太気拳修行者にとって、クレージーなオヤジたちの元祖は言うまでも無く澤井健一先生である。
クレージーなオヤジではなくクレージーなジジィ、いや老人である。クレージーというよりデンジャラスな老人と言った方がいいのかも知れない。
少なくとも、私はそう思う。
弟子に素面素手の激しい組み手をやらせて切磋琢磨させるばかりか、60歳を過ぎてからも自ら組み手に参加して弟子に稽古をつける、ということからだけでもそのクレージーぶりがうかがい知れようが、私が岩間先生からお聞きした様々なエピソードからもそのクレージーさは半端ではないということを知ることができる。
今回は、岩間先生からお聞きしたことのある澤井先生のエピソードの一部を紹介しよう。
その1.
雀荘で麻雀に興じていた澤井先生。何かでトラぶって他の3人と言い合いになったらしい。
雀荘のおかみさんも心配げに事の成り行きを見守っていたらしいが、突然、その中の一人が澤井先生に襲いかかってきた。
澤井先生、意に介さずカウンターの打拳炸裂!一撃で昏倒させると、残りの2人も一撃でノックアウト!!
あまりに一瞬の出来事で、おかみさんが止めに入る間もなかったとのことである。
このおかみさんとは岩間先生が実際にお会いしており、その時の様子を「あれは、まるで映画のワンシーンの様でしたねぇ・・・。私が生きてきた中であんな鮮やかな喧嘩を見たのは後にも先にもあの時が初めてでした・・・」」と回想していたとの事である。
その2.
澤井先生が池袋の立教大学近くを歩いていた時のこと。
8人位の学生が「よぉ、ジイちゃん、いい帽子かぶってるねぇ」と言いつつ、澤井先生のかぶっていた帽子をつかみとってしまった。
瞬間!怒り心頭に達した澤井先生「サムライのこうべに手をかけるとは何事かぁ!!」
数秒後、学生8人は路上で失神していた・・・。
その3.
戦時中、中国にわたって生活していた澤井先生。クレージーな老人となる前はやっぱりクレージーなオヤジであった。
さわやかな朝、澤井先生の長男で当時2歳くらいであった昭男さんが庭で元気よく走りまわり、その姿を奥さんが見つめていた。
どこの家庭でもある、微笑ましい風景である。
そこへ澤井先生が現れた。しかし表情は険しく、手にはなんと日本刀を持っている。
その異様さに気が付いた奥さん、まだ幼い昭男さんを連れて家の中に逃げようとしたが、澤井先生、一喝!
「昭男はおいていけー!」
そして、昭男さんの頭の上にリンゴを乗せ、スラリと日本刀を抜いた。
「今から、このリンゴを真っ二つにしてみせる!!」
奥さんはビックリなどという言葉では、表現できないほどの衝撃である。
「何言い出すんですか!お願いだからこんなバカなことやめて!!」
しかし、完全にクレージーのスイッチが入ってしまっている澤井先生「失敗して昭男が死んだらわしも腹を切る!!」
もう何が何だかわからないといった状況の中、瞬間、奥さんは(もし、昭男が死んだら主人を殺して私も死のう)と心の中で決心したらしい。
当の昭男さんは何もわかっておらず(当たり前だが)ウロウロ歩き回っている。
その昭男さんに対して日本刀をかまえ、ジリジリと近付く澤井先生・・・。
「ハァーッ!!!」
裂ぱくの気合いとともに刀が振り下ろされた!
奥さんが目を覆った次の瞬間!!
スパーッ!!
リンゴは真っ二つに割れ、髪の毛数本がハラリと地面に落ちた。
昭男さんはかすり傷一つ無く、その命も無事であった・・・。
剣道、居合いにおいても高段者である澤井先生ならではの絶技である・・・。
しかし何故、澤井先生はこの様な行動におよんだのか?
数日後、澤井先生の部屋から「世界の昔話」という本が発見され、ページのハシッコが折ってあるところに「ウィリアム・テル」の話が書いてあったらしい・・・。
(スイスの昔話で、意地悪な役人から息子の頭の上に乗せたリンゴを矢で射るように命ぜられたウィリアム・テルが、見事そのリンゴを射抜いて見せたというお話です)
その4.
