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日本恥ずかしいぞ 属国化70年!根源的な帝国主義批判論者 幸徳秋水を読む その1

2015年05月06日 | ウクライナ・ゲート

                           ▲ 『日本近代思想大系』『日本の名著』など幸徳秋水周辺、大逆事件関係の本

 

 

日本恥ずかしいぞ 属国化70年! いまこそ最初の根源的な帝国主義批判論者 幸徳秋水の『二十世紀の怪物 帝国主義』 を読む その1

 

 現在 幸徳秋水の 『二十世紀の怪物 帝国主義』 は、

下に掲載の

① 『日本の名著44 幸徳秋水』 中央公論社 1970年 

② 『近代日本思想大系 13 幸徳秋水集』 1975年11月 筑摩書房

か、

③ 岩波文庫版の 『二十世紀の怪物 帝国主義』

④ 『幸徳秋水全集』 などを入手すると読める。

このほかにも戦後すぐに出た、『幸徳秋水選集』などにも収載されているのではないだろうか。

 

さて、

21世紀になって欧米の戦後史をめぐる解釈の変化が顕著になってきたと感じているのは私だけだろうか。

近代史・現代史の、20世紀世界戦争の理解のありかた、解釈が、このところ大きく崩壊してきているのを目にする。

たとえば、2014年の不正なアメリカ指導によるウクライナ・クーデターで出来た「ポロシェンコ政権」では、第2次世界大戦の主なる原因は、ドイツ・ファシズムとロシア社会主義(全体主義)の戦いだったと矮小化し、イギリス帝国主義やフランス帝国主義を筆頭とするヨーロッパ主要国の金融・寡頭権力政治が主導する帝国主義と全く関係がないような演説を繰り返している。

ドイツ・ファシズムの悪魔化は、戦後の欧米に広く行き渡った自らの帝国主義を隠蔽する素晴らしい「プロパガンダ」だったのだが、今や、第2次世界大戦はロシア・プーチンも含めた対立構図に作り替え、互いに似たもの同士の全体主義の戦いだったとして、ソ連と戦えば、なんでも善であり、ファシズムだろうが民族愛国主義だろうが、ウクライナでは軍事最優先の偏狭な運動家バンデラを国民の英雄に祭り上げることに余念がない。

また、ポロシェンコはウクライナの閣僚を、ウクライナ国民にではなく、欧米の金融寡頭勢力の指示を受けた外国人に譲り渡し、米国・イスラエル国籍の人物が即ウクライナ国籍を取得し、ウクライナ人となった。これでウクライナがどんな経済政策と金融政策が登場するのかはっきりわかるわけだ。

日本になぞらえれば、日本の経産省大臣や、厚労省大臣、TPP担当大臣にアメリカウォール街投資家経営者が任命されるようなものなのである。ウクライナのポロシェンコ政権はあまりにも露骨な欧米の傀儡政権なのだが、それもソチ・オリンピック中に謀議がすすめられていたという恥知らずな陰謀であった。日本のマスコミも含め、欧米の大手メディアは、このことの真実を全く報道しないのだ。すでに破産状態にあるウクライナは、さらに、IMF、世界銀行・アメリカ・EUにより、さらなる借金返済のための借金漬けが計画され、国内は緊縮財政を指示された上、ウクライナの沃野は欧米企業の私物・私有地となるだろう。

ウクライナは今ファシズム国家状態である。2014年2月下旬、クーデターによる、政権収奪後、その暫定政権の正統性の疑義について集会を開いていた集団に対する5月2日のオデッサ市民虐殺事件は、その残虐性と、その後の黙殺、捜査未完了からすれば、国際的再調査があってしかるべきだったのだが、フランス・シャルリ・エブド事件のように、国際ニュースになることは全くなかった。すべて隠蔽・黙殺されたのである。

