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太気拳雑感

2006-12-14 11:29:00 | 格闘技、武道
素面素手で行われる太気拳の散手は、実戦を想定しての模擬訓練としては実にシンプルかつ効果的であるが、顔面頭蓋が被る外傷、損傷も著しくなる。ボクシング等でもまず想起されるのが脳中枢に対する蓄積されたダメージであるが、実際には眼の損傷が多いと聞き及んでいる。実際にボクサーが現役引退を余儀なくされるのは、網膜はく離等の眼の障害が最も多い。
実際に殴り合いをするとなれば、攻撃のターゲットは顔面を中心に構成される。これは肉食動物が獲物を狩る時に本能的にのど笛の頚動脈に喰らいついていくのとおんなじことなのであろう。
顔面を素手で打つと、その局部損傷はグローブ等の比ではない。あごをシッカリ引いてダウンを免れても顔は見る見る腫れ上がり、場合によっては顔面の陥没骨折等の重篤な怪我もあり得る。
実戦を想定した散手を訓練として採用し続けていくのであれば、起こりうる外傷、ダメージの蓄積から回復等を充分に考慮する必要がある。
 元々武術は競い合うと云った目的からではなく、外敵から国家を、家族を守り生き抜いていくがために編み出された一つの文化であると考える。
 岩間先生と親交のある謝柄鑑先生の自然門拳法などは、眼球攻撃、金的蹴り、膝関節を逆方向にへし折る蹴り等、急所必殺攻撃のオンパレードでこれらを用いての散手となるとこれはもう命のやり取りである。
旧来の武術はこのような生死を前提とした局面で、如何に自分が生き残るかについて考案され研究され続けてきた訳であるが、それは人間の持つ潜在的な能力を顕現するに及ぶ。
先程の謝柄鑑先生とは岩間先生に学び始めてすぐに、1回だけお会いしたことがあるが実際に目の前で技や動きを見せられた時は、その人間離れした動きに驚愕したものである。
 散手は実戦に至るための模擬体験であり、強さを追及していく為には必要不可欠と云える。散手訓練を行わずして本当の強さを身に付けるなど虫のいい話は無い。しかし、散手と実戦は異なるという現実もまた忘れずに、手段と目的がいつの間にかすりかわってしまうことの無いように取り組んでいかねばならない。
 私個人としては、人間として強くなりたいが為に武術に取り組んでいる。絶対不動の自信が身に付いたときには既に武術も格闘技も必要としなくなっているのであろうが、まだまだその日は来そうに無い。


空手拳法成道会
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