「岩タバコ」の花が、何時の間にか、満開(全開)になっていました
朝5時、雨が降っている。
さすがの「お出かけ大好きな母」も、自分の部屋で静かにしている(常には、4時か5時には、部屋で、ウロウロ、ガタガタと、出かけたい意志表示をしているが・・・)。
こんな日は、私も、穏やかな気持ちでいられる。
ふと、思い立って、習字の課題に取り掛かった。
このところ、気持ちが落ち着かず、課題に取り組む気分になれなかったのだ。
一時間程してから、朝食の支度にかかった。
朝食の後片付けが終わったところで、TVを付けると、ちょうど、JAZZ番組で、エラ・フィッツジェラルド「マック ザ ナイフ」が流れてきた。
60年代のライブ映像だ・・・私の大好きな曲である。
その後、番組は変わり、ABBAの「ダンシング クィーン」が、聞こえてきた・・・この70年代のノリは、すんなりと、気持ちを弾ませる。
弾みが出たところで、溜まっている新聞に目を通した。
「目標なく生きる重要性」という見出しに、目が止まった。
以下、毎日新聞、6月9日付、「時代の嵐 山際寿一京都大学教授 老年期の意味」から抜粋。
・・・老年期の人間は何か差し迫った必要性を感じて時間を組み立てはしない。時の流れとともに出会う出来事をそのまま受け止めている・・・老いの受け止め方も千差万別だ・・・老人は個性的な存在である。子どもたちと同じように、老人たちを集団で扱うことはできない・・・しかし、老人たちは知識や経験を伝えるためだけにいるのではない。青年や壮年とは違う時間を生きる姿が、社会に大きなインパクトを与えることこそ大きな価値がある。人類の右肩上がりの経済成長は食料生産によって始まったが、その明確な目標意識は時として人類を追い詰める・・・目的が過剰になれば、命も時間も価値が下がる。その行き過ぎをとがめるために、別の時間を生きる老年期の存在が必要だったに違いない。老人たちはただ存在するだけで、人類を目的的な強い束縛から救ってきたのではないだろうか・・・(以上抜粋)。
もろ手を挙げて、賛同したいと思う。
私自身が、常日頃、そう感じていた事を、明確に示してくれていると思う。
人間(私だけかな?)、穏やかな気持ちで周りをみると、結構、良い事に出合える・・・そんな気持ちを貰えた雨の日である。