成道会ブログ

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太気拳の風格

2007-11-21 12:46:00 | 格闘技、武道
 GAKKENより11月発刊の「古伝武術でカラダ革命・7つの法則」に至誠塾の高木康嗣師範が紹介されている。
付録のDVDで動きも見ることが出来る。

 高木先生とは岩間先生の御自宅で一度、3年前の合同稽古で一度、合わせてわずかに二回ほどお会いしたことがある。
最初にお会いした時は、武術家や格闘家にありがちな、どこか周囲を寄せ付けないといった様なギスギスした雰囲気が全く無く「気さくな人だなぁ。この人がよく話を聞かされていた高木先生かぁ。」なんて思っていた。

いずれもさほど深い交流をさせて頂いたわけでもなく、実際の高木先生の動きはビデオしか見た事がないので、あまりわかった様な事が言える訳でもないのであるが、個人的な感想としては明治神宮の頃、更に数年前に岩間先生と共同でビデオに出演されていた頃と比べても、その動きが変容されている様に感じられた。
 
岩間先生とは少し異なるものの、長年、立禅や這いで培われた内勁や、練り上げられた動きには独特の風格が現れている。

 これは、他の太気拳の先生方にも共通していることでどの先生方も動き始めるとそれぞれの風格が現れる。

太氣拳協会の久保勇人先生、拳学会の佐藤聖二先生、太氣会の天野敏先生、気功会の島田道男先生など名立たる太気の先生方は、皆、独特の風格が備わっており、どの先生も皆違う。

 これは太気拳特有の魅力であり、年令に関わらずそれぞれに変化発展する内家拳派の特徴であろう。
術がやがて芸へと昇華していく、言わば「至芸」足り得る魅力が太気拳にはある。
50歳になっても60歳になっても可能性を感じることの出来る武術に取り組むことが出来るのは幸せなことである。

 出来ることならば、諸先生方が一丸となって大会などのイベントを開催される運びとなれば、私共のように地方で取り組んでいる人間で、特に20歳代、30歳代の若い世代にとっては経験を積んでいくといった意味ではよい努力目標となるであろう。

そして大会での勝敗を目標に切磋琢磨する時期を過ぎても、至芸の境地を体現することができる武術家、指導者であらんとすることは、上に立つ者にとってもよいプレッシャーとなり、現役を引退してからは指導者のみとしてしか存在意義を持たない競技者の世界とは一線を画する、太気拳ならではの使える武術、生涯武道、生涯現役としての価値観を提供できるではなかろうか?

 最後に、風格あふれる諸先生方も所詮は皆、澤井先生の薫陶を受けたクレージーなオヤジたちであることは間違いない。

成道会門下生よ、風格あるクレージーな先生方の後に続け!!


空手拳法成道会
http://www.joudou.jp/


成道会における審査会の意義

2007-11-02 11:44:00 | 格闘技、武道
 先日、本村、馬原の両氏が参段に昇段した。
両氏の実力も去ることながら、その武術に対する姿勢、人間性も評価した上での昇段ととって頂きたい。

この機会に、成道会の審査制度についてコメントしておこうと思う。

 空手道は昇級、昇段という各段階におけるランクアップシステムがあるが、太気拳には元々この様な審査制度はなく、普段の稽古を通じて、師範よりある日突然、昇段が言い渡されるといったものであった。

 古来よりの日本武道にも中国武術にも、級位、段位といったものはなく、日本武道であれば免許皆伝、中国武術であれば「・・・年に渡って、○×老師の元で○△拳の修行を積んだ事を証す」といった内容の目録が与えられるようなものであったらしい。

昇級、昇段といったシステムが導入されるようになったのは近代になってからである。

太気拳では、元々審査制度は無く、普段の稽古や組み手を通じて、師が弟子の実力、人間性、将来性等を評価して段位を発行するといったものであった。

成道会は元々は、太気拳の研究団体であったので、従来の昇級、昇段の審査制度はこれまで無かった訳であるが、今年よりこの制度を採用している。

言うまでも無く、級や段位にて、その人のキャリア、実力、団体内での位置付けはおおよそ判断できるし、何より初心者にとっては重要な努力目標となる。
達成すべきハードルが少しずつ上がることで、本人の実力アップにつながるし、次への目標への励みとなる。

