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■老人の覚悟

2022-07-09 | ●中西語録

⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️老人の覚悟⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️ 

 
   中西英樹
タイ・ロングスティヤー(チェンライ在住)

⬛️⬛️「機能は衰えていく
浦島太郎は東南アジアのどこかの島に流れ着いたのだろう、と
書いたことがある。
チェンライには、厳密にいえば季節はあるが、日本のように四季
の移ろいをしみじみと感じることはない
概ね同じ服装で、年間を通してバナナやスイカを食べている。
カレンダーがなかったら、いつ正月が過ぎて、いつ春がきたのか
わからない。月日の経つのも夢の内、気が付いてみたら、玉手箱
をあけなくても白髪のおじいさん、というわけだ。


今、週に数日のコート通いを続けていると、こちらに移住して
きた頃とあまり生活のリズムは変わっていないような気がする。

でもそれなりに馬齢を重ねているわけで、テニスだって昔と違っ
てあと一歩でボールに追いつけない、というか最初の一歩を踏み
出す時に一瞬の遅れがある。しょーがないよ、とは思うがちと悔
しい。

まだ自分はいい方かもしれない。友人、知人のメールを見ると、
愕然とすることがある。杖をついても出歩けるならいいが、それ
もままならない友もいる。自分だっていつそうなってもおかしく
ない。

東京にいるときに図書館で、老後に関する本を何冊か借りた。
三浦朱門、曽野綾子夫妻は気高く生きる老人の見本である。ご夫
妻のここ10年の!エッセイ集の内容はほぼ一貫している。老人に
対する助言、戒め、励ましであるが、不思議と退屈ではない。
曽野さんほど立派な老後を生きられる(生きている)かどうかわ
からないが、自戒のためにもいくつか引用してみたい。

                                                                                          (出典:祥伝社)
⬛️⬛️「戒老録曽野綾子著より(1)
老年は 自分で幸福を発見できるかどうかに関して責任がある
食うや食わずの貧困の中で暮らす人々を、私はたくさん見た。
今日、食べるものがない人にとって、夕飯に一切れのパンにあり
つくことは、全世界を満たすほどのすばらしい偉大な幸福を手に
することである。
しかし、贅沢に馴れた日本の子供にとって、おかずもなくバター
もないパン一切れを夕食に与えることは、不満と惨めさの極みに
なる。日本の年寄りさえも、このからくりの分からない人が増え
始めた。豊かになればなる程、不満な年寄りは増えるだろう。
社会が整備されればされる程、社会に不満を抱く人も多くなるだ
ろう。老年の幸福は、この判断ができるかどうかだろう。」


子どもの頃、母に「上を見ればきりがない、下を見ればきりが
ない」と言われた。XXちゃんは買ってもらってるよー、と言うと
「よそはよそ、うちはうち」とも言われた。

仏教に「小欲知足」という言葉がある。
「欲が少なくても満ち足りていることを知っている者は安楽であ
り幸せである」という意味だ。 
タイのプミポン前国王も国民に
足るを知る経済」を説き、
タイ貧困層の発展に尽くした。

    (●故プミポン・タイ前国王)JIJJI通信)

我利私欲」「大欲非道」の世界ではあるが、残り少ない時間を
口を尖がらせ、世を呪って過ごす老後は避けたい。


⬛️⬛️戒老録」曽野綾子著より(2)
「年寄りは他人が『してくれること』を期待してはいけない」
昔から、人間の最も基本的な生活態度は自ら自分に必要なものを
取ってくることであり、次に弱い者に与えることであった。

“体の不自由な老女が、毎夜、道に面した窓の傍らに、あかりを
置いて、じっと座っている”という話が、私の記憶の中にある。

それは、そこを通りかかる旅人のためであった。長い道のりを暗
闇の中を歩いてくる人を迎える灯であった。  自然の威圧の中に、
小さなあかりが見える時、旅人はほっと人間の優しさを感じるの
である。・・

他には何の働きもできぬ老女でも、他人に光を与えることによっ
て、彼女自身も他人のために生きるという人間の本質を維持し、
しかもそのことによって、幸せを味わうことができるのである。
明るくすること。心の中はそうでなくても、外見だけは明るくす
ること。明るくふるまうことは、外界への礼儀である」引用終り)


幼児はどうしてあんなに快活なんでしょう、
それに引き換え、年寄りはどうして不機嫌なんでしょう、
それは、幼児は好奇心いっぱい、すべてが新しく面白いことばか
りだから、
年寄りが不機嫌なのはすべて経験した気になって好奇心を失って
いるから、という。

好奇心があっても健康、能力の衰えでそれが叶わず、不機嫌と
いうこともあろう。でもそうなるのは自分の責任ではない、
年のせいなのだから仕方ないと諦めて、せめて周りの人を不愉快
にしない、外見だけでも明るくふるまう、は大切なことだ

自分も「顔で笑って,心で笑って」をモットーにこれからも
頑張っていきたい。
以前、兄や友人に「お前はおめでたい奴だ」と言われたが、褒め
言葉として受け取っている。
  

