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太気拳仏子研修所・稽古体験レポート

2008-10-31 08:45:00 | 格闘技、武道
去る10月12日(日)、本村、馬原両参段が代表より五段練士の推薦を受け、岩間統正先生主宰の太気拳仏子研修所に稽古に赴いた。
(仏子とは先生在住の埼玉県入間市仏子のこと)

稽古参加とは言え、練士としての力量、人間性、将来性などを評価される試験的な意味合いもあり、両名にとっては真剣そのものと言える内容であった。

山中での立禅に始まり、場所を体育館に変えての這い、練りなどの基本訓練から、岩間先生の門下生を相手に3分×4人の組み手が行われた。

組み手は正に太気拳のそれそのまんまで、素面素手、顔面への正拳まで容認される壮絶な内容であった様である。

以下、成道会では最古参の本村参段の体験レポートから紹介しよう。


●太気拳仏子研修所・稽古体験レポート~本村賢治・参段~

「去る10月12日(日)、私と馬原氏の二名は岩間先生の仏子研修所へ稽古に伺いました。

先生のお宅へは、私は二度目、馬原氏は初めての訪問で、九州の私達にとって仏子はまさに聖地。
当日はもちろん、一週間前から緊張していました。

地図を片手に高鳴る胸を抑え何とか到着、先生にセミナー時と本日の稽古参加、練士審査に時間を割いて頂いた事に御礼をし、他のお弟子さんが集合されるまでの間、武術論を聞かせて頂き、既に勉強が始まっている事を実感しました。

しばらくすると一人、また一人と皆さんが入って来られ、無意識に早くも組手の人数を考えていました。

いよいよ、稽古開始です。

先ずは禅を行うために山へ移動、それぞれの場所で立禅。自然の中で禅を行う事が良いのは経験で確認済み。

この時の印象を一言。「皆さん林の中の野性動物の様だ」いつの間にか消え、いつの間にか現れ、正に縄張りの如く動かれてました。

立禅終了後、先生に声をかけて頂き主に立木打ちの指導を受けましたが、周辺の木の同じ部分がそれぞれ削れている事に気付き、稽古の年月を感じました。
この立木打ちは、通常のフルコンではあまり使用されない部位での蹴りが印象的で有り、何故その様に蹴るのか?その意味を考えさせて頂きました。

次に這い以降の稽古を行う為、全員で武道館に移動。

這いはもちろん、練りは城先生がしっかりと岩間先生から受け継いでおられるので、種類等は戸惑う事はありません。

ここで大事なのは、形では無く岩間先生の説明や、雰囲気を感じ取る事。隣を見ると馬原氏も同じ様子。
滅多にない経験だけに、二人共、集中力全開!

既に時間の感覚も有りませんが、しばらくすると先生から小休止の合図。
この後の事を考えると自然と緊張します。

トイレに行き準備を済ますと、先生から組手開始の合図と順番の説明。

今もレポートを書きながら、又緊張してきました。

一番手は私で馬原氏と代わりながら、仏子の皆さんと組手を行いました。

さすがに先生の門下生だけに手強く、自分の課題も増えました。

しかも最後は八田健二練士!!

実力差を感じながら無我夢中で動くうちに、脚が止まり、手も下がりはじめ、およそ太気とは無縁の、只必死に手を振り回すだけの私・・・。

課題以前に稽古のやり直しだと自己嫌悪に陥りながら、馬原氏の最後の組手を応援させて頂きました。

先生の自宅での評価は、馬原氏には(私にも当てはまりますが)「あの時、蹴りを出していたけど何故出したの?何か意味があったの?」
私には「その腫れ上がった顔が全てを語っているよね?二人共試合で勝つ事はあっても、それでこれから10年、20年とやって動けるの?」

私達は絶句しました。

太気で上を目指すなら「格闘技と武術の違い」を認識し、セミナーの時にも言われた「思考法から変えなくてはいけない」との注意を頂きました。

他にも、組み合った状態での実際の対処を体験させて頂きました。
二人共、柔道経験者でしたが先生はびくともせず、何も形を変える事なく、逆に一瞬で崩されました。

結論として、今回いくつもの課題を頂き、とても高い山に挑戦している事に気付き、尚且つ、入口で迷っている事にも気付きました。
亀の速度でもいい、1mmでも高く前を歩きたい、そう思える一日でした。

最後に、このような貴重な経験をさせて頂いた岩間先生、城先生、胸を貸して下さった仏子の皆さん、福岡から送り出してくれた成道会の仲間、有り難うございました。

この経験を今後の稽古に生きる様、努力させて頂きます。」


八田健二・練士との激しい攻防


(次回は、馬原浩・参段のレポートを紹介します)


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生活武術・4

2008-10-17 20:50:00 | 格闘技、武道
前回、生活武術とは日常生活がそのまま武術訓練となることであると述べた。

過去にある人から「自分は武術家なのだから、仕事をしている時も、メシを食っている時も拳法のことばかりを考えている」と言われたことがあるが、これは間違いであると思う。

日常生活の所作、動作、全てが武術としての意味を持つ位に鍛錬を積まねばならないが、仕事の時などに武術のことを考えるというのは、ただ、仕事に身が入っていないだけ、ということになる。

昔、柳生十兵衛が諸国武者修行をしている時、ある武士と出会い、武術家のみにしか解り得ない、そのただならぬ雰囲気から、その武士を呼び止め「あなたを先程から拝見しているが、ただならぬものを感じる。かなりの実力がおありであるようだが、名を教えていただけまいか」と話したところ「いえ、私はこれから城内にあがって仕事をしようとしているだけで名乗るほどの者ではありません」と言う。
十兵衛「いや、私はこれまで数多くの剣術家を見てきたが、あなたはよほど高名な剣の使い手に違いないはず。是非、お名前を」
武士「そう言われると嬉しい気もするけれど、私はただの一家臣に過ぎません」
十兵衛「そんなはずはない。私の目はフシアナではない。あなたからはことがあれば、今にも斬りかかられんばかりの気が出ている」
武士「そんなつもりもないが、ただ、私は主君のためであれば、いつでもこの命を投げ出す覚悟で毎日城に上がっているだけです」
この時、十兵衛はこの武士から感じているものが何であるか、ようやく理解できたという。

昔、岩間先生の会社でアルバイトをさせていただいていた時に「店頭に立つ時は自分が武道家であることも忘れ、ただ仕事に没頭するのみだ」と言われたことがある。

一流とはこういうものであるのか、と感じたものだが、武術に打ち込む時は武術のみ、仕事の時は仕事のみ、ただ一心不乱に取り組む集中力も生活武術である。

成道会で武道に打ち込む門下生は全て社会人であり、武術のために捻出できる時間は限られている。

私自身、仕事も家庭もあり、昔、トーナメントの頂点めざして稽古中心の生活を送っていた頃と現在とは違う。
自分に与えられた時間を如何に濃密なものにするか、その集中力が今後の上達のカギであると思っている。

武術に打ち込む時のみならず、仕事の時は仕事のみに没頭し最大の成果を挙げる、その集中力は武術にも現れる。

武術家でなくともやっているこの当たり前のこと、これも生活武術である。


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