立禅の際に、頭を上に押し上げるとか、指先が伸び続けるとか、身体の末端、先端である部位が拡張するかのような意識、イメージを多用する。
最初はよくわからなかったが、立禅によって人間の骨格を動物化していく上では必須とも言える鍛錬法としてとらえる様になっている。
先ず、型を変えずに一定時間立ち続けるだけでも、余分な筋緊張は排除されていき、その型、姿勢を維持するためにのみ必要最低限とも言える筋肉の緊張が残る。
ただ単に脱力を強調するのではなく緊張と弛緩が混在した、ある意味、特殊な状態に至る。
次の段階として、放鬆(ファンソン)である。
放鬆(ファンソン)と言われる状態は単なる脱力状態ではなく、松の葉が四方八方に鋭く伸び続けようとしている、力が外に放出されている様な状態を意味している。
立禅ではその様な状態を目指す。
私の場合、具体的に以下の意識、イメージを用いることを特に留意して、構造能力の強化を計っている。
1.指先は指の向いてる方向に伸び続けている。
2.指の関節はどの関節も伸び続けている。前腕と上腕の間には肘しか関節はないが、想像上の分節はいくつもあって、それらが伸び続けている。それは身体中にあって、脊椎も含めて、身体中の関節、分節は絶えず、伸び続けている。
3.頭のてっぺんは、その上にある天井を押し上げ続けている。
4.仙骨は地面に突き刺さろうとして伸び続けて、仙骨の先端にある尾骨は動物の尻尾の様になって、股間に巻きついていく。同様に恥骨は巻き上がる。
5.膝はスネの骨ごと引っこ抜かれ続ける。
これらは特に重要と思われるもので、他にもイメージの用い方は多様で無限にあると思われる。
指先は腕と云う骨格の先端、頭、尾骨は脊椎の上下の先端であり、この部位の意識は特に重要である。
昔、テレビでやっていた催眠術か何かで、5円玉にヒモを結んで指でつかんでぶら下げて、「横に動け、横に動け・・・」「右に回れ、右に回れ・・・」と念じていると、指先は動かしてなどいないはずなのに、やがて5円玉が念じている通りに最初は小さく、やがて大きく動いていく。
これは、イメージによって自分では気が付かないくらいの軽微な筋肉の収縮が起こっているからで、念じた通りに5円玉が動きだすのは、自分で意図的に筋肉を動かそうとしなくともイメージのとおりに筋肉は骨格を運動させているということである。
立禅で用いられる意識、イメージは、微妙な力を自在に引き出し、それをより正確に操作するための最初の手段とも言える。
これまでのブログで立禅筋などと言って、意識の及ばない、及びにくい体内深部の筋肉の活用を述べて来たが、これらの筋肉を意識して構造能力を養成しようとしても、まず上手くいかないだろう。
ちからこぶを作る時に上腕にぐっと力を入れることは誰でもできる。
しかし、これまでに何度も取り上げて来た肩甲骨の筋肉、ローテーターカフ筋を収縮させようとしても上手くいかないだろうし、おなかの奥にある大腰筋を収縮させようとしても同様だろう。
これは、仮に解剖学的な知識が豊富にあったとしても身体の中の全ての筋肉、特に深層部に至っては、それらを意図的に収縮させることなどまず不可能である。
そこで、ある意拳の流派では第1随意筋、第2随意筋という分類がなされているものと考えられる。
肩関節の深部、股関節の深部、体幹の深部とも言える脊椎をダイレクトに運動に参加させるには、その部位を意識するのではなく、身体各部位の先っちょ、先端部位を意識することよって、それが可能となる。
不思議なことに先端を意識することによって、はじめて身体の深部が機能するようになる。
その時の感覚が、立禅時に体内で発生する膨張感や圧縮感であって、これらを通常の運動で体感することは不可能である。
立禅を武術修得の基礎とするのは、このような状態の獲得は立禅によってでしか成され得ないと考えられるからである。
現在、私自身の体認が進んで、骨盤を下からすくい上げていく様な形状、いわゆる吊り腰の状態がしっかりと自覚できる様になった。
「動物の骨格」でコメントしたが、この形状はより強力な構造能力が発生し、それでいて、全身が細かいバネでつながったかのような弾力のある動きを可能としてくれる。
動物の前足の様な強い支持力が肩甲骨にあるとすれば、肩よりも大きい股関節はより強力であるし、人体の中で最も大きな椎骨である骨盤を活用できるメリットは絶大と思われる。
体認の繰り返しの結果、現段階での成果である。
体認とは獲得される各種能力を自身の身体を通して認識するということだと考えられるが、食べたことのない料理の味をいくつもの言葉を駆使して説明されても理解することはできないが、一度食べてしまえばその味は一瞬で理解できてしまう。
立禅によって獲得される能力はいくつもの言葉を費やしてその説明を受けても、それは未知の世界であるが、たった一度の体認で道が開けていくようなものではないだろうか?