⬛️ 戒老録」曽野綾子著より(3)
若さに嫉妬しないこと 若い人を立てること

日本の森は、世界でも特殊な照葉樹林を形成しているという。
森の匂いというのは確かに一種独特のものである。それは朽ちか
けた落葉の体臭である。
私は森が好きである。 そこに一人立つと、人間の運命を思う。
声もなく、ひそやかに生きる厳しさを思う。
若葉が芽吹き、それが木を成長させる力となる。 葉はやがて散っ
てもなお土となって、若葉を 木自身を育てる。
人間には二つの時期がある。
育てられる時代」と「育てる時代」と。 
まだ老境の入り口にある人は、自分より高齢の人を立て、年を
とるにしたがって、若い人にその場を譲る気持ちを持つのが自然
である。私は、そのような行為の美しさを、実際に何人もの先輩
から教えたれたのである。
大人の美学は、大局に立って他人にとっていいことのために、自
分を少々犠牲にしてさりげなくしていることである。」引用終り)


社会の中で暮らす個人は森の中の木に例えられる。
永遠に生きる事はなく後代に道を譲っていく。
・「育てられる時代」と、
・「育てる時代」と
曽野さんは言っている。

でも老年になっても若さを追求し、俺は、私は若いと思って飲む、
打つ、買うの生活を続ける。
即ち、薬を飲む、注射を打つ、サプリを買うの生活だ。健康の衰
えは年のせい、テニスだって、3ゲームやりたいと思っても、若い
人が待っていれば2ゲームで我慢する。一方、遅れてコートに来た
のに、待っているタイ人を押しのけて自分が先にプレーするファラ
ンがいる。そういう老人に限って、若いものに負けてたまるか と
全身サーブを繰り出す。でも技量は落ちる一方だ。

若さを競うのではなく実力の範囲で楽しむ、これができない年寄
りはいる。曽野さんの戒めをコートでも実感するくらいだから、
生活の上で自分も一歩下がって若い人を立てているのかと心配に
なる。

⬛️⬛️戒老録」曽野綾子著より(4)
若い世代の将来には、ある程度、冷酷になること
年寄りになればなる程、今よりももっと深く絶望すればいい
のである。決して思い通りにはならなかった一生に絶望し、人間
の創り上げたあらゆる制度の不備に絶望し、人間の知恵の限度に
絶望し、あらゆることに深く絶望したいのである。

そうなってこそ、初めて、死ぬ楽しみもできるというものである。
その絶望の足りない人が、まだ半煮えの希望をこの世につないで、
いろいろなことに口を出す。若い者が、ばかをしでかしてもそれ
はそれでいい。自業自得を体験することも、若者にとっては大切
な資産である。」引用終り)

心の中はそうでなくても、外見だけは明るくすること。
明るくふるまうことは礼儀、と曽野さんは言っているが、誰も心
の中には絶望を抱いている、どうしてあの時、こうしなかったの
だろう、こんな伴侶でよかったのだろうか、ムリしてもあっちの
学校、こっちの仕事についていれば・・・。自分も寝る前に若い
時のことを思い出して舌を噛み切りたくなることがある。


あー、と声が出てしまうこともある。でも、こうしてで飢えず、
凍えず、曲がりなりにも口に糊する身分なのだから、と思い直し
て眠りにつく。朝になって舌がちぎれていたということはまだな
い。でも日本が劣化していくことに耐えられない気持ちがあると
いうことは、まだ絶望が足りないのか。

■■「戒老録」曽野綾子著より(5)
生活の淋しさは、誰にも救えない。 あくまで自分で自分を
救済するしかほかはない。
淋しさは、老人にとって共通の運命で
あり、最大の苦痛であろう。老年というものは、いつか肉体がだ
めになることだ。眼が悪くなった場合、耳が聞こえなくなった場
合、歩けなくなった場合を予測するのだ。 

そして、ついに何もできなくなっても、それで自然だと思うこと
だ。自分の責任でそうなったのではないことには、気を楽にする
癖を初老と言われる年までにつけておくと便利だろう」引用終り)

病院に行くと医師は、正直に「年のせいだから仕方ないね」と
は言わない。
・何か適当な病名をつける。
・それで年寄りは納得する。
・病気なら薬を飲むと治るかと思って飲む。
・飲んでも病気が治らないと医者を恨む。
・散弾銃をぶっ放す人も出てくる。

・年を取れば友人も年賀状も少なくなる。
・これは当たり前、淋しく思うことはない。

年を取ればあらゆる面で衰えるけれど、自分の責任ではない。
そう思うことは大切だ。
尚、認知症になれば淋しさを感じないで済む。
認知症は、神様がくれる最後のご褒美というが、ご褒美を貰える
僥倖は2割しかない。

(出典明示以外の写真は、全てJtiro撮影

 

⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️高齢化の資料⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️ 


⬛️1)日本の景気動向(全資料の出典、ニッセイ経済総合研究所)

 

⬛️2)日本の高齢化の現況

 

⬛️3)本の社会保障の動向



⬛️4)世界と日本の幸福度,2021)

 

 

⬛️5)日本の高齢化と将来予測


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