IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

単純計算では・・・

2018-01-30 13:12:23 | この頃思う事

庭には、殆どと言ってもいいくらい、咲いている「花」がない・・・その中で、ともかく「花が・・・」と言えるのは「椿」のみだ。
でも、もしかして、この花は「侘助」なのかも知れないが・・・

 


 


寒いから、毎日、TV前の「一畳半」に陣取っている。
全く持って「退屈な日々」であるけれど、この生活に馴染んでしまったのか、何時の間にか、そんな一日も、何も考えることなく、素早く終わってしまう。
でも、そんな日々でも、時折、ふと目に留り、考えさせられるものがある。

本日はその一つを述べてみよう。

相変わらず斜め読みの新聞を捲っていた時、ある週刊誌のキャッチコピーと言うのだろうか、かなりセンセーショナルな一文があり、思わず「う~ん」とうなってしまった。
一部ご紹介すると・・・

「新・階級社会」日本の不都合な真実、もはや「格差」ではなく「階級」
学歴・結婚・身長。体重・・・富裕層と貧困層でここまで違った!

と、心穏やかならぬ文字が踊っているが、一番、引き付けられたのが・・・以下の文である。

富裕層・・・お釣りの小銭は全部寄付  貧困層・・・財布の中は小銭ばかり
富裕層・・・移動はすべてタクシー    貧困層・・・移動は基本、自転車

要するに、自分に当て嵌まる事項だな・・・つまり、私は「貧困層」だと気づかされた訳だ。

自らの落ち度とはいえ、移動手段の自転車を失った私は、外出の度に「タクシー」を利用する余裕はない。
だから「徒歩」で行ける所は、頑張って歩くから、いわば「貧困層」以下。
財布の中に「万券」が存在するのは稀であり、コンビニに出掛ける場合は「小銭入れ」しか持たない。
ま、私は、自他共に認められる「貧困層」に位置していると自覚しているものの、まだ、ちょい抵抗もしたい思いもあり、必死に堪えている最後の踏ん張りの足を外されたような気分になった。

しかし、このコピーを見ながら(雑誌を買ってまで読もうという意思はない)思うに、日本に「階級」などと持ち上げた人間が存在し得るか・・・という事だ。
「お金」を軽蔑しているのではないが、「お金」をもって分断される世の中になるとすれば、これ程、嘆かわしい事は無いと思うだけだ。
「清貧に甘んじよ」とは言わない、でも、どれだけの「お金」を所有すれば満足出来るかを考えると恐ろしい気がする、きっと「満足」などないだろう。

「お釣りの小銭」に関して言えば、私は「貧困層」に位置するが、つり銭の内、5円と1円は、必ず、募金箱に入れてくる(全額を寄付出来ないのが貧困層なんだよね、きっと)。
私が持っている1円・5円は、私自身が生きる上で、そう影響のある金額では無いが、日本の人口:1億2千万余が、一年・一回・1円を寄付したら1億2千万円、一月・一回・1円寄付ならば14億4千万円、一日・一回・1円寄付だったら438億円(計算、間違ってません?最近、脳細胞の破壊が激しくて)・・・スゴイ!と思いません?
多分、私でも、「一日1円運動」に参加できると思っている・・・年間365円だもの、2円でもOK・・・「富裕層」ならば軽いものだろう(と、思うけれどね)。
要するに、微小な金額でも、莫大な額に成り得るという事だ。

「仮想通貨」の不正流失被害額が580億円だとか・・・全く、わが身とは関係が無いため、はっきり言って「他人事」だが、「一人一円」で集まるパワーは容易に想像できる。
日本人だけでも、「清貧」に意義を持ち続けて貰いたいと思うのは間違いか。
他国富裕層の後追いで我が身に富を集中させるだけではなく、生きて幸福度を上げる「富(敢えて言えばお金か)」についても考えを及ぼして欲しい・・・ま、そんな事をこのキャッチコピーで考えさせられた次第。


貧乏人(これって差別語かな?)の遠吠えとお思い下さっても、勿論、OK。



先日掲載した「椿」とは、少し違う種類らしいが・・・私には同じように見えるけれど。


 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする