6月7日(日)、青梅線の牛浜駅に集合して、
第25回横田駅伝に出場いたしました。
結果を検索しましたところ、
トップギアAチームは、1時間23分01秒で、総合順位 69/1325
でした。
初めての駅伝で、三区を走ったタイムでチームの足を引っ張ってしまいましたが、
楽しかったです。
それにしても過酷な、暑さというコンディションでした。
前日の土曜が小雨で、終わったあとの、月曜、火曜とこんなに涼しい
ランニング日和なのに、開催日の日曜だけ、暑いコンディションでした。
暑いコンディションは出場した皆に平等でしたし、
実力者の皆さんもかなり、暑さで苦戦していました。
私は、たすきを受けて、最初だけ少し、飛び出しましたが、
「スタートダッシュしては、この暑さでは消耗してもたない。」と、
すぐに抑えて、
1キロ、2キロ、、と表示があるたびに、「まだ、残りがそんなに
あるのか。」と、とても長く感じながら、
「中盤で、無理すると、後半失速する。」と、抑えて、
最後は、「この疲労ではラスト・スパートができない。」と、
終始、抑えたままで、5キロ、走り終わってしまいました。
手もと計測の5キロの結果で22分46秒かかっていますので、
10キロのベスト(アップダウンのあるコースの大会の時)の半分よりも
長くかかってしまいました。
実力不足ですので、しっかり、トレーニング、走り込みをしたいと
思います。
個人の大会では、計測用のRCチップというのが、ゼッケン裏に
張られているタイプと、靴紐に通すタイプの大会に出たことが
あります。
今回は、ゼッケンにもチップがついていないのに、
計測板の上を通ると、通過時間を計測したピーという音がなりました。
不思議だったのですが、「たすきに計測チップが埋め込まれている」のだと
教えてもらって、分かりました。
たすき渡し場所と、計測板とが、離れていましたので、
手もとで計測したタイムと、後ほど発表される区間ごとラップとは
ずれると思います。
これだけのチーム数での大会ですから、
かなり凝った工夫がされた特殊なたすき渡しの方法が採用されていました。
チームを50ずつのグループに分けて、
それぞれに番号のついたピット(F1のピットの感じと似ています)
が割り振られて、そのピットの中でたすきを渡す、という仕組みです。
ただ、分かりにくかったのが、ゼッケンの番号とピットの番号とが
関連が無かった点でした。
ピットの表示には大きくピット番号と、
小さく ゼッケン番号 が、何番から何番までか、が書いてありました。
私たちのチームはゼッケン番号は16から始まる4桁ですが
ピット番号は13でした。
「13まで走って、入って渡す。」と何度も、走る前に頭の中で
繰り返して確認をしましたし、
一区から二区へのたすき渡しがされる様子も、ピット13の後ろ側で
見ました。
1区の、チームのエース、ヘッドコーチが戻ってきました。
「暑いです。」と、かなり消耗している様子でした。
アマチュアランナーとは、全然違う持ちタイムの、ヘッドコーチでさえ
かなり苦労して5キロ走ってきたというコンディションだということで、
緊張が高まります。
2区の走者から私へは、スムーズに、かなりの順位でたすきが
渡されました。周りには、まだ、一区から二区のたすき渡しを
しているチームもあり、コースに出て行くと、二区のランナーか
かなりいましたので、抑えたペースで、抜きながら進みましたが、
後で三区にたすきが渡った高速ランナーに、かなりあっさり抜き去られ
たしもしました。速いランナーが、小さい段差で
足を取られて前方で激しい転倒をする場面もありました。
各番号のピットは、コースが円形広場状にほぼ小さく1周の円に
なっている場所の外側に、設けられています。
ラストのスパートもできない消耗でしたが、「あと、あのあたりまで
走ると4区の人が待っている。」と、円形のピット・エリアに入って
行きました。4区のチーム・メイトを探しながら。
走り始める前には、何度も、「番号13で入って渡す。」と
繰り返していたのに、 あろうことか、ピット番号16を超えて、
18ぐらいまで行ってしまって、小さく書かれたゼッケン番号区分が
自分のゼッケンの数字より大きい! と分かって、「しまった!
