頼子百万里走単騎 "Riding Alone for Millions of Miles"

環境学者・地理学者 Jimmy Laai Jeun Ming(本名:一ノ瀬俊明)のエッセイ

元祖「無課金おじさん」だったのか。

2024-08-14 10:18:15 | 日記
陸上選手としてはかなり「無課金」だった高校時代。プロ研究者としては、そこそこ課金しまくってきたけど。入手した各種リソースは後年まできちんと活用してきた。
---1980年夏(高2)
初日は苦手の砲丸、そしていまだ3歩ではいけない110mハードル。いつもどおりの出来。しかし、初日の3種目合計で6位とのアナウンスがあり、陸上部員一同から驚愕と歓声が。翌日午前の走り高跳びは絶好調で、165cmをクリアー。170cmもあと一歩の感じで、種目別では3位。そして総合5位浮上。ちなみに砲丸はほとんど練習できていないし、高跳びのスパイクは専門選手のH君から臨時にレンタル(毎回毎回申し訳ない)。ひでえ選手だったわけだ。午後の400mでも逃げ切り、無事5位入賞。長野市でのインターハイ県予選(結局半年後の春の国体予選にも招聘された)に進むこととなった。つまり、引退は1か月延期となった。混成競技には時間も金(道具をそろえるなら)もかかるわけだが、小生の入賞で部員一同気をよくし、翌年の大会から3人がフルエントリー。後輩のK君(ハードルが専門)が南信チャンピオンとなった。単独種目では学校代表にすらなれない(スポーツ目的で進学した野球部員でも3年間球拾いっていうケースの100倍マシだった)小生であるが、混成だけは抜け道で、1年生の時から出させてもらっていたが、なぜか1年生の南信大会の記憶がない。1学年上のA先輩と2人で出場し、もちろん敗退。翌年Aさんから「一ノ瀬君が県大会に進んだことが、陸上部員として一番うれしかった。」と言っていただいた。
松本の陸上競技場まで行って、猿股履いて走り幅跳びに出場してきたぞ。というのは、中学生時代のうちの親父。1950年代初頭か。無課金家系ってわけじゃないが。小生が中学時代に使いこんでた参考書は、ご近所の先輩(ヤンキー)のおさがり(新品同様)だから、ここでも無課金。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 残暑お見舞い申し上げます。 | トップ | イスラエルの姿勢を鑑として... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事