高月観音ふるさと祭りに出掛けました。
雨森観音寺を訪ねました。観音寺のある雨森地区は、雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)の出身地です。
雨森芳洲は、江戸時代の儒学者。中国語、朝鮮語に堪能で、幕府の通訳として日本と朝鮮の交流に活躍した人だそうです。今でいう大使館員のような役目で李氏朝鮮時代の釜山に滞在していたこともあったそうです。
地元では大人気のようで、こんな看板も。
雨森観音寺門前の東屋で昼食をいただきました。高月駅で売られていた戦国焼き味噌おにぎりです。
加藤清正、福島正則など賤ヶ岳の七本槍と言われた武将のイラストが書かれています。
腹ごしらえがのあと、雨森集落のすぐ北、保延寺集落の阿弥陀堂に行きました。
阿弥陀堂は、白山神社の境内にありました。手前が阿弥陀堂。奥が白山神社の拝殿。
この地域には、奈良、平安時代に大きなお寺がいくつもあったそうです。時代が下り、ほとんどの寺は荒廃してしまいましたが、残された仏像は、村々に観音堂や阿弥陀堂が建てられ、地域の人たちの手で守られてきました。観音堂などのお堂は、多くは村々を守る神社内に建てられています。神さまも仏さまも私たちを守ってくださる存在として、一緒に大切にしてこられました。昨年のブログに少し詳しく書きましたので、そちらもご覧ください。
保延寺阿弥陀堂の仏さま。三体とも阿弥陀さまです。中央と向かって右のお像が手を膝の上で組んだ定印、左のお像が右手を上げて左手を下げ、指で輪を作る来迎印を結んでいます。
保延寺というのは、寺の名前ではなく、地名です。しかし、この地には古代、「花寺」という大きな寺があったといわれ、白鳳時代の寺院瓦などが出土しています。己高山(こだかみやま)縁起には、最澄が己高山を再興したときに、自ら彫刻した仏像のひとつとして「保延寺阿弥陀」と印されているそうです。
1000年前からこの地には、保延寺という阿弥陀さまを祀る寺があったのかもしれません。
続きます。