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立禅武術

2017-11-15 18:00:00 | 格闘技、武道
前回、色々な要素を取り込んでハイブリッド太氣拳になると書いた。
事実、それまでに空手や何らかの格闘技、武道をやってきた人が太氣拳に入門して、それまでに習得した種目を太氣拳によってさらに昇華させた事例は多いと思われる。

但し、ハイブリッドと言ってもいいとこ取りの寄せ集めとは少し違う。

それは、立禅によってその人の動きを根本的に改変せしめる稽古内容があるからである。

立つという当たり前の行為の中に、よりしっかりと強固に立つという強化がなされ、全身が細かいバネでつながったような状態となり、その状態で行動できるようにする訓練体系があり、その繰り返しにより、その人の動きを変えてしまう。

立禅は求力とも呼ばれ、言わば、力を蓄えるかのようにして、その質量をアップすると共に、骨格運動の性質を変化させ得るものであるが、立禅で養成された力、能力を損なわないようにして動くことを可能とするために、試力という訓練が用意されている。

何年もの間、意拳で行われている様々な試力の意味がわからなかった。
推手の型のようなものでることは解釈できていたが、それは現在の理解度からすると、あまりにも稚拙すぎるものであった。

現在、立禅による構造能力が進んだ段階での試力は、立禅で養成された能力を実際の動きに引き伸ばしていくための必要不可欠な訓練として、私の中で実に重要な位置付けになった。

以前は形をなぞるだけであったが、体内での各種能力を理解した上でこの訓練を行うと、様々なの能力の存在を確認することができる。
そして、体力的な疲労はもとより、脳中枢の疲労が大きい。
立禅の内容をキープして動くだけなのだが、実に様々な内容を点検しながら動くので、脳神経が実に活発に活動しているものと考えられる。

身体の中のインナーマッスルや、感覚することの乏しい細やかな筋肉の活動を優先することで、それらの強化トレーニングを行なっている側面もあるのだが、動作を正確にミリ単位で点検するのでゆっくりとした動きになる。
その際、自身の動作を観察しているのは大脳であるが、体内の細やかな筋活動は小脳が司っていると考えられる。
小脳は運動中枢とも言われ、無意識下におけるあらゆる運動の制御、コントロールの役割がある。
そして、試力の最中は大脳の右も左も、そして小脳もいっせいに活動していると考えられる。



意外と思われるかもしれないが、裁縫職人の小脳をMRIで診断したところ、一流のスポーツ選手に匹敵するほど発達していたという報告がある。

立禅、試力は、大脳の認識よって運動中枢と呼ばれる小脳を鍛える内容であるのかもしれない。
だから、歳をとっても取り組むことができるし、何歳になっても動きの性質が変化し続けるのかもしれない。

王薌斎は「力もないのに何を試そうというのだ」と言っていたと言われる。
それは立禅によって構築された能力があってこそ、試力という訓練が成立するということであり、立禅なくして試力はない。
王薌斎は又、「私の動きの外形を真似るな、内勁を真似よ」と言っていたと言われる。
これは、立禅による能力の開発を最優先課題とせよ、とのメッセージであるとも受け取れる。
そして、「試力が最も重要で、最も難しい」と言っていたとのことである。

立禅によって能力を構築強化することが大前提で、いいとこ取りの寄せ集めではなく、ハードの性能を常に引き上げ続け、そこに様々なソフトをインストールするということが可能になるということでもある。

結果、それは「立禅武術」と言えるものなのかも知れない。


太氣拳成道会
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