世界中は「私はシャルリ」のように、テロ行為に反対を表現したというのに

世界中で 「私はオデッサ市の(労働者会館で起きた)虐殺を知っている」 と連呼しない。 

なぜだろう? 私は用意周到なプロパガンダ作戦があったものと考える。

オデッサ市労働者会館で起きた虐殺事件は、フランスの新聞社で起き射殺された人数をはるかに上回る数であり、公表されたもので40数名、労働者会館地下にも多数の死者が出ていたと言われている。

ナチス・ヒトラーの政権獲得期の虐殺事件(水晶の夜事件)に匹敵する大陰謀虐殺事件であるのに、追跡調査されることなく歴史の闇の闇に捨てられた事件であった。

2015年の5月2日で、オデッサ事件からまる1年がたった。その後ウクライナでは、かつては、大統領派の与党国会議員だった有力人物が、最近射殺されたのだが、日本では、これも報道しない。(ロシアで、反プーチン派の人物が暗殺され、テレビ・新聞で大々的に報道されたのと全く好対照であるが)

「報道というものは、ある権力を握っている勢力に属するものが、情報を操作した上で、報道したいものを報道し、報道したくないものを報道しないことをいうのである。」

ジョージ・オーウェルの小説 『1984』 の世界は、情報権力のあるところ、今世界のあらゆるところで日々実現しているといってよいだろう。

すべての虚報が真実と言われているこの世界では、見てきた真実を言うことは革命であるという趣旨を語っていたのだが、今これを言わなければならないとは、まことに悲しく、また怒りを封印することができない。

あまりにむごい民族主義暴徒によるオデッサ市民虐殺事件なのだが、「岩上ジャーナル」などネット・フリー・ジャーナルで報道・掲載されたのみで、大手の日本の報道機関は全く真実を伝えていなかった。1年前の記事なのだが、日本の報道機関の沈黙はひどすぎるので、再度「マスコミに載らない海外記事」 2014年5月7日記事掲載頁を掲げる。あまりにむごい映像なので、真実を知ろうという勇気のない方はアクセス・閲覧は遠慮してもらった方がよいのだが。

アメリカによって指揮された、ウクライナクーデター後、2014年5月2日、オデッサで何が起きていたか、目的はウクライナの強奪、そして批判勢力への暴力威嚇、沈黙の強要、そして最終的には、ロシアへの挑発陰謀、ロシアのプーチンの悪魔化・プーチン政権転覆・ロシアの再強奪(一度エリツィン政権の時ロシアの強奪が起きたのだが、完全ではなかった)であるだろう。

キエフと右派セクターによるオデッサ水晶の夜 (写真・閲覧注意!)「マスコミに載らない海外記事」 2014年5月7日記事へ

ここ▼ ウクライナで起きた、許し難い民族主義ファシストによるクーデターの真実に興味のない方は絶対にアクセス・閲覧はご遠慮を!

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-4bc4.html

上の記事には、この記事の元記事や、この事件を取材した別の記事、youtubeの動画にも今でもアクセスできるものがあります。この記事以外にも多数のウクライナ・クーデターに関する情報があります。

ぜひ自分の手で、オデッサ、水晶の夜、ウクライナ 2014年5月2日など、検索語彙を入れ、調べてみてください。

「桜井ジャーナル」 「マスコミが載せない海外記事」には、ウクライナ・クーデターに関する多数の記事があるのでどうぞ。

大新聞社・テレビが伝えない、夥しい事実に、真実の隠蔽に気づかれることとなるでしょう。

                 ・

                 ・

 

安倍政権は訪米の後、何をしようとしているのだろうか。

また、日本のウクライナ大使館員その他日本の情報機関関係者はウクライナの現地から漏れる真実を知っているはずであるが、ウクライナにある日本大使館が発行する「ウクライナ週報」を見ても、欧米の論調通りの記事しか掲載していない。

戦前の岸信介も含む昭和戦前期日本政治の悪魔性の払拭・浄化である。そして、今日のTPP締結と、日本独立の完全放棄である。同盟という一声でアメリカの戦争なら、安全保障の名のもとに、世界のどこにでもついていく覚悟のようだ。

「積極的平和主義」?これって、先手必勝謀略作戦のこと?「平和のための先制攻撃」のこと?

とある有名な調査機関が、世界の国の国民に聞きました。「世界で一番軍事的脅威と考えるのはどこの国ですか」?

ダントツの1位は、隣国の北朝鮮や中国やロシアじゃないんだ。皆さん先刻ご存知でしょうが世界の国民が、脅威と感じて恐怖を覚えている第1位はアメリカなんです。

安倍政権は、アメリカの同盟をてこにして、力を増してきている中国や、依然として欧米に従属しないロシア(エリツィン政権の時は別格扱いなのだが)の悪魔化を通して戦前の帝国主義の罪をも戦争の危機を演出して、浄化しようとしているようだ。

戦後、巣鴨プリズンから永代・末代に至るまでアメリカに奉仕することを誓って出所を許された岸信介の孫らしい徹底した一貫性ではないか。

これこそが、日本における、隠された・ほんとうの戦後規範であり。戦後レジュームなのじゃないだろうか。安倍首相は、「戦後レジュームの転換」と言っているが、「アメリカが宗主国であり、これからも日本はその属国地位に甘んじ、独立を計らない」という約束。これが、戦後の規範。

戦後70年の日本国民が肌で感じとってきた悲しくもあり。愚かしくもあり、そして恥ずかしい、感情を伴いながら回顧する規範なのではないだろうか。

だからこそ、戦後保守政権で、アメリカが考える国益・意向に沿わない、アメリカからの影響力から離陸を計ることを考えた日本の国益のことを考える政治家は、短期に崩壊させられてきた。政治でも、経済政策でも、一つの法律整備に関してでも。

これには多くの証言があるのだが、最近では矢部宏治『日本はなぜ「基地」と「原発」』を止められないのか』孫崎享『日米同盟の正体』『戦後史の正体』、天木直人『さらば外務省』 、『21世紀のグローバルファシズム』、『終わらない<占領>』などに記述されているので、それらを読むのもよいのではないだろうか。

あるいは毎月事務的に開かれている、「日米合同会議」の内容を深く探ってみるのもよいだろう。あるいは、アメリカがかつて日本に毎年提出していた『年次改革要望書』とTPP条項を比べ分析してみるのもよいだろう。

 

 今日の本題の本の紹介にもどろう。

 

 

 ▲ 編集伊藤整  『日本の名著44 幸徳秋水』 中央公論社 1970年 9月 当時定価580円

編集は伊藤整となっているのだが、健康上の都合で、解説は神崎 清が書くことになったらしい。またこの中央公論社版では幸徳秋水の原文ではなく、現代文に改めている。どうしても原文でということになれば、岩波文庫版か、筑摩書房の『近代日本思想大系13』に収録されている「幸徳秋水」の巻になる。収録しているものは以下の通り。

 ▼ 『日本の名著44 幸徳秋水』 目次

 ▲ 『日本の名著44 幸徳秋水』 目次

 

『二十世紀の怪物 帝国主義』 より

「 アメリカの帝国主義

アメリカが、はじめキューバの叛徒をたすけて、スペインとたたかったときは、自由のために人道のために、その虐政をのぞくと称していた。ほんとうにこのとおりであれば、意義はたいへん崇高である、といってもよいものである。・・・・・・・・

フィリピンの併呑

けれども、かのフィリピン群島の併呑・征服のことにいたっては、絶対にゆるすことができない。

独立の檄文と憲法をどうする

アメリカは、ほんとうにキューバ叛徒の自由のためにたたかったのか。どうしてフィリピン人の自由を束縛することがはなはだしいのか。ほんとうにキューバの自主・独立のためにたたかったのか。どうして、フィリピンの自主・独立を侵害することが、はなはだしいのか。アメリカの行為は、他の人民の意志に反して、武力・暴力をもって強圧し、その地をうばい、富をかすめようしている。これは、まことに文明と自由が光りかがやくアメリカ建国以来の歴史を汚辱することが、はなはだしいものではないか。フィリピンの地と富とを併呑するのは、アメリカにとっては、もちろん、多少の利益であろう。けれども利益になるがゆえにしてもよろしい。という理屈をつけるのであれば、昔の武士の切り取り強盗もまた、利益のゆえにしてもよろしい、というのであるか。・・・・・

