熊本日独協会/熊本・ハイデルベルク友の会

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コースターのメモ

2017-08-01 15:49:16 | インポート
前回、「両面印刷で、しかもそれぞれの面のデザインが異なる」と決めこんでいたドイツのコースターにも例外があったことに触れた。
それらのコースターの中の2枚の裏面に“ 18.Sep.1984 ”の日付と名前が記されたものがあるのに気づいた。
     
いつ、どこでのコースターだろうかと由来をたどってみた。

まず、日付の1984年9月18日に近い記述が『熊本日独協会30周年記念誌‘62~‘93』の沿革にあった。
  1984年(昭和59)
  9月15日大久保副会長(※1)を団長とするロータリー研究グループ訪独(10月15日まで。)


次に、『国際ロータリー273地区・186地区研究グループ交換報告』(※2)の〔日程〕には、コースターのメモとぴったり一致する記録があった。
  9月18日 20:50 ルザティア・ライプツィヒ学生団の集会へ

この日、研究グループは186地区の世話人クリストフ・ケンプ博士の案内で最初の訪問地ハイデルベルクを離れ空路で西ベルリンを訪れ、ケンプ博士が学ばれたライプツィヒ大学のルザティア学生団の集会に参加したのである。
ケンプ博士は、1937-38年、交換留学生として京都帝国大学で学び、兵役、ソ連での抑留生活を経験、1956―79年、財団法人日独文化研究所所長、京都文学館長をつとめたのち帰国、1991年から初代のハイデルベルクー熊本友の会の会長として両市の友好都市締結に貢献された方である。
この夜は、実直な博士が50年を経てもなおルザテイア・ライプツィヒ学生団の後輩会員と席を同じくする喜びで顔を紅くし、旧制第5高等学校でドール先生からドイツ語を教わった大久保団長と共にいくつもの学生歌を熱唱された。

手持ちの『ドイツ学生の歌 ― 大全集』には解説書が付いているが、その中でも学生団(Corps)が取り上げられている。(※3)
      
掲載された岡野圭一氏所有の先輩用の帽子の上面には日本の花押のようなRの装飾文字とh!の刺繍がある。Rは岡野氏が所属するラインシュタイン団の頭文字と思われる。9月18日の日付があるコースターの4人の名前の横にも同じく何かの装飾文字と!が印されている。恐らくルザティア学生団員を意味するサインなのだろう。

研究グループ交換報告書では、9月18日、旧西ベルリンの閑静な一角にあったルザティア・ライプツィヒ学生団の館での集会後、研究グループは「24時にホテル戻った」となっている。しかし、その後があるらしい。
翌朝、メンバーの一人が仲間に指を4本立てているのを見つけケンプ博士が「その4は何ですか」と尋ねられた。とっさに「夕べはジョッキ4杯飲んだのです」と答えた。5人の研究員の中でも若手に属する彼ともう一人がルザテイア学生団の現役学生と示し合わせてホテル近くの店で落ち合いビールを飲んだのだ。4は「朝の4時まで飲んだ」の意味であった。
学生団とビール。マイヤー=フェルスター作の『アルト・ハイデルベルク』を今一度、読んでみたくなった。(m.s.)

(※1)
(株)フンドーダイ会長の大久保圭一郎氏。熊本日独協会第6代会長(平成9年6月~平成11年5月)。ロータリアンとしても長く活動、83年、84年次はすでに273地区ガバナー経験者(パストガバナー)であった。
30周年記念誌には、次の記述がある。
1966年7月25日 会員大久保圭一郎(フンドーダイ醤油社長)はハイデルベルク大学主催の講習会出席の途上、同市市長とライン・ネッカーツァイトング紙へ石坂会長(注 石坂繁熊本市長)からの親善メッセージを伝達。
熊本市がハイデルベルク市と友好都市になるために努力された多くの先人たちの活動の一例である。

(※2)
273地区は大分・熊本・宮崎・鹿児島の4県、186地区は西ドイツの中西部:ハイデルベルク・マインツ・ザールブリュッケンなどのロータリークラブが所属。研究グループ交換プログラム( GSE;グーループスタディエクスチェンジ)は国際ロータリーの奨学プログラムの一つで、チームはガバナー代理のロータリアンを団長とし35歳未満の職業人から選抜された5名の団員で構成され、約1カ月間、先方の地区で文化、歴史、生活などに触れるほか自らの職業上のテーマを研究する。83年には186地区からクリストフ・ケンプ博士を団長とする研究グループが九州4県の273地区を訪れた。

(※3)
解説書に、この記事と関連する事柄を見つけたので補足したい。

〇 「青春の歌」と題する文の著者、東山魁夷は30周年記念誌ではケンプ博士との交換留学生とされている。
〇 独文学者の高橋健二は、「昔、ハイデルベルク」でと題し、ハイデルベルク留学時代に「赤雄牛屋」というビアホールでドイツの学生とビアジョッキをテーブルの上でこすり合わせて歌い、気分は満点だったと記している。 
〇 文芸評論家の中野孝次の「古きよきアルトハイデルベルク」には、大正末年から敗戦まで熊本五高で教えていたドル先生が古きよきハイデルベルク大学の出身であり“古調「野ばら」だの「おおタンネンバウム」だの「「生を楽しめ フロイト・オイヒ・デス・レーベンス」だの、老先生が低い声でしみじみと歌ってくれた歌が、いまでも記憶に灼きついている”と大久保団長にも通じる話が述べられている。




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