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OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

硫黄島は特攻隊が出撃した島でもあります。

2009年09月18日 | 硫黄島・小笠原村
特攻隊、特別攻撃隊による作戦を、皆さんご存知だと思いますし、多くの方が、「特攻隊出撃」で、鹿児島県の知覧を思い起こされることと思います。

硫黄島からも特攻隊による特攻作戦攻撃の出撃があったことはあまり知られていないと思います。

隊の名前は、第一御楯特別攻撃隊と、第二御楯特別攻撃隊です。この二つ隊の慰霊碑が擂鉢山山頂に建立されているのは、何度も写真に撮影をしていましたし、この写真の建物も何度も見て写真を撮っていました。

今回の9月の訪問で、随行してくださった自衛隊員の方に詳しく解説していただくまでは、硫黄島と特攻作戦とを結びつけて思い起こすことはなく、両隊の名前を知っている程度でした。

硫黄島と戦争を思い起こす時には、米軍による上陸作戦に対する激烈を極めた守備隊攻防戦が、あまりに特別な戦いで、思い起こされるために、本当でしたら人々の記憶に強く残るはずの「特攻隊が硫黄島から出撃した。」ことが、語られたり思い起こされたりすることは、非常にまれだと思います。

この写真の建物後は、一部くずれていますが、がっちりした造りの外観を今も留めています。
私どもの慰霊墓参訪島の時に、昼食休憩をしたり、自衛隊の売店や隊員向け理髪店などがある厚生館(戦前の南の中心地)から、海側にゆるい坂を30メートルも下るとこの建物があります。必ず休憩を取る場所からあまりにも近いために、建物と碑文があることは知っていても、あまり意識することがありませんでした。

特攻出撃前夜の作戦会議が行われたのがこの建物だそうです。明日には片道燃料で飛び立つ隊員たちがいらっしゃった建物が、今もこのように残っています。

硫黄島は日米両軍にとって戦略上、非常に重要な位置にあり、上陸米軍と迎撃日本軍との激戦の前に、特攻出撃という、太平洋戦争でも特殊な作戦の拠点であったことも記憶にとどめ、慰霊と平和祈念の気持をさらに強く持ちたいと思いました。

米軍大規模上陸作戦より前の、まだ、住民が住んでいる時に、米軍艦隊から艦砲射撃があったことは、戦前に子供だった、私の母や親類もよく覚えているそうで、話を聞くことが多いです。
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