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組み手に関する一考察・7~素面掌底式~

2009-05-15 18:23:00 | 格闘技、武道

成道会有段者の組み手の最後のひとつが、顔には何も着用せずに手による攻撃は掌底のみに限定した、素面掌底式である。

打撃格闘技の場合、拳という凶器に相当するパーツの顔面加撃の危険度を如何に減殺したうえで組み手で自由攻防をするかを試行錯誤してきた歴史がある。
寸止め式然り、グローブ式然り、顔面パンチなし式然り、マスク式然り、である。

特に組み手試合を競技化するにあたっては必須条件で、拳で直接殴りあうなど、過激で一時的な注目を集めることはあっても、野蛮で大衆性に欠け、その様なものが競技化されるとしたらそれは興行にしかなく、アマチュア的な競技会としては普及も発展もしないであろう。

先述の各方式はどれもが世界規模で発展普及しており、現代社会の中で適応した、あるべき姿がそこにある。

太気拳では、創始者の澤井先生が中国で学ばれていた時から、組み手と言えば素面であり、使用する技の制限も無かったと思われる。
帰国後、日本で太気拳として後進の指導育成に入られた時も、特に取り決めのない形態で組み手を行っていたと思われる。

それは弟子に引き継がれ、現在も太気拳の組み手と言えば、素面で行われるのが通例である。
私が岩間先生のもとで修行していた頃ももちろん素面で、手による攻撃は掌底まで、といった条件であったが、拳が飛んでくることもしょっちゅうあって、しかし、特におとがめはナシであった。
であるから道場内の組み手であるにしては、かなり緊張したものである。

素面で行われることで、軽微な素手の打撃でも外傷は発生しやすく、又、急所攻撃は禁じ手だがアクシデントで指が目に入ることもあり、そのため顔面の接触に関しては、必然的にナーバスになる
このため、対峙した際の双方の呼吸、間のとり方がこれまでとは異なってくる
打撃する際の呼吸は慎重かつ繊細になり、相手との距離感、踏み込みのタイミングはより精密なものが要求され、マスク式やグローブ式のように雑に打ち合うことも出来なくはないが、その後の外傷のダメージを考えるとやりにくくなってくる。
それは、太気拳本来の動きを持つ者にとっては、やりやすい呼吸、間、である。

さて、この場合も手技の使用を拳まで認めるか、掌底までにするかで、攻防形態が変わってくる
拳と掌底では、同様に繰り出しても軌道やヒットポイントが異なるため、ただ単純に掌底を拳の代用として捉えることは出来ない。
掌底の場合、正中線を真っ直ぐに打ち抜くストレートより、フック系の打ち方が中心になりやすい。
そのため防御技術も、太気拳の練りで行われている直拳に対する差し手等はあまり用をなさなくなる。

この点、成道会ではシュートグローブとヘッドギアを着用した組み手を同時に実施することで、そのあたりのギャップを埋める様に取り組んでいるのである。

又、素面で掌底まで、という約束でも、思わず拳が出てしまう場合もあり、その場合、もらった方は打たれ損となる。
顔面への拳での打撃は寸止めにするとか、当て止めにする方法もあるが、単打のみで連打は無効になるし、故意に当てたり、故意に打ち抜いたりという事もできる訳で、それを遵守するかどうかはあくまでも本人次第で、これももらった方は打たれ損となり公平性に欠ける。
その外傷のダメージが深刻な場合もある訳だし、さらに、平手で打ち合う姿は、グローブ式等に比べてあまり見栄えはよくないので、この方式はあくまでも道場内の稽古としてはよいが、競技としては成立しにくいと考えている。

成道会では、競技会へ出場する場合は、そのルールに対応した組み手を必要量こなす場合もあるが、基本的にはマスク式、グローブ式、素面掌底式の3通りの組み手を定期的にこなすことで攻防技術が偏重することを防ぐようにしている。
それでも、マスクの場合はこう、グローブの場合はこう、素面掌底の場合はこう、といった様に各方式の攻防技術を使い分けるといった現象が生じるのも又事実である。

こうなってくると最後は本人次第ということになり、組み手が武術の稽古として本当の意味を持ってくるかどうかは各人の持つテーマによって変わる

又、年令によって組み手の内容も変遷すべきで、若年時はマスク式などで足を止めて打ち合ったりもしやすいが、50歳、60歳になって、その様な組み手は体力的にも無理があるし、相手を倒して勝ちに行く組み手から、磐石の守りを持った負けない組み手を心がける必要性も出てくる。

その際は、この組み手方式は除外して、この組み手方式のみでやっていこうという本人のみの選択の必要も出てくるし、それが出来る。

私個人としては、マスク式の比重は減らして、グローブ式、素面掌底式を多くこなすようにしていこうと考えている。
やがて50歳を過ぎたら、グローブ式の頻度も減らしていくかもしれない。
だから、今のうちにやっておくのである。
私にとって組み手は名誉や栄光のためでなく、あくまでも自分のために行うのみで、顔面ありのそれを長く続けていくためには、頻度は1~2ヶ月おき位が適切だと考えている。

成道会の組み手に対する取り組み方を様々に考察してみたが、これはどの会派でもその会派なりに取り組んでいる方法があり、成道会の場合、生涯に渡って武道を追及していく中で、如何に組み手を稽古の中に導入していくか、という点を重視している。

他人よりも強くなることが目的ではなく、今日の自分より明日の自分が少しでも強くなっていくことが目標である。

そして、当たり前ながら一人で組み手は出来ない。
名誉や栄光といった対価を求めず、社会人にとっては大変リスキーとさえも言える、互いのぶつかり合いである組み手稽古に己の身を投じてくれる相手がいてくれてこそ、この訓練は成立するのであり、その相手に感謝と尊敬の念を持って組み手に臨むことが必要であることは言うまでもない。




素面掌底式の組み手のワンシーン



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