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名著『日本辺境論』の著者 内田 樹 「皆が見張っていない方向に歩哨を立てる」 と 『朝日新聞』で名言!

2013年07月24日 | 現代遊記デモクラシー・スノーデン・ネグリ

                       ▲ 内田 樹の『日本辺境論』 と、『荘子』の「朝三暮四」が訳載された、『荘子 内篇』

 

内田 樹の言説 「皆が見張っていない方向に歩哨を立てる」 と 『荘子』の「朝三暮四」

参院選の推移を見ながら、当代きっての批評家・哲学者内田 樹が、『朝日新聞』7月23日付 「オピニオン」欄で出来事の解読を試みた。大いに頷けるものがあった。

まず 内田は議会制民主主義とは何かをこう示す。

「議会制民主主義というのは、さまざまな政党政治勢力がそれぞれ異なる主義主張を訴え合い、それをすり合わせて、「落としどころ」に収めるという調整システムのことである。」

「落としどころ」というのは、言い換えると、全員が同じように不満であるソリューション(結論)のことである。誰も満足しない解を得るためにながながと議論する政体、それが民主制である。」

 

「そのような非効率的な政体が歴史の風雪を経て、さしあたり「よりましなもの」とされるにはそれなりの理由がある。」

「近代の歴史は「単一政党の政策を100%実現した政権」 よりも 「さまざまな政党がいずれも不満顔であるような妥協案を採択してきた政権」の方が大きな災厄をもたらさなかったと教えているからである。」

「知られる限りの粛清や強制収容所はすべて「ある政党の綱領が100%実現された」場合に現実化した。」」

「チャーチルの「民主制は最悪の政治形態である。これまでに試みられてきた他のあらゆる政治形態を除けば」という皮肉な言明を私は「民主制は国を滅ぼす場合でも効率が悪い(それゆえ、効率よく国を滅ぼすことができる他の政体より望ましい)」と控えめに解釈する。

政治システムは「よいこと」をてきぱきと進めるためにではなく、むしろ「悪いこと」が手際よく行われないように設計されるべきだという先人の知恵を私は重んじる。だが、この意見に同意してくれる人は現代日本ではきわめて少数であろう。」

ねじれは、もともと本来時間がかかり冗長である民主主義が、他の政体よりは幾分ましに機能している証拠である。とブログ主は考える。

これについて内田は

「今回の参院選では「ねじれの解消」という言葉がメディアで執拗(しつよう)に繰り返された。それは「ねじれ」が異常事態であり、それはただちに「解消されるべきである」という予断なしでは成り立たない言葉である。」

「だが、そもそもなぜ衆参二院が存在するかと言えば、それは一度の選挙で「風に乗って」多数派を形成した政党の「暴走」を抑制するためなのである」

「言うならば、「ねじれ」は二院制の本質であり、ものごとが簡単に決まらないことこそが二院制の「手柄」なのである。 」

「冗長な合意形成プロセスの過程で、「ほんとうに必要な法律」と「それほどでもない法律」がふるいにかけられる。二院制はそのためのシステムである。だからもし二院間に「ねじれ」があるせいで、与党発議の法律の採決が効率よく進まないことを端的に「よくないことだ」と言う人は二院制そのものが不要だと言っているに等しい。」

ねじれということば、に本来ある、予断 つまりねじれがよくないという判断の価値の醸成に、内田は現代経済に特有な「スピード」と「効率」と「コストパフォーマンス」を政治に過剰に求めるようになったためという。

「決められる政治」とか「スピード感」とか「効率化」という、政策の内容と無関係の語が政治過程でのメリットとして語られるようになったのは私の知る限りこの数年のことである」

「国民国家はおよそ孫子までの3代、「寿命百年」の生物を基準としておのれのふるまいの適否を判断する。「国家百年の計」とはそのことである。一方、株式会社の平均寿命ははるかに短い。今ある会社で20年後に存在するものがいくつあるかは、すでに私たちの想像の埒外(らちがい)である。」

「「短期決戦」「短命生物」型の時間感覚が政治過程にも入り込んできたというのが私の見立てである。短期的には持ち出しだが100年後にその成果を孫子が享受できる(かも知れない)というような政策には今政治家は誰も興味を示さない。 」

「原発の放射性廃棄物の処理コストがどれくらいかかるか試算は不能だが、それを支払うのは「孫子の代」なので、それについては考えない。」

「年金制度は遠からず破綻(はたん)するが、それで困るのは「孫子の代」なので、それについては考えない。」

「TPPで農業が壊滅すると食糧調達と食文化の維持は困難になるが、それで苦しむのは「孫子の代」なので、それについては考えない。」

「目先の金がなにより大事なのだ。「経済最優先」と参院選では候補者たちは誰もがそう言い立てたが、それは平たく言えば「未来の豊かさより、今の金」ということである。今ここで干上がったら、未来もくそもないというやぶれかぶれの本音である。 」

 