晩年、池袋界隈では地域の人たちから何かと頼りにされていた澤井先生。
地元の顔役のような存在で、何か困ったことがあると相談に訪れる人が大勢いたらしい。
そのうちの一人、メガネ屋の店主が「澤井さん、うちの高校生の娘が不良になってしまって、私ら親の言うことも聞かなくなってどうしようもない、どうにかならんだろうか?」と相談。
「よし、それならわしが会って話してみよう」とその家に出向き、不良娘と会うことになった。
見ると、髪にはパーマをかけ、セーラー服の長いスカートといった一昔前の典型的な不良少女である。
澤井先生「お前なぁ、親の気持ちを考えてみろ」と諭すように話していたらしいが、この娘、人の話を全く聞こうとしない。
それでも澤井先生、根気強く説教を続けようとしていたが、その娘が「うるせーんだよ、ハゲジジィ」と言い、ライターに火を付けタバコを吸おうとした瞬間、澤井先生、ブチギレ!
いきなり娘の首根っこをつかみ、近くにあったハサミで娘の頭を虎刈りにすると次に、娘の着ていたセーラー服から下着までを全部はぎとりスッポンポンにすると、そのまま店の外に放り出しシャッターをガラガラガラと閉めてしまった。
外では娘が「お願い!中に入れてー!私が悪かったですー!!」とシャッターをダンダン叩きながら泣きわめいていたらしいが澤井先生、無視。
その後、数時間にわたって外に出しっ放しにしていたらしい。
それからというもの、その娘は澤井先生の前では借りてきた猫のように大人しくなったとのことである・・・。
(これらはあくまで公開できる範囲のもので、もっとすごいエピソードが他にたくさんあります。念のため)
それにしても戦争での戦場体験者である澤井先生にとっては、このようなことは別に特別でもなんでもなく日常生活のひとコマに過ぎないのかも知れない。
澤井先生と同じ時代に活躍されていた極真空手の故大山倍達館長、合気道養神舘の故塩田剛三館長なども皆同様にクレージーであったのであろう。まともであろうはずが無い。
現在、学校教育の現場などでは教師の権威は失墜し、少子化の影響なのか、家庭でも子供の顔色ばかりをうかがう親が多くなっていると聞く。
そんな話は、昭和の武術家にとっては無縁な話であろう。
成道会の門下生よ、時代に逆らいクレージーなオヤジを目指せ!
そしてやがて、クレージーなジジィとなれ!!
空手拳法成道会
http://www.joudou.jp/
クレージーなオヤジではなくクレージーなジジィ、いや老人である。クレージーというよりデンジャラスな老人と言った方がいいのかも知れない。
少なくとも、私はそう思う。
弟子に素面素手の激しい組み手をやらせて切磋琢磨させるばかりか、60歳を過ぎてからも自ら組み手に参加して弟子に稽古をつける、ということからだけでもそのクレージーぶりがうかがい知れようが、私が岩間先生からお聞きした様々なエピソードからもそのクレージーさは半端ではないということを知ることができる。
今回は、岩間先生からお聞きしたことのある澤井先生のエピソードの一部を紹介しよう。
その1.
雀荘で麻雀に興じていた澤井先生。何かでトラぶって他の3人と言い合いになったらしい。
雀荘のおかみさんも心配げに事の成り行きを見守っていたらしいが、突然、その中の一人が澤井先生に襲いかかってきた。
澤井先生、意に介さずカウンターの打拳炸裂!一撃で昏倒させると、残りの2人も一撃でノックアウト!!
あまりに一瞬の出来事で、おかみさんが止めに入る間もなかったとのことである。
このおかみさんとは岩間先生が実際にお会いしており、その時の様子を「あれは、まるで映画のワンシーンの様でしたねぇ・・・。私が生きてきた中であんな鮮やかな喧嘩を見たのは後にも先にもあの時が初めてでした・・・」」と回想していたとの事である。
その2.
澤井先生が池袋の立教大学近くを歩いていた時のこと。
8人位の学生が「よぉ、ジイちゃん、いい帽子かぶってるねぇ」と言いつつ、澤井先生のかぶっていた帽子をつかみとってしまった。
瞬間!怒り心頭に達した澤井先生「サムライのこうべに手をかけるとは何事かぁ!!」
数秒後、学生8人は路上で失神していた・・・。
その3.
戦時中、中国にわたって生活していた澤井先生。クレージーな老人となる前はやっぱりクレージーなオヤジであった。
さわやかな朝、澤井先生の長男で当時2歳くらいであった昭男さんが庭で元気よく走りまわり、その姿を奥さんが見つめていた。
どこの家庭でもある、微笑ましい風景である。
そこへ澤井先生が現れた。しかし表情は険しく、手にはなんと日本刀を持っている。
その異様さに気が付いた奥さん、まだ幼い昭男さんを連れて家の中に逃げようとしたが、澤井先生、一喝!