 成道会では、実践空手道クラスと太気拳クラス別々に審査を行ない、級を発行している。

 空手道クラスでは、パンチや蹴りの修得度を段階ごとに評価し、初段の認定に際しては、組み手の実力が一定水準に到達しているかどうかを5人連続組み手にて判断する。
従って成道会の初段は皆、実践空手道としての組み手をある程度経験して、ある水準をクリアしているということになる。
そして、空手道クラスのみでの最高位はこの初段である。

 太気拳クラスでは、段位の認定は無く、最高級が1級である。このクラスのみでの組み手も行なわない。
 
ハッキリ言って、太気拳の練習体系について、これを客観的に審査として級判定する等、大変困難である。
長年やっていて、そして実際に審査を実施してみて、つくづくそう思う。
 
例えば立禅に関して言えば、傍から見ていれば、ただジーッと立っているだけである。
しかし、初心者と上級者ではその中身には天と地ほどの違いがあり、それは接触してみて、ある程度はわかるものの、審査としてそれを客観的に把握することは極めて難しい。
立禅が何分立てたから何級等、全くナンセンスである。問題は本人のみぞ知る、その内容である。

その様なわけで、太気拳でこれまで行なわれてきた段位の発行の仕方はある意味正しいと言える。
 
しかし、立禅、這い、練りをキチンと把握出来ているかどうか、そして、探手でどの程度動けているかを評価し、更に推手組み手といった特徴的な攻防がどのくらいこなせるかによって、級を認定することにしている。

その為、太気拳の1級を認定されるということは、その練習体系を把握しており、身体内部(からの動き)の開発がある程度出来ていて、太気拳の全容をその人なりにつかんでいる、ということになる。

 実践空手道クラス、太気拳クラスとも級審査は約4カ月毎に年3回実施する。

 空手道初段で実戦の模擬体験としての組み手ができる、太気拳1級で太気拳の全容を把握できているものとして、この二つをあわせ持って空手拳法成道会としての正式な初段となる。そして、これが弐段以上への受審資格となる。

弐段以上は、平素の練習態度、武術に対する取り組み方、人間性等も評価した上で、本人の了承のもと、適時、審査会を行なう。

ここで大事なことは、段位の認定は組み手の実力も去ることながら、その人物が後に続く門下生の範たり得るものであり得るかどうか、という点と、一社会人としての常識を持っているかどうかも考慮した上で、段位取得の審査受審を認める点である。
どんなに強くとも、その人間性や、平素の言動等にあまりに問題が多く、その評価が得られない場合、段位の受審はあり得ないものと考えて頂きたい。

有段者は、その門派の顔と言ってもよいものであり、強い、弱いということだけでなく、その団体の存在が地域社会への貢献や青少年の健全育成といった社会的意義を持っているかどうかも、有段者一人一人に対する外部からの評価の総和であると考えるからである。

弐段では8人、参段では10人の連続組み手を行い、その実力を評価する。
参段以上は、太気拳の正式な五段練士候補として岩間先生に推薦し、その判断に一任する。
従って、成道会の最高段位は太気拳五段練士である。

 太気拳ではそもそも澤井先生の時代、未経験者が訪れても「空手か柔道でも2~3年やってから又来なさい」と帰らされていたらしい。
つまりは、何らかの武道経験がなくてはとても付いて行けるようなものではなかったとも言える。

 成道会では、その太気拳以前の武道経験に相当する部分を実践空手道として取り組んでいるわけであり、実践空手道と太気拳、それぞれのランクアップシステムを導入することで後進の指導育成がより確実なものとなり、やがてそれらが融合されることが実践性と武術性を兼ね備えた空手拳法の確立につながるものと考えている。

そして、できるだけ多くの会員が審査会を目標とすることで、稽古に対する意欲を持続しつつ、その実力を伸ばし続けていってもらえたならば幸いである。

 最後に、澤井先生が「段は他人が与えてくれるもの、実力は自分でつけるもの」と言われていた事を記しておきたい。

私自身、岩間先生より太気拳の五段練士を頂いているが、これは「現在はその実力が無くても、将来やがてそこに到達する可能性があると判断して」のものである。

段位を取得して、それで目標がクリアできたわけではなく、その段位に対して本当に自分の実力が追いつくべく努力をしなくてはならないのは、言うまでも無い。


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