以上のような整理をした上で、日本人が現在罹っている病について、内田 樹は、荘子の「朝三暮四」を引用し、「病識」の足りなさに懸念を表している。

「古人はこのような未来を軽んじる時間意識のありようを「朝三暮四」と呼んだ。私たちは忘れてはならないのは、「朝三暮四」の決定に際して、猿たちは一斉に、即答した、ということである。政策決定プロセスがスピーディーで一枚岩であることは、それが正しい解を導くことと論理的につながりがないということを荘子は教えている。 」

以上、内田は、日本国民の価値意識・時間意識 ー商品販売の時間意識程度に矮小・縮小化した国民国家観ーを痛烈に批判した。

民主主義は、チャーチルが、皮肉にも言ったように、「民主制は最悪の政治形態である。これまでに試みられてきた他のあらゆる政治形態を除けば」 ということばを 内田とともに、猛省を込め吟味したい。

内田 樹の 次のことばに私は唸った。とても暗い展望だが、今のところ、一国独裁への危機をどうにか持ちこたえさせているのはこのような認識なのではないだろうか。

私は「民主制は国を滅ぼす場合でも効率が悪い(それゆえ、効率よく国を滅ぼすことができる他の政体より望ましい)」と控えめに解釈する」

 

さて、内田が論説の最後に引用していた荘子の「朝三暮四」について、猿たちが喜んだことについて、故事ではどのように書かれているか、気になったので、我が家にある二三の辞書や、ことわざ辞典で、確かめてみた。

岩波国語辞典第五版

故事については、「猿にくだものを、朝三つ、夕方四つ与えようとしたら、怒ったので、朝四つ、夕方三つ与えたら喜んだという、中国の故事による」と記している、意味は 「1 目前の差別ばかりこだわり、結局は同じ結果に至るのに気がつかないこと。 2 言葉の上でだけうまく話して他人をごまかすこと」とあった。

小学館発行の『ことわざ大辞典』 1982年初版

「中国の狙公(そこう)が、飼っていた猿に橡(とち)の実を与えるのに朝三つ夕方四つ与えようとしたところ、猿が大いに怒ったので、朝四つ夕方三つにしたら喜んだという「荘子ー斉物論」や「列子ー黄帝篇」などの故事から」 意味は「目先の差別にとらわれて、結局は同じであることを知らないこと。またずるい手段で、人をあざむき、愚弄すること。」 とあった。

内田 樹が記述している、即答したというあたりのことが、いまいち不明ということで、しまいにはやはり、『荘子ー斉物論 』にあたってみることになってしまった。

朝日新聞社 新訂 中国古典選 第7巻 『荘子 内篇』 福田光司 (訳・編)著 1966年 刊 より

「神明を労(くる)しめて、一つにせんと為(つと)めてしかも其の同じきことを知らざるなり。之を朝三という。何をか朝三という。曰わく、ある狙公(さるつかい)のさるに、とちのみをわかち与えて、朝は、三つにし、暮には四つにせんといいしに、衆(あまた)の狙(さる)は皆怒れり。然らば則ち朝は四つにして暮れには三つにせんといいしに、衆の狙(さる)は皆悦べりとぞ。名(ことば)の実(なかみ)は未だそこなわれざるに、喜怒は用(はたらき)を為せしなり。また是にしたがわんのみ。是のゆえに聖人は、之をととのうるに是非をもってして、天(おのずから)均しきところに休(いこ)う。是(これ)を之(こ)れ両(ふた)つながら行(おこな)わると謂(い)うなり。」 『荘子 内篇』 朝日新聞社 新訂 中国古典選 第7巻 58頁

福田光司は、この荘子のことばを、大学教師をやる前、一時高校で教えていたので、学者さんの衒学的な難解きわまる言葉でなく、やさしくかつ面白いノリで次のように言いかえている。

「しかるに世俗の人間は、徒に精神を苦しめて、是非の論争に憂き身をやつし、万物の差別と対立が言論心知によって統一されるかのごとく錯覚して、本来一つである実在の真相を悟らないが、彼らのこのような愚かさを「朝三」と呼ぶのである。朝三という言葉は次のような話に由来する。

昔ある所に、狙公、すなわち猿回しの親方がいて、多くの猿を飼っていたが、ある朝、彼は猿どもに、餌としてトチの実を分けてやりながら、こういった。

ー 朝は三つずつ、夕方には四つずつやろう。

すると猿どもは歯をむいていきり立った。そこで猿回しの親方がさらに、

ー それならば、朝は四つずつ、夕方には三つずつにしよう。

というと、多くの猿どもはキャッキャッと喜んだ。 

 という話だ。 」 

朝日新聞社 新訂 中国古典選 第7巻 『荘子 内篇』 福田光司 (訳・編)著 1966年 刊 より

 

 

