8月23日「ハイデルベルク大学がランキングでドイツ1位に」のライン・ネッカー新聞の記事を当ブログで紹介しました。
1930年代初頭の「新大学」の建物には “ DEM LEBENDIGEN GEIST ” の文字が刻まれています。
きょうは、この碑銘をめぐってのそそっかしい一人相撲のお話です。
◇ 新講義棟の画像の下には “ Dem Lebendigen Geist ” verpflicht: Der Wahlspruch der Universitaet ・・・. のキャプションがあります。
この説明に日本語訳をつけて取り上げるか、迷った結果、触れるのは止めにしました。
" DEM LEBENDIGEN GEIST ” の訳が「生き生きとした精神に」でよいのか、これを大学のモットーとしてよいのか、自信がなかったからです。
そして、急ぎ調べました。
◆ ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク ( Ruprecht-karls-Universitaet Heidelberg )を検索すると「モットー Motto」は冒頭で表示され、
日本語版ウィキペディアでは、「Semper apertus ( 羅語 )、always open ( 英語 )」、
ドイツ語版Wikipediaでは、“ Semper Apertus → Auf Deutsch : Stetz offen ” と並んで “ Dem lebendigen Geist ” となっている。
ラテン語でのモットー : “ Semper apertus ” ( 日本語にすると「常に開かれてあれ」だろうか)とともに
“ Dem lebendigen Geist ” を大学のモットーとしてよさそうである。
◆ 引き続き“ Dem lebendigen Geist ” を Yahoo Deutschland で検索すると
真っ先に “ Dem lebendigen Geist. Neue Universitaet 2011+” というハイデルベルク大学創立625年記念 新大学改修・近代化プロジェクトのウェブページ。
” die Inschrift “ , ” geht zurueck ” , " Literaturhistoriker ” , “ Heidelberger Germanistik-Professor ” , “ Friedrich Gund・・・” などの文字が目に飛び込んでくる。
碑銘は文学史家にしてハイデルベルク大学のゲルマニスト教授 に由来するらしい。
名前は “ Gund・・・” ―「グンデ・・・ 」? どこかで聞いたような ―
そうか「 グンデルト 」だ! 鹿子木先生 ① からこの碩学についてお聞きしたことがあった。
◆ 「落葉集(らくようしゅう) :② 」に Wilhelm Gundert ウィルヘルム・グンデルト博士の名前を見出す
一つは〈 翻訳・ドイツ語編 〉の「 Eine japanische Stadt und ihre Deutschen (日本の一都市とそのドイツ人)昭和52年」。
第五高等学校の歴代のドイツ人教師の名前が並び、中でも特筆すべき人物(在任期間 1.8.1915ー31.7.1920)として詳しく業績が述べられている。
もう一つは学術誌、記念誌、新聞などに書かれたものを集めた〈 癒しと時代のこころ 〉の中の「五高のドイツ人教師グンデルト【 熊本日日新聞 / 昭和53年8月31日 】」。
短くまとめると;グンデルトは熊本時代に禅仏教との接触を深め、やがて日本学の第一人者となり、昭和13 (1938)年にはハンブルク大学の総長となっている。
ヘルマン・ヘッセの従兄弟で二人は極めて親しかった。
◆ ハイデルベルク大学の新しいモットーは熊本につながりのある人物 Gundert グンデルトに由来した !と思いこむ
ハンブルク大学の総長にまでなった熊本にゆかりのあるこの偉大な学者が新大学(新講義棟)の落成にあたり提案した献辞が採用されていたのだ。
それにしても鹿子木先生はこのことについて書かれていない。グンデルトの学問・研究の業績を追求されたからだろうか。ともかく、これは新発見になる。
「ハイデルベルク大学のモットーと熊本のつながり」のタイトルでこの発見をブログに投稿しよう。
◆ 何か微妙に違うぞ ー いや、決定的に違っていた
ここであらためて Ruprecht-karls-Universitaet Heidelberg をWikipedia で確認する。
大学の歴史を下にスクロールさせていき Weimarer Republik の項目の3行目に Friedrich Gundorf による献辞 “ Dem lebendigen Geist ” という文に出会う。
Gundert と Gundorf 。少し違うようだが、スペルの間違いかもしれない。でも、Friedrich は ? Gundelt は Wilhelm だったよな !
