とても清楚な風情の「椿」です
2月28日にマイカー(自転車)で事故り、後遺症は右手親指の突き指だけかと思っていたが、3月2日(否、3日朝未明)になって、右脇腹に痛みが走り、それこそ、縦にも横にもなれない状態になり、一睡もできないで、朝を迎えた。
後になってから、「そうか鎮痛剤を飲めば良いんだ」と気が付いたが・・・。
「自然治癒」をモットーにしているから(な~んて言っているけれど、病院へ行くのが面倒なだけ)、ひたすら、湿布剤で誤魔化している。
それでも、春の訪れに後押しされて、「じゃがいもの植付け」「家の花壇の整備」「友人との遅ればせの新年会(東京・横浜)」等々、よたよたながらも、こなしてきた。
当然の事ながら、何をやるにしても動きが鈍く、やたら疲労感だけが残ってしまう。
たまたま、知人から「東日本大震災復興支援チャリティーコンサート」のチケットを貰い受けた。
日時は3月11日である。
「そうか・・・ちょうど、2年目を迎えたのか」と思い、私の中では、ひどく過去の出来事になっているのを感じた。
決して、他人事と思っている訳ではない・・・事実、東海地震の恐れは、日々、諸機関によって啓蒙されているから、ひしひしと危機感が、知識として、何重にも重なっっている。
ただ、私の場合には、自分自身が「生き残って行く」という能動的な気持ちが湧いてこないのは、悲しいかな、確かである。
この3月11日を迎えて、TVや新聞などの報道を見るにつけ、やがて襲ってくるだろう災害は、私にとっては、途方もなく対処出来ない現象のように感じられてならない。
自分自身では無神論者に近いと思っているが、それでも、生き残れるかどうかは「神のみぞ知る」或いは「何か大きな存在が、その人に与えた生命力」だと感じてしまう。
だからこそ「生還した人」は、「生き残った人」ではなく「生きることが使命の人」かも知れないと思うのだ。
今のところ「災害を免れている」私たちは、「生きる事が使命」である人たちを、応援したい・応援し続けなければならないと考えるのだが・・・。
本日のコンサート出演者も、会場提供者も、私達聴衆も、それぞれが「命」の崇高さを感じたからこそ、一堂に会する機会を持てたのだろう。
残念で口惜しいことだが、全ての「命」は守れないのは事実。
しかし、せめて「生きて行こう」としている「命」に、手を差し伸べ支えあって行けるはず・・・と、「ワンダフルワールド(私の大好きな曲)」を、ゆったり聴きながら、そうありたいと願った。
それにしても、長時間(2時間半)、椅子に座っているのは、ちょいと辛い・・・昨晩は、少々、脇腹(肋骨?)の痛みあり。
ご近所さんから「ちょっと変な椿」と紹介されましたが、どうして、どうして、「豪華で優雅」だと思いますね
突き指は大丈夫ですかとお尋ねしようと思っておりましたら、なんと事故ですか、脇腹痛はきっと肋骨が骨折かもですね、ただ肋骨骨折は安静と自然治癒みたいですので、ご無理をされませんように。
3.11この日が来たなと気にはなりつつ、皆さんいろんな形でかかわりを持たれているのですね、忘れるはずもないのですが何もしない自分にちょっと後ろめたさみたいなものを感じてはおります。
おはようございます。
本来ならば、ブログで大々的に発表したいアクシデントでしたが、ちょいと訳ありで・・・控えました。
お見舞いありがとう。
右手は、どうしても、使用頻度が多いので、治ったような、治らないような、でも、大丈夫です。
曲りなりにも、穏やかな(母の事はさておき)日々を過ごさせて貰っている現在、「3.11」に限らず、常に、自分の出来る事は意識しています。
それが、世間の評価の枠に到達していなくても、たくさんあると思いますね。
「後ろめたさ」を感じる心も大切だと思いますよ。
利便性を考えると「自転車」に乗らないようにと言えません。くれぐれもご注意ください。
私の不注意での怪我に、お見舞いを頂き、恐縮いたします。
「まだまだ大丈夫!」とは思っていないのですが、視力・聴力・注意力は、思いの外、衰えていると実感しました。
「高齢者自転車暴走族」は脱退すべき時期のようです。
お怪我大変でしたね。
脇腹の痛み、やはり長引く様なら病院で診てもらった方が良いのではないでしょうか。
軟骨の損傷は、レントゲンを撮っても分らないらしいですが、正に生かされている大切な命ですので、決して無理をされませんようにね。
この椿、本当に見事な花ですね。
お見舞いありがとうございます。
お陰様で、18日現在、脇腹の痛みは、もう、忘れている位になりました。
ただ、右手親指は、力を入れると痛みますね。
左手のある事の有難味を実感しています。
伊豆では、ようやく春めいてきました。
それにつられて、畑、庭の草取り・鉢植えの植替え等始めています。
また、今年も、草取りに追われそうです。