「国民国家」というものが、現在日本にあるのかどうか、それを考えながら、国民は生きているのか?とても心配な雲行きだが、かつてあったことにして、も 「今・子・孫」の3代すら考慮しない政治の時間的展望 の狭小さは、国家そのものが、商品生産・消費・廃棄と同じ時間幅と存在意義しかもたなくなっている証左であると考える。会社連合による国家の権限の廃棄が目論まれるのは故なしではない。

「皆が見張っていない方向に歩哨を立てる」 内田 樹 2013年 7月23日 朝日新聞オピニオン欄

彼のこの言葉は、日本の狭小な政局のことだけを言い当てているのではないのだ。

 

「皆が見張っていない方向に歩哨を立てる」 ことの必要なこととは ?私は、この言で、政治学者丸山真男をはるかに超えて、内田 樹は現代史的意義を持つ政治論理のからくりををわかりやすく・かつ痛烈に、時期を逸せず解読・表現してみせてくれたと考える。

「単一政党の政策を100%実現した政権」が、それも、「即時実行力のある政権」が、すばやく・何をしたかは、ナチス・ヒトラー政権や、スターリン支配下のソビエト社会主義国家が教えてくれたところである。(ブログ主)

 

ところがである。安定した二大政党・自由の国を自負するアメリカで、何がすでに作られ、何が準備されているかご覧いただこう。

それと、内田 樹の 至言 「皆が見張っていない方向に歩哨を立てる」 ことの有効な場所と時間を考えることをすすめたい。

時間のある人もない人も見ると釘付けになること必定の動画だと私は考える。当面の間はユーチューブで視聴できると思うのだが。

「皆が見張っていない方向に歩哨を立て」 ないまま、やり過ごすとどうなるか、世界市民として、(暴走する)国家を見張らないとどうなるかは?この動画をみながら、皆とともに考えたいと思う。  

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=vM1RKsa99qo&t=3

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=-KwFbRXb8d4&t=1

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=TVEOwGa_8n8&t=3

 

緊急事態に備えて、なぜFEMA(アメリカ緊急事態庁)の管理する施設・避難所が、鉄条網で囲まれ、檻の仕様になっているのか、これは第2次世界大戦時にあった、ドイツの「ユダヤ人収容所」や、アメリカにあった「日本人隔離収容所」にそっくりなのである。

台風で、堤防が決壊した自然災害などで、避難所となったりする収容施設に、二重の鉄条網や玄関が閉門され厳重に鍵がかかっている必要はないであろうし、避難施設になるのだったら、施設はどんな構造になっているのか税で作られている以上市民には知る権利があるだろう。

さらに異常と考えられるものは、ある地区の人目につかない場所にあった。鉄道線や空港至近距離にある、森の中の、世にも不思議な光景であった。うずたかく積み上げられた野ざらし棺桶の山があったのである。いったいいくつ準備されているのか。数十万?なぜ準備しているのか。誰が入る?

二大政党の下での、一見民主主義があるかのように見えながら、一方では着々と進行していた、極めて強力な警察国家の収容所建設の内実。レーガン大統領の時期が発端となり父ブッシュ、子ブッシュの期間中にここまできてしまっていたのか。

新型の、まだワクチンがないインフルエンザとか、疫病が蔓延が始まったと、仮に情報が発せらされたとする。

即、大統領令により、緊急事態が告げられる。ただちに市民の諸権利は奪われ軍が出動する。法の下ではなく、国民が選んだわけでもない軍の命令されるまま、管理される。

国家の行き過ぎた監視を監視する人権団体は、疫病の異常な蔓延という非常事態のなかで、FEMA付設キャンプという収容施設へ・・・・・

地球を乗っ取る火星人や宇宙人の果てしない空想物語をしているのではなく、今確実に隠されつつ現存している、世にも不思議な、明日にも始動開始できる収容施設のこと。アメリカ国内のそこここにすでに存在しているという、強制収容所とは呼ばれない2重の鉄条網で隔離されている不思議な保護施設のこと。

今アメリカで準備されていることは、「法制度の中に悪いことが手際よく行われるような制度・設計変更」がいくつもつけ加えられてきたということである。ここまで隔離設備と、法制度が整ってくれば、武器・弾薬を積んだ・通常型のこわもての荒くれ共たちが起こすテロ集団でなくてもよいのである。

「免疫ワクチンがない・あるいは極端に少ない、耐性型の致死性のインフルエンザ(など)が爆発的に国民に伝染した」とある時点で政府が言明すれば、とっておきの大統領令を発することができる。

法は停止し、行政・地区警察は機能が軍にゆだねられ、軍が国民を管轄するよう瞬時に切り替わる。予防攻撃ならぬ、予防隔離が始まる・・・・隔離されるのは、病の伝染者でなくてもいっこうにかまわない。政府の批判者・人権活動家・リベラル・革新系の若手有望議員などなど、寡頭政治に支障あるとみなされたチェック・マークの印された人は、保護施設に保護される。・・・・・保護?

 

 

 

 

 

 

 

 



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