領土の拡張は、国家生存の必要上やむをえない、ということはゆるされぬ。彼らの出兵は、はじめ自由と人道を呼号し、たちまち一変して、国家生存の必要を口実にしている。なんとその堕落の急速なことであるか。」 『日本の名著 幸徳秋水 二十世紀の怪物 帝国主義』 (132頁)

「 アメリカの危険 

わたくしは、将来、アメリカの国家存続の危険ということがあるとするならば、その危険性は、けっして領土のせまいことにあるのではなくて、領土拡張のはてしがないことにある。対外勢力がふるわないこではなくて、社会内部の腐敗・堕落にある。市場のすくないことではなくて、富の分配の不公平なことにある。自由と平等の滅亡にある。侵略主義と帝国主義の流行・跋扈にある、と信じている。」 

アメリカ隆盛の原因

アメリカが今日の隆盛・繁栄をもたらした理由を、もう一度思いだしてみるがよい。自由か、圧制か。理義か、暴力か。資本的勢力か、軍備の威厳か。虚栄の膨張か、勤勉な企業か、自由主義か、帝国主義か、いまや彼らは、一種の功名・利欲のために、愛国的狂熱のために、あらそって邪道に入ろうとしている。わたくしは、彼らの前途の危険をおそれるばかりでなく、まことに自由と正義と人道のためにふかくかなしむものである。」 『日本の名著 幸徳秋水 二十世紀の怪物 帝国主義』 (133頁)

 

20世紀初頭、世界に先駆けて、110年以上も前の1901年、幸徳秋水はこの『二十世紀の怪物 帝国主義 』を著しているのだ。

すでに、110年以上も前から幸徳秋水はスペインの圧制に立ち上がるキューバの民衆を助けると称した、アメリカ・スペイン戦争のほんとうの姿(植民地略奪戦争)を知ろうとしているし、その戦争が、アメリカ・キューバ戦争、アメリカ・フィリピン戦争であることも当時の新聞報道情報などから分析し、批判していたのである。

帝国主義を真っ向批判した幸徳秋水、正確に20世紀初頭にはすでに堂々たる帝国主義であったアメリカを射抜いているではないか。またその後のアメリカが世界でやったこと、とりわけ、21世紀の911事件以降のアメリカまでをもずばり見通した正確な帝国主義批判ではないだろうか。このような根源的な帝国主義批判のできる国際感覚を持ち得たのは、毎日諸外国の新聞を閲覧・翻訳、検討していたジャーナリスト幸徳ならではのこと。幸徳ら・社会主義者・無政府主義者を蛇蝎のごとく忌み嫌ったのは、軍事大国になろうとしていた明治政府に巣くう帝国主義者たちだった。明治政府の陰謀者たちは、国際正義と平等を謳う幸徳とその仲間たちを抹殺すべく狙いを定めた。明治は司馬遼太郎の描くような、世界ではなかった。のではないか。幸徳秋水とその仲間たちが被った運命をみればそれがわかる。

 

▼ 『近代日本思想大系13 幸徳秋水』 筑摩書房 1975年11月 箱なし巻を購入したので当時定価は不明だが、大杉栄の巻が1800円であったので、2000円前後の価格か。

中央公論社の『日本の名著』は、初版の頃は石油ショック前の価格設定だったので安かったのだが、石油ショック後の、80年代になってからはペーパーバック版となり、今開くと本が割れてしまうものが出てきた。今探すとなると全巻は揃わないのだが、同じタイトルの本を買うのだったら初版期の箱入りの装丁の版を古本屋さんで買い求める方がいい。「日本の名著」というからには、次世代、三世代、いや100年は持たないと。石油ショック後日本の優秀な製本技術文化は、末端にまでは及ばなくなってしまった。 保存の悪い、乾燥気味の南面する部屋にあったペーパーバック版の本は、40年持たず解体の危機に瀕している。

