数年前、山野草展で購入(千円だった)した「白いホトトギス」が、今年は漸く、少し風情を感じさせる花が咲いてくれた。
やはり野に置け?・・・「セイダカアワダチソウ」を生けてみたけれど。
自分では、「頑健な体」とは思っていない(虚弱体質でない事は明確だが・・・)のに、余り、自身の病気の話をしないし、病院にもかかった事がないから、他人(yoso)様からは「丈夫な体だね」と言われ続けてきた。
それでも、「寄る年波」には勝てず、脳細胞は死滅しまくり、ちょい働くと足腰が悲鳴を上げる。
それで、いろいろな弊害や不都合が起きている事も承知しているが、殊更に言い立てる事もない。
つまり、すべて順調な歩みの一環だと受け止めているだけなのだ。
先日「足湯」に同行した友人から、また、電話が来た。
その後の調子がとても良いから、来週あたりに、もう一度、試してみたいと言うのである。
実を言うと、「足湯」はともかくとしても、(虚弱体質の?)友人を庇いながらの行動は、かなりの疲労感を感じるのだ。
それは、多分、「寄る年波」のために、私自身に持久力という体力が欠乏して来ているのだと思っているが、殆ど、苦痛をオモテに出さない私に、友人が下した評価の言葉は、「やっぱりあなたは元気だね」だった。
けれど、その言葉は、私の気持ちを、ひどく落ち込ませた。
私は、「あそこが悪い、ここが痛い」とは、余程のことが無い限り言いたくない人間だが、同年齢の友として、己を気遣う気持ちの半分、否、十分の一で良いから、他の者に対して、もう少~し、デリカシーのある言葉を掛けられないのかしら・・・と、思った訳なのだ。
無理はしたくないけれど、人前では無理をしてしまう・・・そんな私を理解出来ていないなぁ・・・とね。
で、そのキズからは、まだ立ち直っていない私なので、友人からの要望(来週あたりで)は、断った。
また、こんな事も・・・
同級生仲間が風呂場で眩暈を起こし倒れた拍子に、酷く打ち身(幸いにして骨折は無かったようだ)をして動けないというのを聞いて、早速にお見舞いの電話を入れた。
風呂場ではつい最近、、他の同級生らが、怪我は無かったものの、滑って危うい経験をしたのを目撃したばかりだったので、「お互いそういう年なんだから、無理はダメ!気を付けようよね」と忠告した。
また、別の同級生の急逝の知らせも入ったばかりだった。
一般的には、「元気だね」は褒め言葉であろうが、我らが年代では、表に出ている表情がすべてではないという認識を持つべきだと思っている。
「元気の裏」には、「寄る年波」が潜んでいるのだから・・・
「元気に見える」私でも、今すぐ、再び、かの友人と「足湯」に出掛けるエネルギーは残っていない事を分かってくれよ・・・と言いたい、ちょいと弱気な私もいる。
あぁ、愚痴ってしまった、反省、反省!