立禅を行なう上で欠かせない能力のひとつに禅定(ぜんじょう)という状態がある。
ウィキペディアで調べてみると「禅定とは仏教で心身ともに動揺することがなくなった一定の状態を指す」「禅定によって心を乱されない力を定力または禅定力と呼ぶ」と記されている。
立禅における大きな目的として構造能力の獲得があるが、同時に禅定力の養成も必須となるものと考える。
以前、故・佐藤聖二先生より「立禅はできるだけ長い時間組み続けることによって得られるものも多く、その様に取り組む様に」とのご指導を受けたことを書いた。
事実、最初は30分立つのがやっとのところが、1時間となり、2時間となり、最終的には3時間以上、立禅を組み続けることができるようになった。
そして、本当に時間をかけて組んだ方が骨格の支持能力、つまり、構造能力が強化され、自分でも気が付かないような能力が自身の身体に元々備わっていることが発見できた。
しかし、長時間の立禅というのは本当に辛く、まず、大体の人が音を上げてしまうのではないだろうか?
澤井先生が王薌斎先生に弟子入りした際も、来る日も来る日も立禅ばかり組まされて本当に辛かったようだし、そもそも、姿勢を変えずにじっとしている状態で何分も何時間も耐えるというのは日常生活やスポーツのトレーニングでも類がなく、実際にやってみると、ほんの10分でも辛く感じられるもので、早く腕を下ろすなり、姿勢を変えたくなる衝動に駆られる。
何分も何時間も姿勢を変えずにじっとしている習慣など、元々人間にはないのだから当然である。
しかし、敢えて姿勢を変えずに立禅を組み続けるために要求される精神の能力が禅定力であると考える。
修行僧の人たちは何時間も座禅を組み続けることを重要な修行、課題としているが、それは、何事にも動揺することのない安定した心の状態を得ることを目的としているのではないだろうか?
私は整体施術業を生業としており、施術に入る前にイスに腰掛けた状態で座禅を組むことが多い。
施術に入る前に座禅を組むことで、触診力がシャープになって施術中に生じる脳疲労を最小限に抑えることができる。
その際、立禅のように構造能力のことなどは考えず、呼吸に意識を集中する。
頭を上に押し上げ、腰は吊り腰にして姿勢は真っ直ぐにして行なうことで、呼吸は深く安定する。
呼吸が深くなればなるほど、心も落ち着いて頭もスッキリしてきて、質の高い仕事ができる様になる。
仕事前の座禅は2~3分から30分になることもあり、仕事の状況によってもまちまちだが、精神状態を安定させ、患者さんの筋肉の状態や頭蓋骨の動きを読み取る触診力をシャープにし、より高い施術力を発揮するために必要なものとなっている。
脳内の血流量、つまり酸素の供給量をアップして、脳内活動の安定を計るのに実に効果的である。
私にとって立禅と座禅とではその目的が異なるが、共通する部分もあって、それは呼吸に意識を持っていくことで、より深いリラクセーション効果が得られることだ。
長時間の立禅は実に辛いと書いたが、それを可能にするのは忍耐力とか我慢する力ではなくて、禅定力だと考える。
禅定と言うと難しく聞こえるが、喜び、怒り、悲しみ、恐れ、驚き等といった激しい感情の起伏を抑え、変動することのない安定した精神状態のことを意味するのではないだろうか?
わかりやすく言えば、リラクセーション能力である。
立禅に取り組む際も、最初の頃はそわそわして落ち着かなかったり、とにかくじっとしているのが辛くて、どこか身体を動かしたくなるものだが、やがて、そうでもなくなってくる。
この段階で、リラクセーション能力、すなわち禅定力が少しずつ備わってきているものと考えられる。
更に、何分も何時間も立禅を組み続けるには、思わず身体を動かしたくなる衝動をその都度その都度、抑える必要があり、その際に、ある程度の禅定力が備わっていなければ、大変な苦痛となる。
動きたくなる衝動を、心を落ち着かせることで安定させる。再度、そのような衝動が襲ってきても心を落ちかせ、安定させる。
その様な繰り返しで長時間の立禅が達成でき、そのことによって構造力が強化される。
呼吸と精神状態には密接な関係があり、それは横隔膜の動きによる脳の反応が関係していると考えられる。
息を吸うと肺は大きくなって横隔膜は下がる、息を吐くと肺は小さくなって横隔膜は上がる。
腹式呼吸でゆっくりと息を吐くと、横隔膜の筋肉中のセンサーからインパルス(電気信号)が発射され、脳幹の呼吸中枢を刺激する。
それが、脳内のある部位の過剰な興奮を抑制して、精神を安定させると言われている。
つまり、ゆっくりと息を吐くことによって心が落ち着くということである。
ヨガでも呼吸が重要とされているのは、呼吸と精神には深い関わりがあると古くから考えられているからに他ならない。
呼吸と精神状態は密接に関係しており、それは、横隔膜の動きと脳の活動状態は相互に関係しあっているということである。
立禅においては、全身の筋肉が弛緩するようにするが、実際に立っているということは、いずれかの筋肉が収縮することで骨格を支えているわけで、身体の中では、緊張と弛緩が混在した状態となっている。
余計な筋肉の緊張、りきみを取り除いていくために呼吸を安定させることは必須であり、これは、横隔膜の活動を安定させることで、そのことによって、リラクセーション能力、つまり禅定力をより向上させるということでもある。
さらに、ゆっくりと息を吐いている状態が吊り腰を形成しやすく、これは、横隔膜の状態と脊柱全体の形状形成にも密接なつながりがあるからである。
その様に考えていくと、立禅における構造能力の強化と禅定力の養成は双方ともに必要なものであり、立禅は、そもそもそれらを内包した訓練法なのだと思う。
実際の攻防でも、自身の動きや能力を発揮するために場数を踏むことで慣れる、ということも大切であるが、禅定力の養成も必要だと考える。
太氣拳成道会
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