  

 ▲ 『近代日本思想大系 13 幸徳秋水集』 1975年11月 筑摩書房

編集・解説は飛鳥井雅道、1969年6月に下の中公新書『幸徳秋水』を出版して、若手の近代思想研究者として名を確かなものにした時期の産物。

明治100年を迎える時期、1960年代後半、当時の政府は近代日本達成という礼賛一色の雰囲気を演出していた。のは、そのころ青年期を迎えた団塊の世代は思い出すことができる。1970年の大阪万博の近代技術の未来展示も一方では公害問題も続出していた時期であるから、今となっては事の次第・陰影がよく見えるようになってきた。

明治100年前後に日本歴史ブームが出版界で起きたのだが、そしてご多分に漏れず、そのうちの日本史シリーズの一つはテレビとともに、日本の家庭に普及始めたのではないだろうか。昭和期前半の改造社の円本ブームのように。我が家には60年代後半、中央公論社版の『日本の歴史』を父親が購入し始め、1巻目の井上光貞の古代史の巻は、高校時代に読み、教科書にはない謎解きの面白さを味わったのだ。

一方昭和の日本近代についての問い直しが求められ、また、日本文化のデータベースとなる大規模な古典集成が試み始められたのも1960年代から1970年代この時期が最も充実していたのではないだろうか。中央公論社の『日本の名著』50巻、筑摩書房の『近代日本思想大系』36巻、『現代日本思想大系』35巻、『戦後日本思想大系』16巻、岩波書店の『日本思想大系』67巻などは、出版開始が、1960年代から1970年代に日付を持っているのではないだろうか。

日本の名著 全50巻           中央公論社   1969-1982

日本思想大系 全67巻         岩波書店   1970-1982

明治文学全集 全100巻     筑摩書房   1965-1989

近代日本思想大系 全36巻   筑摩書房   1974-1978

現代日本思想大系 全35巻   筑摩書房   1963-1968

戦後日本思想大系 全16巻   筑摩書房   1968-1974

日本近代思想大系 全24巻  岩波書店    1988-1992

現代史資料 全45巻別巻1  みすず書房   1962-1980

続現代史資料 全12巻     みすず書房   1982-1996

これに文学系の規模の大きい古典などの集成を加えてみよう。

昭和批評大系 全5巻     番町書房       1968-1978  4巻までが1968年刊、5巻が1978年刊

日本古典文学全集 全51巻   小学館      1970-1976

近代文学評論大系 全10巻 角川書店        1971

新潮日本古典集成 全82冊+12冊 新潮社  1976-1989   別巻は里見八犬伝12冊

完訳日本の古典 全60巻    小学館      1983-1988

新編日本古典文学全集 全88巻 小学館     1994-2002

文学集成については、これ以外でも筑摩書房、学習研究社、講談社、角川書店など多くの出版社が競い合っているので、出版年代が、特に集中しているとの実感はないのだが。

こと思想分野の規模の大きい集成は、1960年代から1970年代に集中しているというのは当たっていると思う。

なぜ1960年から1970年代にこのような大部の日本の思想の集成が集中していたかと言えば、明治100年、日本近代化100年を迎えるにあたり、国民の先の侵略戦争に対する猛省と、近代化という意味に対する徹底した考察を余儀なくされていたからと思わざるを得ない。

バブル経済で狂った日本人は、驕り高ぶり、その後、未だ属国身分であることの内省を全くしないでやり過ごしてきたのだから、今や行き着くところまで来てしまったといえる。

憲法の上に君臨する超法規的影の存在があるのを知りながら、今後憲法を変えてどうする?

