~1937年12月20日)の場合を取り上げます。