前回までの成道会における立禅の要求段階を整理してみた。
第1段階(一定時間立つ)→第2段階(重みを下におく)→第3段階(膨張感)→第4段階(先端の意識)→第5段階(はさむ意識)→第6段階(吸引力)→第7段階(前方出力)→第8段階(下肢の前方出力)→第9段階(股関節の定中)
こうしてみると全部で9段階あって、第3段階あたりまでを習得すれば打撃の威力は自然と引き上げられる、第5段階あたりではもっと具体的に立禅によって獲得した能力を打撃の動きに適用させてその威力を引き上げることが可能となる。
推手においても第3段階か第4段階あたりでは接触している腕にかなりの重さが現れてくる。
意念による微細な筋肉の活動による微細な骨格の形状変化を把握できれば第6段階まではわりと理解しやすい。
第7段階以降は理解できるかどうかはその人次第であると思う。
それはその感覚がより微細になっていくからであり、そのような微細な感覚を拾えるかどうかは個人の取り組みと求めるところによると思うし、自分ではできているつもりでも後々になってみてみると、その時点では全然できていなかったと思い知らされることも多く、また、思い違いをしたままで進んでしまうことも多い。
しかし、その微細な感覚によって生じる力はわずかであるけれど、あるとないでは全くと言っていいほどの差違が生まれると言っても過言ではない。
各段階において獲得した能力を打撃でも推手でも試してみると、上手くいく場合とそうでない場合があるが、
そのようなテスト、つまり試力において実験してみることでより自身の能力を向上させていくことができる。
どの段階においても、その時点での力がそれなりにしっかりと出ている場合もあるし、そこまでではないけれど、次の段階に進んでみた場合に結果としてよくなっていく場合もあると思う。
しかし、現時点の段階を経ることで次の段階を理解することができるのは間違いないようなので、成道会では今後もこの方法で立禅の能力を引き出していこうと思う。
立ち続ける時間をより多くかけることにより得られるものが多いというのは本当で、時間をかけて立ち続ける耐久力が備わることによって自身の身体の内部状況を観察することが容易になる。
なので、どのくらいの時間、立ち続けることができるのかに挑戦してみるのも初期段階では有意義であると思う。
やがて様々な能力を理解できるようになると質を優先する内容となってくるが、質そのものが不明な場合は時間を量、負荷として、その負荷に対応できるだけの器を作っていくことも必要であり、そのようにして立禅による能力を引き出していくための素地を作っていくことも必要であると考える。
通常の運動における動作獲得においても小脳が記憶している運動機能を上書きしていくことでその質を向上させていくが、そのためには本人が理解できている知識や情報が必要で、特に立禅の場合は自身の知らない未知の能力や感覚を、又、ある意味人体の中に眠らせているような能力や感覚を引き出していき、拾い上げていくことによって上書きを繰り返す作業であるとも言える。
そもそも一見すると不毛としか思えないこの鍛錬法を自身の訓練として採用することができるということは、それそのものがその人の才能であるとも思う。
現在、私自身は第9段階の次の段階に入っている。
来年は57才を迎えようとしている私の身体の中でこのような変化が続いていることに正直、驚いている。