「昭男はおいていけー!」
そして、昭男さんの頭の上にリンゴを乗せ、スラリと日本刀を抜いた。
「今から、このリンゴを真っ二つにしてみせる!!」
奥さんはビックリなどという言葉では、表現できないほどの衝撃である。
「何言い出すんですか!お願いだからこんなバカなことやめて!!」
しかし、完全にクレージーのスイッチが入ってしまっている澤井先生「失敗して昭男が死んだらわしも腹を切る!!」
もう何が何だかわからないといった状況の中、瞬間、奥さんは(もし、昭男が死んだら主人を殺して私も死のう)と心の中で決心したらしい。
当の昭男さんは何もわかっておらず(当たり前だが)ウロウロ歩き回っている。
その昭男さんに対して日本刀をかまえ、ジリジリと近付く澤井先生・・・。
「ハァーッ!!!」
裂ぱくの気合いとともに刀が振り下ろされた!
奥さんが目を覆った次の瞬間!!
スパーッ!!
リンゴは真っ二つに割れ、髪の毛数本がハラリと地面に落ちた。
昭男さんはかすり傷一つ無く、その命も無事であった・・・。
剣道、居合いにおいても高段者である澤井先生ならではの絶技である・・・。
しかし何故、澤井先生はこの様な行動におよんだのか?
数日後、澤井先生の部屋から「世界の昔話」という本が発見され、ページのハシッコが折ってあるところに「ウィリアム・テル」の話が書いてあったらしい・・・。
(スイスの昔話で、意地悪な役人から息子の頭の上に乗せたリンゴを矢で射るように命ぜられたウィリアム・テルが、見事そのリンゴを射抜いて見せたというお話です)
その4.
晩年、池袋界隈では地域の人たちから何かと頼りにされていた澤井先生。
地元の顔役のような存在で、何か困ったことがあると相談に訪れる人が大勢いたらしい。
そのうちの一人、メガネ屋の店主が「澤井さん、うちの高校生の娘が不良になってしまって、私ら親の言うことも聞かなくなってどうしようもない、どうにかならんだろうか?」と相談。
「よし、それならわしが会って話してみよう」とその家に出向き、不良娘と会うことになった。
見ると、髪にはパーマをかけ、セーラー服の長いスカートといった一昔前の典型的な不良少女である。
澤井先生「お前なぁ、親の気持ちを考えてみろ」と諭すように話していたらしいが、この娘、人の話を全く聞こうとしない。
それでも澤井先生、根気強く説教を続けようとしていたが、その娘が「うるせーんだよ、ハゲジジィ」と言い、ライターに火を付けタバコを吸おうとした瞬間、澤井先生、ブチギレ!
いきなり娘の首根っこをつかみ、近くにあったハサミで娘の頭を虎刈りにすると次に、娘の着ていたセーラー服から下着までを全部はぎとりスッポンポンにすると、そのまま店の外に放り出しシャッターをガラガラガラと閉めてしまった。
外では娘が「お願い!中に入れてー!私が悪かったですー!!」とシャッターをダンダン叩きながら泣きわめいていたらしいが澤井先生、無視。
その後、数時間にわたって外に出しっ放しにしていたらしい。
それからというもの、その娘は澤井先生の前では借りてきた猫のように大人しくなったとのことである・・・。
(これらはあくまで公開できる範囲のもので、もっとすごいエピソードが他にたくさんあります。念のため)
それにしても戦争での戦場体験者である澤井先生にとっては、このようなことは別に特別でもなんでもなく日常生活のひとコマに過ぎないのかも知れない。
澤井先生と同じ時代に活躍されていた極真空手の故大山倍達館長、合気道養神舘の故塩田剛三館長なども皆同様にクレージーであったのであろう。まともであろうはずが無い。
現在、学校教育の現場などでは教師の権威は失墜し、少子化の影響なのか、家庭でも子供の顔色ばかりをうかがう親が多くなっていると聞く。
そんな話は、昭和の武術家にとっては無縁な話であろう。
成道会の門下生よ、時代に逆らいクレージーなオヤジを目指せ!
そしてやがて、クレージーなジジィとなれ!!
空手拳法成道会
http://www.joudou.jp/