身体の重みを感じ取り、その重みを体の最下部におけるようになってくると、少しだが、自身の身体内部を観察して感じ取ることが出来るようになってくる。
次の要求としては、ボールを抱えているような姿勢である腕の中に何らかの圧力、膨張感を感じとることである。
この感覚は言葉では表現しようもないのだが、わかっている人はわかっている状態であって、自身で体験して理解していくしかない。
「いっぱい空気の入ったぱんぱんになっているもろい紙風船を割らないように、壊さないように、それでいて腕の間から離れてどこかに行ってしまわないように、このもろい紙風船を腕の中に保持せよ」とイメージするのであるが、やがて、あるはずのない紙風船やボールが本当にあるかのような感覚が腕の中に現れてくる。
腕の中に抱えているボールが膨れてくるような何とも言えない膨張感が現れてくる。
この時点では肩周辺の筋肉の弛緩がさらに進んで、屈筋の活動よりも伸筋の活動が優位になってきている状態で、立禅のあの独特のボールを抱えたような姿勢の中で伸筋の活動が優位になって、腕の中に膨張しているような感覚が現れてきているものと考えられる。
これは、この状態を体験した人でないと分からない状態であって、この経験がない人にいくらこの状態を要求しても理解することすらできないだろう。
しかし、立禅を組み続けることによって、いずれ「こんな感じか」と理解できるようになる。
このような共通の認識ができるようなってくると、その後の様々な感覚が引き出しやすくなってくる。
料理の味を説明することは難しいが、塩味が効いていてそれでいて甘みがあってシソの風味があって・・・。などと説明されると想像することはできる。
この場合、料理の味を説明するために誰もが持っている塩味、甘み、シソの風味という共通認識を用いて料理の味を伝えようとする。
立禅の場合も、通常の運動では得られることない感覚をキーワードにしてその状態を確認して引き出していくことが多いが、共通認識できる材料があれば、次につなげていくことも出来る。
立禅に際に腕の中に現れる膨張感も然りで、一度認識出来たら、その状態を再現させることが可能となってくる。
身体で認識、確認することを体認と言い、この武術では重要な要素である。
腕の中に現れた膨張感は、初期段階でも人によっては身体全体に広がることもあり、この段階では伸筋の活動が優位になり、骨格を広げて使うということが少しだけど出来ている状態でもある。
この段階が確認出来たら次の要求に進んでいく。