「安全保障条約」と「日米地位協定」のセットは、「日本国憲法」の上に何かがあることをはっきりと示していたことだったのではないか。

 

 ▲飛鳥井雅道 『幸徳秋水 直接行動論の源流 』 1969年 中央公論社 中公新書193 

飛鳥井雅道は、この本の出版後、『近代日本思想大系 13 幸徳秋水集』を編集している。

新書で読める、幸徳秋水はほかにもあるが、著者が持っているそれぞれの政治思想や態度のフィルターを考慮すると、飛鳥井雅道の姿勢が、1960年代の日本の論争的な政治状況をふまえて、表現しているように見える。

 

▲ 飛鳥井雅道 『幸徳秋水 直接行動論の源流 』 目次

 

 

  神崎清 『大逆事件』 1964年2月 筑摩書房 新書版 定価250円

飛鳥井雅道の 『幸徳秋水』が、より平静さを保ち、巻末には1969年時点の主要な参考文献を掲げ、幸徳秋水入門書としての性格を持つのに対し、神崎清の 『大逆事件』は、すでに資料として、神崎清編の『大逆事件記録』全3巻世界文庫を出版しているので、この本では、コンパクトながら、大逆事件の概要を知ることができる。この本文庫本になっていないようだが、ぜひちくま文庫に入れてもらいたい。

1909年、ハルピンで起きた伊藤博文暗殺に驚愕した政府は、植民地支配拡大のため、まずは目障りな思想である社会主義と社会主義者の撲滅を謀ったこと。幸徳秋水らが共同謀議に加わったかのようにフレーム・アップ工作により当時の思想的主柱と運動体の根絶をめざしていたことが明らかなのである。

 ▼神崎清 『大逆事件』 目次

 

 

  

  ▲ 神崎清 『実録 幸徳秋水』 1971年11月 読売新聞社 定価900円 516頁

▼神崎清 『実録 幸徳秋水』 目次

 

 ▲ 神崎清 『実録 幸徳秋水』 目次

神崎清は、このほか、大部の『革命伝説 大逆事件』が2010年に子供の未来社から復刻新版が出ている。幸徳秋水全集まで、手をつけようという熱心な読者は、この本を手にすることになるだろう。まずは、幸徳全集を入手するのが先なのだが。

 

 

  

▲大河内一男 『幸徳秋水と片山潜』

当時の社会主義、労働運動の一方の旗手だった、片山との交流や、差異から、幸徳とその周辺の活動を浮かびあがらせる。議会活動に関する思想の差異、労働運動史から、この時代を振り返る。荒畑寒村の著作にはこの時代に関わる証言も多いので、それとの比較も必要、大河内が、資料から得たものと、当時直接行動運動を指揮した、幸徳の運動性と落差が埋まらない。

 

 

 

 

絲屋寿雄 増補改訂 『大逆事件』 1970年 三一書房

 

 

 ▲ 絲屋寿雄 増補改訂 『大逆事件』 1970年 三一書房 目次

巻末には詳しい幸徳秋水、大逆事件の参考文献がある。特に、文学者の大逆事件の反応、記述に関する調査は「文学にあらわれた大逆事件」として文献をあげている。細部にわたり調べあげていて有益。直接政治表現するものは、大杉や、荒畑寒村などなど少数派に限られていたが、文学表現の世界で、かすかな抵抗の跡がそこここに見えているのは収穫だった。

 

 

▲渡辺順三編 江口渙解説 『大逆事件の人々』 1964年 新興出版社 

 

  ▲ 渡辺順三編 江口渙解説 『大逆事件の人々』 目次

 

 

絲谷寿雄 『管野 すが』 1970年 岩波書店 岩波新書

 

 

▲ 絲谷寿雄 『管野 すが』 1970年 岩波書店 目次

 

 

 

  ▲ 塩田庄兵衛・渡辺順二編 『秘録 大逆事件』 上・下 1961年2月 春秋社 定価600円(上下揃)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ▲ 塩田庄兵衛・渡辺順二編 『秘録 大逆事件』 上・下

大逆事件の裁判記録。そのすべてではないが、事件に関わったとされる主要な人物の裁判と動静は、これで知ることができる。また獄中からの手紙も収載。

塩田庄兵衛・渡辺順三が事件の背景となる明治の社会思潮、事件の解説、幸徳秋水全集が発刊される前は、事件の資料集として頻繁に使用されていた。

 

この項つづく

 

 

 



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