ようやく、Friedrich Gundorf という別人の存在に気づく。
◆ Friedrich Gundorf ワイマール時代を代表する詩人、ゲルマニスト
大きな存在だ。なぜ、Gund・・・ をグンデルトに結び付けてしまったのか。自分の知識、記憶に引っ張られて、「見たいように見る、読みたいように読む」ことを
してしまったのだ。
◇ こうして、「ハイデルベルク大学のモットーと熊本のつながり」のタイトルはボツになりました。
しかし、かって熊本に著名な学者がいたことを振り返る機会とはなりました。
また、手元に置いている『熊本日独協会創立30周年記念誌 " 62 ~ " 93 』をきょう久しぶりに開いたら、鹿子木敏範会長の「ごあいさつに代えて熊本とドイツ人」
を 再発見、そこにも、「熊本に在住したドイツ人教師たちの事績を調べた」ことが書かれ、 Wilhelm Gundert の名もでてきます。まさに灯台下暗し。
添付しますのでご覧いただけたら幸いです。
① 鹿子木敏範先生(1921年6月-2002年11月): 日本医史学会名誉会長・熊本大学名誉教授。クルト・シュナイダーの『精神病理学』など5冊の訳書があり、精神医学領域で
日常的に使われる多くの述語を生み出された。1959年6月から1987年4月に定年退職されるまで熊本大学体質医学研究所 気質学研究室において研究と教育にあたられた。
熊本日独協会には早くから関わられ、1978年から事務局長〔気質学研究室の宮崎(結婚して「石坂」に変わられる)美代子さんが事務局の仕事を担われた〕、
1987年6月から第5代の会長(~1997年6月)。1987年5月ドイツ連邦共和国功労勲章一等功労十字章受章。
② 『落葉集 (らくようしゅう ) 』: 鹿子木敏範先生の広範囲の著作の中から、かって気質学研究室に所属された原田正純 熊本学園大学教授が編集責任者となり、
石坂美代子さん、鹿子木先生の実弟の中尾康幸氏とともに選び出し、大部の2冊にまとめ1999年4年に刊行された。「著者近影」を上に掲げています。 (M.S.)
1930年代初頭の「新大学」の建物には “ DEM LEBENDIGEN GEIST ” の文字が刻まれています。
きょうは、この碑銘をめぐってのそそっかしい一人相撲のお話です。
◇ 新講義棟の画像の下には “ Dem Lebendigen Geist ” verpflicht: Der Wahlspruch der Universitaet ・・・. のキャプションがあります。
この説明に日本語訳をつけて取り上げるか、迷った結果、触れるのは止めにしました。
" DEM LEBENDIGEN GEIST ” の訳が「生き生きとした精神に」でよいのか、これを大学のモットーとしてよいのか、自信がなかったからです。
そして、急ぎ調べました。
◆ ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク ( Ruprecht-karls-Universitaet Heidelberg )を検索すると「モットー Motto」は冒頭で表示され、
日本語版ウィキペディアでは、「Semper apertus ( 羅語 )、always open ( 英語 )」、
ドイツ語版Wikipediaでは、“ Semper Apertus → Auf Deutsch : Stetz offen ” と並んで “ Dem lebendigen Geist ” となっている。
ラテン語でのモットー : “ Semper apertus ” ( 日本語にすると「常に開かれてあれ」だろうか)とともに
“ Dem lebendigen Geist ” を大学のモットーとしてよさそうである。
◆ 引き続き“ Dem lebendigen Geist ” を Yahoo Deutschland で検索すると
真っ先に “ Dem lebendigen Geist. Neue Universitaet 2011+” というハイデルベルク大学創立625年記念 新大学改修・近代化プロジェクトのウェブページ。
” die Inschrift “ , ” geht zurueck ” , " Literaturhistoriker ” , “ Heidelberger Germanistik-Professor ” , “ Friedrich Gund・・・” などの文字が目に飛び込んでくる。
碑銘は文学史家にしてハイデルベルク大学のゲルマニスト教授 に由来するらしい。
