背骨ではさむという意念が備わるだけでも骨格の支持能力は格段に上がる。
立禅によって打撃力の強化を求めるのであれば、この段階までは習得しておかなくてはならないと思う。
この時点で、意念によって身体の内部を調整して微動による力の発揮ができるようになっているのであるが、もっと精密にしていくために次の段階を要求する。
反対にここまでがしっかりと身体で理解できていないと次に進んでも理解できないのではないかと考えられるので、そのため次の段階を要求することもできないと考える。
掛け算の九九を覚えていないと複雑な方程式を使うことはできないのと同様で、それぞれの段階での体認はそれなりにクリアしておく必要があるし、その集積がないと次の段階の要求も理解、発掘することはできないと考える。
骨格を伸ばすという意識と、伸ばすと同時にはさむという意識を持つことによって発生する力は自分にとっては微細であるが、相手に伝わる力としては密で強大なものとなる。
骨格の持つ物理的な特性が相手に伝わりやすくなるためであろうが、これを構造能力と言い、骨格を広げる能力、それによって自身の骨格を支える支持能力を獲得して強化していくのが立禅のこの段階までの目的と言える。
骨格を伸ばすと言ってもストレッチのように筋肉を可動域以上に伸展させるわけではなく、軽く骨格を広げる様なものであるが、その状態、その感覚が難しく、立禅の中から発見していくしかないものと考えられる。
関節の特徴として曲げる、伸ばすという動きも、曲げることのできる方向、伸ばすことのできる方向は決まっており、どの方向にでも自在に動かせる関節は存在せずに、例えば肘や膝は曲げることができる方向、伸ばすことができる方向は決まっている。
曲げることげできる角度、伸ばすことが出来る角度も決まっている。その範囲を超えると関節は壊れてしまう。
しかし、その範囲の中であればかなりの負荷にでも、さらに、瞬間的なものであれば、もっとさらに強い負荷にでも耐えられる構造を持っている。
この特性を意念による微細な筋肉活動をもって、引き出していくのが立禅の特性ではないだろうか。
立禅における能力の開発として次の段階としては「はさむ」という意識をもって骨格の特徴から生じる能力をさらに精密に強化する。
何かをはさもうとすると、はさむ面と反対の面は広がっていく。
手の平で何かをつかもう、はさもうとすると手の平側の面積はわずかに縮むようになり、反対側である手の甲側の面積はわずかに広がったようになる。
それは「吸い込む」という意念でも同様であり、まず両手の平の真ん中あたりで吸い込むとイメージする。
すると、伸ばす、はさむといった意念によって発生していた力がより密になることが確認できる。
次に足の裏で吸い込んでみる。
この時点で手掌と足底の4か所で吸引しているが、これに頭のてっぺんでも吸い込み、みぞおちあたりでも吸い込むイメージを加える。合計6か所で吸い込む。
このようにして骨格に本来由来している物理的な支持能力を引き出していく。
この吸引力の意識をいかに強化できるかが、これから先の勁力の開発を左右する。
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