真っ白から、淡い赤色に変化する「紫陽花」を、日々、観察するのは、楽しみの一つです
6月20日 木曜日、畑の草取りを予定していたのに、雨降りである。
この降り様では、2、3日は、草取りは無理だろう。
たまにしか広げない新聞を開いた。
19日の記事で、「ヘイトスピーチ抗議の男女暴行」とある。
どうやら、大阪・梅田で、街宣活動をしていた「〇〇を呼びかける市民グループ」が、それに抗議する男女に、拡声器で耳元で叫んだり、腹を殴打するなど行ったという。
その記事の横には、「新宿の暴行」とある。
東京・新大久保でも、「〇〇〇を許さない市民の会」という団体がデモで暴行事件が発生したようだ。
新聞では、「ヘイトスピーチ」とは、差別的表現で憎悪をあおる憎悪発言と書いてある。
私には、ある特定の民族に憎悪するという感情はないと思っているが、何かの腹いせに、立場の弱いものを苛めるという感情は、ある程度は分かる。
だから、苛めて良いという事ではない。
60歳を迎えるまで、あまり他人の人生に関わりを持ちたくなくて、なるべく、深入りを避け、自分のペースで生きて来たから、他の人が、どう生きていようが興味を持つことが無かった。
そんな無責任な人生観が、かえって、人を憎むとか苛めるなどいう発想がないのかもしれないと、時折、思う。
20日付毎日新聞、「加熱する憎悪」フリーライター赤城智弘氏のご意見から
経済成長が終わり、非正規雇用の増加などで閉塞感が強まる中・・・鬱積している不満のはけ口として一部で共感を呼んでいる・・・今の日本人は職場と家庭に引きこもり、その外側で起きている現象への関心や想像力を失っている・・・ヘイトスピーチを排除するのは、国家権力ではなく国民の仕事なのである。(以上抜粋)
私は、自虐的な性格かもしれない・・・何故ならば、何か上手く行かない事にぶつかっても、その原因は、きっと、私に落ち度があるからだと思ってしまう。
人を憎んだり苛めたりするエネルギーは、別の方向に使って貰いたいと、心から願いますね・・・皆、「善良な市民」ですもの。
他人の言動に対して色々な感情が湧き上がるのは、人間なら自然な事だと思いますが、だからと言って相手に暴力や嫌がらせ行為をするのは民主国家では認められないと思います。
表現の自由があるので、言葉で反論(意思表示)すれば良い事ですが、往々にして責任ある意見を言えない人(達)が何かの腹いせに暴力的に攻撃しようとするのは間違っていると思いますね。
おはようございま~す。
最近、誰かと、真剣に議論するという事をしなくなりました。
言えば言う程、自分の気持から離れてしまうのです。
これは、新聞も本も読まない生活で、適切な言葉を忘れてしまったからのように思います。
何に於いても、他を知る勉強(それも冷静に、正確な)は、大事な事と感じています。
昨日、今日と、天気は良好、今日は、畑の草取りをするつもりです。
草取りの時間は、とても、穏やかな気持ちになりますね。