そこで、すでにその段階に到達している先人からいただくアドバイスや言葉はその未知なる世界へのヒントであって確実に自身のファイルにインストールしておく必要がある。
そのような非言語的であるはずの感覚を頼りにして、しかし、最後は自分自身の積み重ねで捕らえていくしかない。
現在、47歳である私は、運動家としてはとっくにピークを過ぎているはずの年齢であるが、このような体認を繰り返して、いまだに変化を続けている実感がある。
体認はこれからも変わり続けていくと考えているし、その様な変化が止まらない以上、この取り組みを止める気には到底なれない。
会員各位にもこの様な変化を何回も感じとって、より立禅にハマっていってくれることを期待する。
そのためにも立禅を行なう際の身体の末端、先端に対する意識は特に重要であることをしつこく述べておく。
太氣拳成道会
http://www.joudou.jp/
最初はよくわからなかったが、立禅によって人間の骨格を動物化していく上では必須とも言える鍛錬法としてとらえる様になっている。
先ず、型を変えずに一定時間立ち続けるだけでも、余分な筋緊張は排除されていき、その型、姿勢を維持するためにのみ必要最低限とも言える筋肉の緊張が残る。
ただ単に脱力を強調するのではなく緊張と弛緩が混在した、ある意味、特殊な状態に至る。
次の段階として、放鬆(ファンソン)である。
放鬆(ファンソン)と言われる状態は単なる脱力状態ではなく、松の葉が四方八方に鋭く伸び続けようとしている、力が外に放出されている様な状態を意味している。
立禅ではその様な状態を目指す。
私の場合、具体的に以下の意識、イメージを用いることを特に留意して、構造能力の強化を計っている。
1.指先は指の向いてる方向に伸び続けている。
2.指の関節はどの関節も伸び続けている。前腕と上腕の間には肘しか関節はないが、想像上の分節はいくつもあって、それらが伸び続けている。それは身体中にあって、脊椎も含めて、身体中の関節、分節は絶えず、伸び続けている。
3.頭のてっぺんは、その上にある天井を押し上げ続けている。
4.仙骨は地面に突き刺さろうとして伸び続けて、仙骨の先端にある尾骨は動物の尻尾の様になって、股間に巻きついていく。同様に恥骨は巻き上がる。
5.膝はスネの骨ごと引っこ抜かれ続ける。
これらは特に重要と思われるもので、他にもイメージの用い方は多様で無限にあると思われる。
指先は腕と云う骨格の先端、頭、尾骨は脊椎の上下の先端であり、この部位の意識は特に重要である。
昔、テレビでやっていた催眠術か何かで、5円玉にヒモを結んで指でつかんでぶら下げて、「横に動け、横に動け・・・」「右に回れ、右に回れ・・・」と念じていると、指先は動かしてなどいないはずなのに、やがて5円玉が念じている通りに最初は小さく、やがて大きく動いていく。
これは、イメージによって自分では気が付かないくらいの軽微な筋肉の収縮が起こっているからで、念じた通りに5円玉が動きだすのは、自分で意図的に筋肉を動かそうとしなくともイメージのとおりに筋肉は骨格を運動させているということである。
立禅で用いられる意識、イメージは、微妙な力を自在に引き出し、それをより正確に操作するための最初の手段とも言える。
これまでのブログで立禅筋などと言って、意識の及ばない、及びにくい体内深部の筋肉の活用を述べて来たが、これらの筋肉を意識して構造能力を養成しようとしても、まず上手くいかないだろう。
ちからこぶを作る時に上腕にぐっと力を入れることは誰でもできる。
しかし、これまでに何度も取り上げて来た肩甲骨の筋肉、ローテーターカフ筋を収縮させようとしても上手くいかないだろうし、おなかの奥にある大腰筋を収縮させようとしても同様だろう。
これは、仮に解剖学的な知識が豊富にあったとしても身体の中の全ての筋肉、特に深層部に至っては、それらを意図的に収縮させることなどまず不可能である。
そこで、ある意拳の流派では第1随意筋、第2随意筋という分類がなされているものと考えられる。
肩関節の深部、股関節の深部、体幹の深部とも言える脊椎をダイレクトに運動に参加させるには、その部位を意識するのではなく、身体各部位の先っちょ、先端部位を意識することよって、それが可能となる。
不思議なことに先端を意識することによって、はじめて身体の深部が機能するようになる。
その時の感覚が、立禅時に体内で発生する膨張感や圧縮感であって、これらを通常の運動で体感することは不可能である。
立禅を武術修得の基礎とするのは、このような状態の獲得は立禅によってでしか成され得ないと考えられるからである。
現在、私自身の体認が進んで、骨盤を下からすくい上げていく様な形状、いわゆる吊り腰の状態がしっかりと自覚できる様になった。
「動物の骨格」でコメントしたが、この形状はより強力な構造能力が発生し、それでいて、全身が細かいバネでつながったかのような弾力のある動きを可能としてくれる。
動物の前足の様な強い支持力が肩甲骨にあるとすれば、肩よりも大きい股関節はより強力であるし、人体の中で最も大きな椎骨である骨盤を活用できるメリットは絶大と思われる。
体認の繰り返しの結果、現段階での成果である。
体認とは獲得される各種能力を自身の身体を通して認識するということだと考えられるが、食べたことのない料理の味をいくつもの言葉を駆使して説明されても理解することはできないが、一度食べてしまえばその味は一瞬で理解できてしまう。
立禅によって獲得される能力はいくつもの言葉を費やしてその説明を受けても、それは未知の世界であるが、たった一度の体認で道が開けていくようなものではないだろうか?
そこで、すでにその段階に到達している先人からいただくアドバイスや言葉はその未知なる世界へのヒントであって確実に自身のファイルにインストールしておく必要がある。
そのような非言語的であるはずの感覚を頼りにして、しかし、最後は自分自身の積み重ねで捕らえていくしかない。
現在、47歳である私は、運動家としてはとっくにピークを過ぎているはずの年齢であるが、このような体認を繰り返して、いまだに変化を続けている実感がある。
体認はこれからも変わり続けていくと考えているし、その様な変化が止まらない以上、この取り組みを止める気には到底なれない。
会員各位にもこの様な変化を何回も感じとって、より立禅にハマっていってくれることを期待する。
そのためにも立禅を行なう際の身体の末端、先端に対する意識は特に重要であることをしつこく述べておく。
太氣拳成道会
http://www.joudou.jp/