13だった!」と、やっと気がついて、戻り、
13のところで必死に呼んでくれていた(声は、ランナーが多すぎて
聞こえません)四区チーム・メイトに、13ピット出口で
たすき渡しをする、という、ていたいミスをしてしまいました。
いくらおっちょこちょいな私でも、あの暑さで朦朧としていなかったら
しなかったミスだと思います。それぐらい、「もう、かなり限界だ。
早く、渡したい。」と焦りがあったせいだと思います。
終わってから、4区チーム・メイトに謝り、
「40秒ぐらいロスしたでしょうか?」と訊くと、
「ロスは15秒ぐらいではないでしょうか。」という回答でした。
スピードが出せずに、たすき渡しでもミスをして、
チームに迷惑をかけてしまいました。
チップでの計測板は円形のピット・エリアに入る前に設置されていました。
三区の区間ラップとしては、二区のチーム準エースの方のラスト・スパート
の分が含まれていて、私が計測板を通過後のスパートできていない走りと
たすき渡しミスの分は、四区の方のラップタイムに入ってしまっていると
思います。重ねて、申し訳なく思います。
ミスはありましたし、きついコンディションでタイムも悪かったですが、
事故や故障もなく、前回のパラカップ(4月29日)ハーフ前からの
アキレス腱炎症を悪くすることもなく無事に走れましたし、
とても楽しかったです。
涼しいコンディションだったら、前半飛ばしすぎ失速(ヘッドコーチが
それを心配してくださっていた。)や、故障などが、あったかもしれません。
駅伝には、ぜひ、また、出たいです。
次回は、確実にロスなく、たすきを正確につなぎたいです。
テレビでの駅伝大会でしか見たことがない「たすき渡し」を
経験(ミスしながら)しましたが、
「たすきは、確実に渡されないといけない。」と感じました。
短距離のリレー種目でも、バトン・ミス失格がありますが、
バトンも同じで、確実に次に渡されなければいけません。
「次の世代へバトンを渡す。」と比喩的に使われることも
ある言葉ですが、
(ここで、話を「硫黄島 島民」に、こじつけますが)
私たちの、硫黄島在住島民、子供、孫、ひ孫 という
コミュニティで、行われ続けていて、今がちょうど、大事な
「たすき渡し」「バトン・パス」の時、だと思います。
私の世代は、島で子育てしていた祖父母、幼い頃を過ごした母たち
の世代から、たすきを受けて、もっと若い世代に、確実に
渡していかないといけないと思います。
熱心な諸先輩方が、既に、私より若い世代の人たちと
帰島訪問でコミュニケーションを取って、年に一度の「集い」を
開いて、そこに集まれるようにして下さっています。
私より上の世代の方々、若い人たちと一緒に、竹芝桟橋で
小笠原丸に乗り込む日まであと、三日(今週の金曜日12日発)
となりました。
「たすき」を確実に渡すためには、また、
それぞれのランナーが、「ケガや事故、故障無く、確実に
走り続けていること」 が重要なファクターになります。
年月は経過して、どの世代の人たちも年齢を重ねて行きますが、
みんなが、それぞれに健康で元気で一年を過ごして再会して
一緒に硫黄島を訪問し続けることができることが 願い です。
写真は、今では舗装道路になっている擂鉢山への道を
頂上から撮影(昨年6月訪問の時)したものです。
第25回横田駅伝に出場いたしました。
結果を検索しましたところ、
トップギアAチームは、1時間23分01秒で、総合順位 69/1325
でした。
初めての駅伝で、三区を走ったタイムでチームの足を引っ張ってしまいましたが、
楽しかったです。
それにしても過酷な、暑さというコンディションでした。
前日の土曜が小雨で、終わったあとの、月曜、火曜とこんなに涼しい
ランニング日和なのに、開催日の日曜だけ、暑いコンディションでした。
暑いコンディションは出場した皆に平等でしたし、
実力者の皆さんもかなり、暑さで苦戦していました。
私は、たすきを受けて、最初だけ少し、飛び出しましたが、
「スタートダッシュしては、この暑さでは消耗してもたない。」と、
すぐに抑えて、
1キロ、2キロ、、と表示があるたびに、「まだ、残りがそんなに
あるのか。」と、とても長く感じながら、
「中盤で、無理すると、後半失速する。」と、抑えて、
最後は、「この疲労ではラスト・スパートができない。」と、
終始、抑えたままで、5キロ、走り終わってしまいました。
手もと計測の5キロの結果で22分46秒かかっていますので、
10キロのベスト(アップダウンのあるコースの大会の時)の半分よりも
長くかかってしまいました。
実力不足ですので、しっかり、トレーニング、走り込みをしたいと
思います。
個人の大会では、計測用のRCチップというのが、ゼッケン裏に
張られているタイプと、靴紐に通すタイプの大会に出たことが
あります。
今回は、ゼッケンにもチップがついていないのに、
計測板の上を通ると、通過時間を計測したピーという音がなりました。
不思議だったのですが、「たすきに計測チップが埋め込まれている」のだと
教えてもらって、分かりました。
たすき渡し場所と、計測板とが、離れていましたので、
手もとで計測したタイムと、後ほど発表される区間ごとラップとは
ずれると思います。
これだけのチーム数での大会ですから、
かなり凝った工夫がされた特殊なたすき渡しの方法が採用されていました。
チームを50ずつのグループに分けて、