名前は “ Gund・・・” ―「グンデ・・・ 」? どこかで聞いたような ―
そうか「 グンデルト 」だ! 鹿子木先生 ① からこの碩学についてお聞きしたことがあった。
◆ 「落葉集(らくようしゅう) :② 」に Wilhelm Gundert ウィルヘルム・グンデルト博士の名前を見出す
一つは〈 翻訳・ドイツ語編 〉の「 Eine japanische Stadt und ihre Deutschen (日本の一都市とそのドイツ人)昭和52年」。
第五高等学校の歴代のドイツ人教師の名前が並び、中でも特筆すべき人物(在任期間 1.8.1915ー31.7.1920)として詳しく業績が述べられている。
もう一つは学術誌、記念誌、新聞などに書かれたものを集めた〈 癒しと時代のこころ 〉の中の「五高のドイツ人教師グンデルト【 熊本日日新聞 / 昭和53年8月31日 】」。
短くまとめると;グンデルトは熊本時代に禅仏教との接触を深め、やがて日本学の第一人者となり、昭和13 (1938)年にはハンブルク大学の総長となっている。
ヘルマン・ヘッセの従兄弟で二人は極めて親しかった。
◆ ハイデルベルク大学の新しいモットーは熊本につながりのある人物 Gundert グンデルトに由来した !と思いこむ
ハンブルク大学の総長にまでなった熊本にゆかりのあるこの偉大な学者が新大学(新講義棟)の落成にあたり提案した献辞が採用されていたのだ。
それにしても鹿子木先生はこのことについて書かれていない。グンデルトの学問・研究の業績を追求されたからだろうか。ともかく、これは新発見になる。
「ハイデルベルク大学のモットーと熊本のつながり」のタイトルでこの発見をブログに投稿しよう。
◆ 何か微妙に違うぞ ー いや、決定的に違っていた
ここであらためて Ruprecht-karls-Universitaet Heidelberg をWikipedia で確認する。
大学の歴史を下にスクロールさせていき Weimarer Republik の項目の3行目に Friedrich Gundorf による献辞 “ Dem lebendigen Geist ” という文に出会う。
Gundert と Gundorf 。少し違うようだが、スペルの間違いかもしれない。でも、Friedrich は ? Gundelt は Wilhelm だったよな !
ようやく、Friedrich Gundorf という別人の存在に気づく。
◆ Friedrich Gundorf ワイマール時代を代表する詩人、ゲルマニスト
大きな存在だ。なぜ、Gund・・・ をグンデルトに結び付けてしまったのか。自分の知識、記憶に引っ張られて、「見たいように見る、読みたいように読む」ことを
してしまったのだ。
◇ こうして、「ハイデルベルク大学のモットーと熊本のつながり」のタイトルはボツになりました。
しかし、かって熊本に著名な学者がいたことを振り返る機会とはなりました。
また、手元に置いている『熊本日独協会創立30周年記念誌 " 62 ~ " 93 』をきょう久しぶりに開いたら、鹿子木敏範会長の「ごあいさつに代えて熊本とドイツ人」
を 再発見、そこにも、「熊本に在住したドイツ人教師たちの事績を調べた」ことが書かれ、 Wilhelm Gundert の名もでてきます。まさに灯台下暗し。
添付しますのでご覧いただけたら幸いです。
① 鹿子木敏範先生(1921年6月-2002年11月): 日本医史学会名誉会長・熊本大学名誉教授。クルト・シュナイダーの『精神病理学』など5冊の訳書があり、精神医学領域で
日常的に使われる多くの述語を生み出された。1959年6月から1987年4月に定年退職されるまで熊本大学体質医学研究所 気質学研究室において研究と教育にあたられた。
熊本日独協会には早くから関わられ、1978年から事務局長〔気質学研究室の宮崎(結婚して「石坂」に変わられる)美代子さんが事務局の仕事を担われた〕、
1987年6月から第5代の会長(~1997年6月)。1987年5月ドイツ連邦共和国功労勲章一等功労十字章受章。
② 『落葉集 (らくようしゅう ) 』: 鹿子木敏範先生の広範囲の著作の中から、かって気質学研究室に所属された原田正純 熊本学園大学教授が編集責任者となり、
石坂美代子さん、鹿子木先生の実弟の中尾康幸氏とともに選び出し、大部の2冊にまとめ1999年4年に刊行された。「著者近影」を上に掲げています。 (M.S.)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます