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脳科学的太氣拳

2012-05-02 10:15:00 | 格闘技、武道
前回、稽古の分散により、忙しい日常でも武術としての能力を伸ばしていくことが可能であると書いた。

過酷な格闘技試合を経験し、そのために血の滲む様な思いでトレーニングをを繰り返してきた人達からすれば、「そんなわずか数分程度の汗もかかない様な練習で強くなれるわけが無いだろう」と言われそうである。

試合において起こり得るあらゆる状況を想定すれば、筋力、心肺機能、すなわちスタミナの向上は必然となる。

しかし、太氣拳の訓練法の目的は、その動きの体得であり、そのための基盤の強化向上にある。

それらがある段階まで獲得できて、その上で格闘技試合などを目標とするならば、それに対応したトレーニングを積むのは必要であろう。
しかし、試合という目の前の切迫した課題を乗り切るためには、どうしても試合に対する適応練習に片寄ってしまう。

ここが格闘技試合としての訓練と、武術としての太氣拳の訓練の目標の違いとなる点であろう。

太氣拳においてはその訓練の大きな目的のひとつとして、いくつかの方向に対する動きを、混ぜない様に、しかし、同時に行うところにある。
関節を強固に支持しながらも、それでいて円滑に動くことが出来るようになるということも目的の一つとして挙げられる。

これは、佐藤先生の御指導を受けるようになってから、具体的に理解できたことのひとつである。

まさに「百聞は一見に如かず、百見は一触に如かず」の世界であるが、立禅のように動きを止めて行うのも、試力のようにゆっくり動くのも、この、いくつかの方向に対する力の存在や動きを点検し、認識していく作業であるとも言える。
静止したり、ゆっくりとしか動かないから、細部を点検しやすくなる。

太氣拳には通常の運動動作とは異なる獲得目標があり、そのための特異な訓練体系が用意されているが、これが脳科学の見地からも実に理にかなっているものと思われる。
一見すると神秘的且つ不可思議な内容と捉えられがちだが、決してそうではないということである。

運動時には脳のすべての領域におけるニューロンの活動が生じている、つまり、運動をしている時は脳をまんべんなく使っている言える。

大脳皮質の中でも後頭葉では視覚情報処理が、側頭葉では聴覚情報処理が、前頭葉では皮膚及び筋からの感覚情報処理が行われている。
これらの感覚情報をすべて受け取って、連合野といわれる領域で認知、記憶、判断などの高度情報処理に用いている。

運動における中心的な役割を果たしているのが、大脳基底核と小脳である。
大脳基底核は、複数の運動の順序や状況に応じた適不適合等の情報処理に関与し、小脳は運動の協調性、正確性、さらには学習、記憶に関わる情報処理を行っていると言われる。

運動においては、小脳は重要であると言われる。
サッカー選手がステップワークを変えたりする時の姿勢の調整や手と手、足と足、目と手といったそれぞれ独立した機関を強調して働かせるのに小脳は重要な役割を持つと言われる。

運動の際、意識に上らないバックグラウンドでの情報処理が、小脳や大脳基底核と大脳皮質の間で適切に機能していることが重要とされる。

新しい動きを学習しようとすると、脳の中では前頭葉を中心とした大脳皮質が活性化し、いろいろな神経ネットワークを一気に動員することで、新しいスキルを身に付けようとする。
前頭葉のワーキングメモリとしての役割は重要で、これは、動作を覚え、行動に移行するために働かせる一時的な記憶を集積する。
しかし、慣れてきたら前頭葉の様な大脳皮質の活動は不要でその活性度は沈静化してくる。そして、小脳で無意識に滑らかな動きを司る部位に運動モデルが貯えられる。

新しい動きや技の獲得には前頭葉をはじめとした大脳皮質が関与し、慣れてきたら小脳でコントロールされる。
そうなると、大脳皮質の関わりは必要なくなり、無意識にスムーズな動きが可能となる。

つまり、新しい動作の獲得作業段階では、大脳と小脳の間で情報の行ったり来たりが、大変な量で行われている。
しかし、動作獲得の後は小脳のみで行われる。

太氣拳の場合は、通常の運動動作とは異なる動作体系の学習という目的があるから、いわば、中枢系のトレーニングが優先されているのかも知れない。
通常の運動動作でも単独の筋肉活動ではなく、複数の筋肉がいっせいに活動するのであるが、それが、太氣拳の場合、より一層特殊なのである。

その複数の筋肉活動においては、筋膜がその調整の役割を担っている様であり、又、脳中枢を鍛えると言っても、小脳自体が肥大するということは無く、脳内の配線の量が増えるというものらしい。

太氣拳の各訓練法が、静止したり、遅動で行われるのは、その複雑且つ特殊な筋肉活動を大脳により小脳に定着させるためで、その作業を繰り返し行なうことで精度を上げていくためなのではないかと思われる。

これらは、心肺機能に負担をかけないから一生続けていける訓練法であるが、決して楽ではなく、どうかしたら稽古後にぐったりと疲れることがある。
これは、大脳皮質により自身の動きを点検修正して、小脳で無意識に動ける様にする作業の繰り返しだからではないだろうか?
つまり、動作の獲得段階においては一時的とは言え、脳疲労が甚大である場合もあるということである。

又、分散稽古においてもまとまった時間における稽古においても、共通して言えるのは「心をこめてやる」ということである。
それは、すでに獲得した動作を、そのレベルに留めておこうとすれば、新しい動作モデルの構築は成されない。
正しい動作、それを繰り返し行うにしても心をこめることで前頭葉を中心に脳内の活性化が起きる。
心を配る。つまり細部の動きに注目する。太氣拳としては、その形、動きで力を得ているかどうかを点検する。体内での力の衝突の有無を点検する。
これが、同じ動きでも上達していくための条件でもある。

小脳は意識が及びにくく、意識の及びやすいのは大脳皮質である。

太氣拳では、大脳皮質を動員してその動きを認識し、小脳に蓄積されたら、同じ動きでも再び大脳皮質を動員して、それが小脳に蓄積するまで働きかける。
無意識でも可能となった動きを、更に高い水準の動きへと変化させる。
その繰り返しで動きの性質が変わり続け、それは、一生続くし、続けられる。
同じ腕を上げたりする動作でも、その中身は全く違うものになり、変化が続く。
そして、獲得した動きは筋力に依存するものでなく、小脳に蓄積された運動モデルであり、姿勢を保持する筋力があれば衰えることが無いとされる。

稽古の最中は惰性で取り組むことなく、常に興味と楽しみを持って取り組むことが要求されるのは、脳内の血流量を増大させることがそのスキル獲得に必要であるからである。

太氣拳の各訓練を適切な時間量行なったら、多少の疲労や倦怠感が吹っ飛んでしまうのは、大筋肉の疲労は残さずに、脳内の血流量をアップさせるからではないかと考えられる。

したがって、身も心もヘトヘトになっている状態で、さらに練習を重ねるのは、せっかく獲得した運動モデルを損傷してしまうこともあるので注意を要する。

私の場合は、まとまった時間を確保できて自主稽古を行う時は、1時間半~2時間が限界の様である。
それ以上は、疲労感が大きくなり惰性の運動を続けていることが多い。
であるから、休日などにまとまった時間を用意できたら、朝1時間半、夕方1時間半といった時間割を組んだ方が効果的であると思う。

さらに、脳内に蓄積された運動モデルが確立されていれば、次の稽古時には、新しい動きの発見や獲得にもつながり、これが、動きの性質を変化させ続けることが可能な太氣拳の面白さでもある。

近代武術において大天才と称せられる王向斉の系譜に属する太氣拳の動きや技を修得するのは簡単なことではない。

しかし、脳科学的な観点から見てもその訓練体系は合理的なものであり、実に科学的な武術であると思うのである。


太氣拳成道会
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