野散 NOSAN 散種 野の鍵 贈与のカオスモス ラジオ・ヴォルテール

野散 のさん  野を開く鍵 贈与のカオスモス 散種 混沌ー宇宙 想像的・歴史的なもののジャンルなき収蔵庫をめざして 

坂上遼 『消えた警官 ドキュメント菅生事件』 2009 講談社

2017年06月02日 | 戦後秘史・日本占領期

                      ▲坂上遼 『消えた警官 ドキュメント菅生事件』 2009 講談社

 

坂上遼 『消えた警官 ドキュメント菅生事件』 2009 講談社

 

坂上遼 『消えた警官 ドキュメント菅生事件』 2009 講談社

 

 ▲ 坂上遼 『消えた警官 ドキュメント菅生事件』 2009 講談社 定価1700円+税

 

 

 ▲ 坂上遼 『消えた警官 ドキュメント菅生事件』 目次

 

 坂上遼 『消えた警官 ドキュメント菅生事件』 2009 講談社1952年6月2日 大分県で起きた国家ぐるみの偽旗作戦。どこまで国家とその組織は腐敗しているか。戦後日本占領期から日本独立期への境界で起きた、自作自演の偽旗作戦、「菅生事件」その事件の全貌を気鋭の調査ジャーナリストが明らかにする。「共謀罪」が国会で議論される中、市民の権力監視と告発がなければ、陰謀工作はいつでも起きることが分かる。

 

 ▲坂上遼 『消えた警官 ドキュメント菅生事件』 8頁から、菅生事件のあった九州・大分県直入郡菅生村(現竹田市)の位置と現場見取図

第1章 謎の男 の要約


 事件のあった菅生村は、1952年、戸数320余、人口1600人あまり。

この村に、バスから降りた30前の男がいた。名前は市木春秋(偽名・実際は現職の警官)

この村一番の実力者松井宅に突如、親戚として製材所の仕事についた男である。1952年3月頃のこと

市木は、シベリア帰りの共産党員の後藤秀生に、「自分はレッドパージ」を食らったといい、共産党シンパを装い近づいてきた。

市木は後藤秀生らの運動を手伝うというのである。

菅生村は、いわゆる、共産党の「山村工作隊」の格好の闘争拠点となっていた村だった。

 

駐留米軍のパーソル大佐が久住・阿蘇地区二万町歩を接収して実弾演習地」として使用すると発表

この頃から、菅生村周辺も、1952年5月16日久住町で「米軍演習場接収反対総決起大会」などが行われたように、注視される地域になっていく。

そこに市木春秋という人物が、共産党シンパとして現れたのだ。

後藤秀生は、市木にカンパの申し出を受ける。

それならと、壁新聞の模造紙や、ポスター用紙などをあげると、市木は買ってくるという

しばらくすると、メッセンジャーボーイを介して後藤秀生に手紙が届いた。

手紙には、こう書いてあった。

「明後日、6月2日午前零時、菅生中学西側の便所のところへ来て下さい・約束の用紙とポスターカラーを渡します」 

約束の日は夜雨がふっていた。

後藤は市木と会うため、約束の菅生中学西側を回ると市木が先に来てたっていた。

「約束の模造紙などは下菅生の高木商店のところに預けてありますから、明日にでも取りにいってください。時間がないんで。これポスターカラー」

市木は国道に出ると右折して去っていった。

共産党仲間の坂本は、二人のやりとりを見ていた。

二人は平井地区のシンパの家に行く予定で、市木とは逆に国道を左折して、西へ向かってあるきだす。

それから何分も経っていない、そのとき。

「ドカーンという大音響」

驚いて振り向くと、いきなり警笛がなった。

木陰や、住宅の軒下から大勢の人が飛び出してくる。

カメラのフラッシュのようなランプが焚かれ、真昼のようになる。

「こら待て、後藤!」

足にタックルされ、

「捕まえたぞ」

「捕まえた」

警察車両が次々と出てきて、私服姿の警察官が50人以上も走りまわっていた。

                     ・ 

                     ・

このようにして、後藤秀生は、何が何だかわからないまま、逮捕されたのである。

 

次章は、「駐在所爆破」

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 



最新の画像もっと見る