goo blog サービス終了のお知らせ 

OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

タコの実です。

2007年06月24日 | 硫黄島・小笠原村
硫黄ヶ丘の横のタコの木になっていたものです。
船で先輩方に教えていただいていましたので、
今回はうまく、食べ方が分かって、味わうことができました。

昨年の秋に、自衛隊機で入間から参加で訪問した時にも
同じタコの木から一つ(秋でも6月でも、実がなるんですね。)
持ち帰りましたが、その時には食べ方が分かりませんでした。

8歳で島から引き上げた母は、昨年秋には
「見覚えがあるが、食べ方は忘れてしまって見当がつかない。」
と言っていたのですが、今回、房を切って、中の実を見て、
「これは、よく食べた。」と、やっと、60年以上ぶりに
どの部分をどう食べるのか、どういう味か、味噌にもしたこと、
などの記憶を甦らせました。祖母にも、持って行って食べてもらえます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

13日から18日までの今年のおがさわら丸での墓参帰島に参加

2007年06月24日 | 硫黄島・小笠原村
協議会関係者の皆様、旧島民の皆様、硫黄島に興味をお持ちの皆様、

まずはブログを開設させていただきました。
 3度目の硫黄島訪問でした。
前の2度は「戦争の傷跡の悲惨さ」ばかりに興味が集中しての訪問でしたが、
3度目の今回は、「戦前は海からの恵みに山からの恵みで、豊かな島だったんだ」と感じました。 

あれだけの日本にとってだけではなくアメリカにとっても、特別な戦闘の島になったのですから、「悲惨な傷跡」のイメージに興味が行くのは当然だと思います。(映画の影響もあると思います。) 
今回の訪問でも多くの戦跡、お祈りをする場所で、犠牲になられた旧島民の方と日米の兵士の英霊への、お祈りをしてまいりました。

これからは、「戦争の前は、どんな島だったの?」「当時の島の生活の様子は?」「島の自然と天候や生態系は?」などにも、もっと興味を持ちたいと思います。

おがさわら丸が竹芝桟橋につく頃に、「硫黄島の呼称が「いおうとう」に変わったというニュース」が届き、旧島民の長年の念願が一つかなったという喜びが満ち溢れた有意義な墓参帰島でした。

写真は鶉石(うずらいし)(世界で硫黄島以外には、イタリアに一箇所しかないそうです。)がある南海岸からの摺鉢山です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする