頼子百万里走単騎 "Riding Alone for Millions of Miles"

環境学者・地理学者 Jimmy Laai Jeun Ming(本名:一ノ瀬俊明)のエッセイ

過激なので日本語では書かなかった(中国SNS用の下書き)。

2023-09-25 12:52:05 | 日記
同調圧力のバカバカしさには中学生の時に気が付いたが、同時に「面従腹背」を上手に使うことも覚えた。同調圧力に屈しているかどうかは、相手にとってとるに足らないような(傑出した)存在になろうとも(子供心に)思った。

内職は得意だった。好きな内容だけ先取りして進むよりは、授業のペースで完璧にしていく作戦だった。それは高3まで続いた。大学の講義(教養)はいきなりどれもハイレベルになったが、クラス全員が大なり小なりギフテッドという感じだった。得意なものだけどんどんやる、苦手は早々に放棄する。東大駒場の日常。

中学以降は遺伝。努力は小学生までらしい。勉強しようと思ったのは中1以降なので、小生は遺伝だということ。親父は実家の家計問題で東京教育大を断念(家から通える信大教育へ楽々)。母方祖母の一族には東大がいた(と、後で知った)。

うちは金なかったんで、俺は一校(国立)しか受けてないし、受かったので捨て金はゼロ。甥っ子も、前期×、後期〇(中期も〇)。同じくお金がないんで国公立三校だけ。一撃必殺の覚悟で挑むのは当たり前。

「日本の教育は詰め込み。頑張らなくていい。」とか言ってる大人は思いっきりゆとり世代(日本人)だったりする。中国のみんなはどう思うかな。俺は詰め込みだなんて一度も感じたことはない。中学時代のカリキュラムなんてスカスカだと思ってたよ。高校時代も空き時間に受験勉強できたので、カリキュラムはちょうどよかった。子供の時に頑張ったことのない大人は、ビジネスの世界で淘汰される。それわかってんなら、子供が頑張れるようにしてあげろよな。

1970年代の故郷のクラスメートに知ってもらえていたら。ヤンキー高校生からデキ婚、30くらいでバツイチ、離郷、今現在は行方不明。しかし真逆の私が地域に貢献中。「勉強せんと将来行方不明になるぞ。」

就活(1988)の思い出。官庁面接(呼ばれたのは9月、事前訪問していないところ)ではガクチカなんて一切聞かれなかった。世間話のレベル。圧迫面接も一切なし。むしろ隠した部分は少なくなかったかも。五月祭常任委員会、大学生協院生委員会については話したが、学生自治会委員長については語らず。あとは研究の話だけ。天下国家、国際社会については多少。留学生サポート活動も。

1985年8月の広島原爆の日の行事に大学生協ルートで参加した時、地方大学からの参加者と我々との感覚の差に衝撃を受けた。うちらのキャンパスは政治的な戦場そのものだったと知った。YYG一枚岩のお花畑なんぞとは別次元の世界。
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