IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

「チャリティー・ジャズコンサート」を聴きながら・・・

2013-03-12 13:04:04 | この頃思う事





とても清楚な風情の「椿」です



2月28日にマイカー(自転車)で事故り、後遺症は右手親指の突き指だけかと思っていたが、3月2日(否、3日朝未明)になって、右脇腹に痛みが走り、それこそ、縦にも横にもなれない状態になり、一睡もできないで、朝を迎えた。
後になってから、「そうか鎮痛剤を飲めば良いんだ」と気が付いたが・・・。
「自然治癒」をモットーにしているから(な~んて言っているけれど、病院へ行くのが面倒なだけ)、ひたすら、湿布剤で誤魔化している。

それでも、春の訪れに後押しされて、「じゃがいもの植付け」「家の花壇の整備」「友人との遅ればせの新年会(東京・横浜)」等々、よたよたながらも、こなしてきた。
当然の事ながら、何をやるにしても動きが鈍く、やたら疲労感だけが残ってしまう。

たまたま、知人から「東日本大震災復興支援チャリティーコンサート」のチケットを貰い受けた。
日時は3月11日である。

「そうか・・・ちょうど、2年目を迎えたのか」と思い、私の中では、ひどく過去の出来事になっているのを感じた。
決して、他人事と思っている訳ではない・・・事実、東海地震の恐れは、日々、諸機関によって啓蒙されているから、ひしひしと危機感が、知識として、何重にも重なっっている。
ただ、私の場合には、自分自身が「生き残って行く」という能動的な気持ちが湧いてこないのは、悲しいかな、確かである。
この3月11日を迎えて、TVや新聞などの報道を見るにつけ、やがて襲ってくるだろう災害は、私にとっては、途方もなく対処出来ない現象のように感じられてならない。
自分自身では無神論者に近いと思っているが、それでも、生き残れるかどうかは「神のみぞ知る」或いは「何か大きな存在が、その人に与えた生命力」だと感じてしまう。
だからこそ「生還した人」は、「生き残った人」ではなく「生きることが使命の人」かも知れないと思うのだ。

今のところ「災害を免れている」私たちは、「生きる事が使命」である人たちを、応援したい・応援し続けなければならないと考えるのだが・・・。

本日のコンサート出演者も、会場提供者も、私達聴衆も、それぞれが「命」の崇高さを感じたからこそ、一堂に会する機会を持てたのだろう。
残念で口惜しいことだが、全ての「命」は守れないのは事実。
しかし、せめて「生きて行こう」としている「命」に、手を差し伸べ支えあって行けるはず・・・と、「ワンダフルワールド(私の大好きな曲)」を、ゆったり聴きながら、そうありたいと願った。
それにしても、長時間(2時間半)、椅子に座っているのは、ちょいと辛い・・・昨晩は、少々、脇腹(肋骨?)の痛みあり。









ご近所さんから「ちょっと変な椿」と紹介されましたが、どうして、どうして、「豪華で優雅」だと思いますね

コメント (6)
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