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成道会の這い

2008-02-17 13:48:00 | 格闘技、武道
 太気拳の訓練体系の中でも、「這い」は重要なウェイトを占めると言われる。
岩間先生は立禅以上に、この「這い」を重要視されており「這いとビールは武術家にとってはノーベル賞モンだな」と言っている位である。

 私の個人的な解釈としては、立禅が静的な状態で内勁を養成し得るものならば、這いは言わば動的な内勁の養成手段であると考えている。

 太気拳では立禅における内勁の開発が優先されるが、次に這いによって微動ながら身体の一部が動けば全身が動くという事が確認されれば大変に有意義である。

 岩間先生は、太気拳の全ての動きは這いに帰属する、と常々言っておられた。
前に動いても、後ろに動いても、パンチや蹴りを捌いても、いかなる動作のそれは全て這いのワンシーンである、と。
故に、太気拳の動物的なあらゆる動きをその身体にもたらすためには、這いの修得は必須である、と。

 最初に、この這いを見た時は実に異様なものだと思った。
立禅で何10分もジーッとしていたかと思うと、次に両手を頭上に挙げ、腰を低く落としてユーックリと10メートルほどの距離を移動するというのは、私でなくともほとんどの人が異様であると思うだろう。
とてもじゃないが知らない人の前では披露できるようなものではない。

 しかし、太気拳をやり始めた当初は、単純に「これは、実にいい下半身の鍛錬だな」と考え、磐石の下半身をモノにする為に、という目的で自分なりに懸命に取り組んでいた。
 実際、最初の数年は大腿の前側と、挙上している両肩が異常につらく、このキツさ、つらさを乗り越えることが鍛錬なのであり、それによって脚や肩等のパーツに対してウェイトトレーニングでは得られない強化が成されるものと考えていた。

それは、初期段階の目的としては決して間違いではないのであるが、現在はその様な局所的な部位の統合的な鍛錬という考え方はあとかたもなく消えてしまっている。

 現在、私にとって這いはキツく、つらい鍛錬ではなく立禅と同様に心地よさの感じられる内勁の養成法であり、心身の状態を確認する為の運動手段のひとつとなっている。

かつての様な、拷問の様なキツさは無い。

片足で微動している時、両足を地に付けて微動している時、身体全体は協調して動くのであるから、同じであって同じでない。

3年前、太気拳一門の合同稽古が行なわれた際、ひさしぶりに岩間先生と一緒に稽古をさせて頂いたがその時、先生ご自身20分以上這いをされていたし、終わった後、膝がガクガクなっていたわけでないことを考えると、岩間先生にとってもこれは単純な下半身の鍛錬ではなさそうせある。
(先生がどうおっしゃるかはわからないが)

 微動の中で、内勁を掴み取るための訓練法であり、もちろん様々な付加的な要素もついてまわる。

 体の位置が変わり、それによって身体各所が少しずつ微動しているならば、這いそのものが堂に入ってきていると考えてよいだろう。

 立禅と同様に、太気拳修得には欠かせない修練法であることを記しておく。


「這い」の稽古風景



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