時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

なくしたちいさな赤い傘

2012-07-04 | essay



生まれてはじめて母に買ってもらった傘。
赤い布張りで おやゆび姫がつばめに乗って飛んでいる絵がひとつ。

姉の持つ傘が羨ましくて、傘に憧れたレインコート時代の小さいわたし。
やっと自分の傘を買ってもらって、うれしくてうれしくて初めて傘をさして歩いたあの雨の日。
母には、まだ重くて危ないからレインコートにしとき って言われたのに
だいじょうぶ。とグラグラさせながらさして歩いた初めての傘は、
本当はとってもとっても重くて泣きたいくらいたいへんだったんだ。
 (昔の傘はしっかり作られていたから、今よりずっと重かったんだよね)

あれは、まだ3歳か4歳くらい。奈良の団地に住んでいた頃だ。

だんだん、傘にも慣れたころ、母の用事でついて行った役所か何かの入口の傘立てに
あろうことか宝物のその赤い傘を置き忘れて帰ってしまった・・・。
傘が心配で居てもたってもいられなかったあの焦燥感。。。
すぐには行かれなかったのだろうか、後日母と探しに行ったら、もうそこにはなかった。

つばめと一緒に飛んで行ってしまった わたしのおやゆび姫の赤い傘。

なくしたものは、より強烈に記憶に刻み込まれてしまうのかな。
感受性の強すぎる子どもだったせいなのかな。
今でも小さな赤い傘を見かけると
あのおやゆび姫のわたしの傘を思い出してしまう。

あれがきっと、生涯最初に感じた喪失感だったんだろうな。
なくしたものは戻らない。手を離したものはもう二度とこの手に戻らない。ってことを学んだんだな。

あ。だからわたし、モノを捨てられない人間になっちゃったのかも?

可哀相なことをしてしまった あのかわいい赤い傘。
だかがモノ、されどモノ。 「タカラ」のつくモノ。

あの頃はまだ、傘は使い捨てなんかじゃなく、壊れても傘屋さんに修理してもらって使った時代だもの。
あの後、誰かよその子にたいせつにされたはずだと 信じている。 

もしかしたら。 それは自分の考えではなく、母にそう言って慰められたからそう思うようになったのかもしれない。
すこぶるポジティブな母だったから、買ったばかりなのにもったいない!と 叱ったりせず
失くして悲しむわたしの気持ちを、上手によそへと運ばせてくれたに違いない。
今となっては推測だけれどね。

ふしぎと、そのあと買ってもらったであろう二本目の傘の記憶はまったくない。

とおいとおい雨の季節の想い出。



 


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