それぞれに番号のついたピット(F1のピットの感じと似ています)
が割り振られて、そのピットの中でたすきを渡す、という仕組みです。
ただ、分かりにくかったのが、ゼッケンの番号とピットの番号とが
関連が無かった点でした。
ピットの表示には大きくピット番号と、
小さく ゼッケン番号 が、何番から何番までか、が書いてありました。
私たちのチームはゼッケン番号は16から始まる4桁ですが
ピット番号は13でした。
「13まで走って、入って渡す。」と何度も、走る前に頭の中で
繰り返して確認をしましたし、
一区から二区へのたすき渡しがされる様子も、ピット13の後ろ側で
見ました。
1区の、チームのエース、ヘッドコーチが戻ってきました。
「暑いです。」と、かなり消耗している様子でした。
アマチュアランナーとは、全然違う持ちタイムの、ヘッドコーチでさえ
かなり苦労して5キロ走ってきたというコンディションだということで、
緊張が高まります。
2区の走者から私へは、スムーズに、かなりの順位でたすきが
渡されました。周りには、まだ、一区から二区のたすき渡しを
しているチームもあり、コースに出て行くと、二区のランナーか
かなりいましたので、抑えたペースで、抜きながら進みましたが、
後で三区にたすきが渡った高速ランナーに、かなりあっさり抜き去られ
たしもしました。速いランナーが、小さい段差で
足を取られて前方で激しい転倒をする場面もありました。
各番号のピットは、コースが円形広場状にほぼ小さく1周の円に
なっている場所の外側に、設けられています。
ラストのスパートもできない消耗でしたが、「あと、あのあたりまで
走ると4区の人が待っている。」と、円形のピット・エリアに入って
行きました。4区のチーム・メイトを探しながら。
走り始める前には、何度も、「番号13で入って渡す。」と
繰り返していたのに、 あろうことか、ピット番号16を超えて、
18ぐらいまで行ってしまって、小さく書かれたゼッケン番号区分が
自分のゼッケンの数字より大きい! と分かって、「しまった!
13だった!」と、やっと気がついて、戻り、
13のところで必死に呼んでくれていた(声は、ランナーが多すぎて
聞こえません)四区チーム・メイトに、13ピット出口で
たすき渡しをする、という、ていたいミスをしてしまいました。
いくらおっちょこちょいな私でも、あの暑さで朦朧としていなかったら
しなかったミスだと思います。それぐらい、「もう、かなり限界だ。
早く、渡したい。」と焦りがあったせいだと思います。
終わってから、4区チーム・メイトに謝り、
「40秒ぐらいロスしたでしょうか?」と訊くと、
「ロスは15秒ぐらいではないでしょうか。」という回答でした。
スピードが出せずに、たすき渡しでもミスをして、
チームに迷惑をかけてしまいました。
チップでの計測板は円形のピット・エリアに入る前に設置されていました。
三区の区間ラップとしては、二区のチーム準エースの方のラスト・スパート
の分が含まれていて、私が計測板を通過後のスパートできていない走りと
たすき渡しミスの分は、四区の方のラップタイムに入ってしまっていると
思います。重ねて、申し訳なく思います。
ミスはありましたし、きついコンディションでタイムも悪かったですが、
事故や故障もなく、前回のパラカップ(4月29日)ハーフ前からの
アキレス腱炎症を悪くすることもなく無事に走れましたし、
とても楽しかったです。
涼しいコンディションだったら、前半飛ばしすぎ失速(ヘッドコーチが
それを心配してくださっていた。)や、故障などが、あったかもしれません。
駅伝には、ぜひ、また、出たいです。
次回は、確実にロスなく、たすきを正確につなぎたいです。
テレビでの駅伝大会でしか見たことがない「たすき渡し」を
経験(ミスしながら)しましたが、
「たすきは、確実に渡されないといけない。」と感じました。
短距離のリレー種目でも、バトン・ミス失格がありますが、
バトンも同じで、確実に次に渡されなければいけません。
「次の世代へバトンを渡す。」と比喩的に使われることも
ある言葉ですが、
(ここで、話を「硫黄島 島民」に、こじつけますが)
私たちの、硫黄島在住島民、子供、孫、ひ孫 という
コミュニティで、行われ続けていて、今がちょうど、大事な
「たすき渡し」「バトン・パス」の時、だと思います。
私の世代は、島で子育てしていた祖父母、幼い頃を過ごした母たち
の世代から、たすきを受けて、もっと若い世代に、確実に
渡していかないといけないと思います。
熱心な諸先輩方が、既に、私より若い世代の人たちと
帰島訪問でコミュニケーションを取って、年に一度の「集い」を
開いて、そこに集まれるようにして下さっています。
私より上の世代の方々、若い人たちと一緒に、竹芝桟橋で
小笠原丸に乗り込む日まであと、三日(今週の金曜日12日発)
となりました。
「たすき」を確実に渡すためには、また、
それぞれのランナーが、「ケガや事故、故障無く、確実に
走り続けていること」 が重要なファクターになります。
年月は経過して、どの世代の人たちも年齢を重ねて行きますが、
みんなが、それぞれに健康で元気で一年を過ごして再会して
一緒に硫黄島を訪問し続けることができることが 願い です。
写真は、今では舗装道路になっている擂鉢山への道を
頂上から撮影(昨年6月訪問の時)したものです。