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成道会の立禅・2

2007-01-29 19:14:00 | 格闘技、武道
 成道会では立禅を指導する際に全くの初心者である場合、とにかく立ってもらうことから始める。最初は肩も脚も張ってきてつらいし、何よりも一定時間ジッと動かずにいることが苦痛だという人が多い。人間は寝ている時以外は何らかの活動をしているのが当たり前である。何も考えずにジーっと立ち続ける等、普通ではありえない事である。

立禅が一体いつくらいに、一体誰が考え出したのかさえも不明となっているが、科学文明が発達していないような大昔に、誰か天才的な人物がそのインスピレーションによって発見したのではないだろうか?それが武術家であったのかどうかも分らないのだが。

 動かずに長時間同じ姿勢を維持するという点では立禅も座禅と同じである。昔、ある縁で1~2年位座禅に取り組んだことがあるが、座禅の究極の目的は思考すらも停止させ、禅定(ぜんじょう)と呼ばれる無我の境地に少しでも近づくことだ、と教わった記憶がある。
長時間、禅を組んでいると何ともいえなく気持ちの良い時間がやってくる。禅定の初期段階である。心身ともにリラクセーションが深まり、この状態はそれを体験した人でないとわからない。故に最初はとにかく立て、あるいは座れ、なのである。
人間の心と身体の機能は全く持って不思議である。リラクセーションを獲得するにはまずはジッとすることなのである。

この状態が更に深まっていくと自分が自分でなくなるとか、一切の思考が停止するといわれているが、人類史上そのような無我の境地にまで到達できた人間はほんの数人であろう。武術として立禅に取り組む場合、このような究極の境地でなく、とにかくこれは気持ちが良いということを自分の身体で知ることだと考えている。最初、その様な状態を体験しておくと次に立禅を組む時もその状態を無意識に目指すだろう。
やがて、条件反射のように立禅を組むとすぐに気持ちよくなる。これは自身のリラクセーション能力が段々と高まっていることを示している。
 この様にまずは心身のリラクセーションを自然に引き出していくことが大切なので、早朝、屋外の出来れば樹木の多い場所がよいとされるし、室内で行なうにしても最初はテレビやラジオは消して、できるだけ静かな環境を作った上で行う。慣れると、多少の喧騒の中でも構わずに心地よい状態となれる。

健康法として立禅に取り組む場合、この段階でも十分である。心身の緊張が緩和し、自律神経のバランスがとれ、筋肉中の血流が促進される。脳疲労も抑制される。
私の過去の経験であるが、仕事が大変忙しくてとにかく身体がだるくてきついといった時に30分位、立禅を組むとウソのように疲れが取れて頭がスッキリとした。又、鼻炎のひどい時期があって仕事中も困っていたことがあったが、早朝に起き出し、やはり30分位、立禅を組んだ日は不思議と鼻炎がおさまっていた。
この様な体験を繰り返すうち、今や立禅は体調管理の一環としても欠かせない日課となっている。

 立禅に取り組んでいく場合、その目的が武術であれ健康法であれ、このリラクセーションを得る段階に到達しないと話にならない。その為には、繰り返し述べるがまず立つことなのである。
成道会では、まずこの段階を最初のステップとして確認する。武術として具体的に役に立ってくるのはまだずっと先の話であるが、このようなリラクセーションの獲得だけでも十分有意義であろう。早い人で立禅を組んだその日から、遅くてもちゃんと言われたとおりにやっていれば3ヶ月程度でこの状態は体験できると思う。

 次回は、この次の段階、上虚下実などについて述べたいと思う。


空手拳法成道会
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成道会の立禅

2007-01-11 16:33:00 | 格闘技、武道
太気拳と言えば立禅、這い等の一見するとかなり特殊な訓練方法を行うことで知られている。

私の場合、立禅を最初やらされた時は15分程度でもかなり苦痛であったことを覚えている。
岩間先生から「これは絶対に外せない稽古だから」と言われて、現に先生も一緒に30分~1時間位は禅を組んでおられたし、何のためにかは分らなかったが、とにかくやっていた。

太気拳に取り組み始めた当初は、先生のあの特徴的な動きは身法、歩法、つまり練りによってもたらされると考えていたので立禅もやってはいたが練りの方が熱心であった。
最初、苦痛であった立禅であるが2年目位から少し変化が現れてきた。
立禅を組んでいる時の両腕の内側に何ともいえない圧力を感じ始めるようになり、それは禅を組んで5分から15分位で表れることもあれば、組んですぐに感じることもあった。
それが自分の動きやパンチ力とか蹴りの威力にどう関わるのかは分らなかったが、とにかくその感覚が面白くて取り組んでいた。「これが気ってやつなのかなぁ」なんて考えてもいた。

この頃から、自分なりに意拳も研究するようになっていたので、それがいわゆる六面力の一部であることは後に知った。
更に年数を重ねて行き、その圧力の様なものが全身に及ぶようになり、それは身体が膨張するような感じで分解すると前後左右上下で特に上下はまさに地球と我が身が引き合っているような感じとなった。
これを利用して爆発的なパワーを発生させるのだろうと当初は考え、試みてもいたが後にそれは間違いであると気がついた。

現在、立禅はただとにかく自然に立つといった感じでやっている。
ひとつ言えるのは健康の為には絶対に良いということで、人間の立って行動するという運動自体のレベルは立禅によって大きく革新される。あらゆる運動家、芸術家、社会人にとって間違いなく有益である。

太気拳を知っている人は立禅に取り組むことに対してあまり抵抗はないだろう。しかし、何の予備知識もない人に立禅は苦痛であろうし、強さを求めてやってきたのになんて不毛なことをやらされるんだろうと思うのは当たり前だろう。
澤井先生ですら、中国で王向斎先生に師事した際、来る日も来る日も立禅ばかりさせられた日にはもうやめてしまおうかと考えたらしいのだから。
デモンストレーションで人を吹っ飛ばす等して、立禅の成果を納得させるのもひとつの方法であると思う。

成道会では初心者にも、とにかく立禅に取り組んでもらうために、それによって生じる身体や諸々の変化を感じ取ってもらい、興味を持ってもらうことから始めている。

まず、立ち続けることが苦痛でなくなりむしろなんともいえなく気持ちよくなること。これは心身のリラクセーションが深まってきていることを示す。

次に身体の重みを感じ取り、それを身体の最下部に置く。
これは必要箇所以外の余分な力が抜け落ち、必要最低限の筋力で立っていることを示す。

次に先程の六面力の獲得に到る。
これはローテーターカフなどの深層筋群が表在筋よりも優位に活動してきていることを示していると考えられる。早い人で1年もすれば、この段階に到達する。

次にはそれら獲得したものを全て忘れ、ただとにかく自然に立つ。身体の中には何も感じないが、あらゆる何かが内包された状態となる。しかし、これが意外と難しい。

具体的にはインナーマッスルの優位活動、ハムストリングの伸張反射、重力の活用、精神の安定と集中、意識によって先導されない運動など等、各段階によってあらゆる潜在的な運動に関わる能力が開発、引き出されるものと考えている。

既に立禅などについては深く研究を進めておられる先生方も多くおられると思うが、それらの方々の意見や研究成果は批判などするよりまず耳を傾け、自身で取捨選択するべきだろう。我々はそれらを発見、発表するよりも利用していく立場にある。

これからも立禅に対する見解は変わっていくかもしれないが、例え武術を手放す時が来てもこれだけは変わらず一生続けていくだろう。死ぬ日まで続けていけたら本望である。
諸先生方、先輩方のご批判、ご意見を期待するところである。
 

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