くろべ四十八が瀬とかや、数しらぬ川をわたりて、那古と云浦に出。担籠の藤浪は、春ならずとも、初秋の哀とふべきものをと、人に尋れば、「是より五里、いそ伝ひして、むかふの山陰にいり、蜑の苫ぶきかすかなれば、蘆の一夜の宿かすものあるまじ」といひをどされて、かヾの国に入。
わせの香や分入右は有磯海
黒部川は富山県を北に流れて日本海に注ぎますが、下流はいくつもの細い流れに分かれた扇状地になっています。那古の浦は「水門風寒く吹くらし奈呉の江に夫婦呼び交し鶴さはに鳴く」と大伴家持が万葉集に詠んでする歌枕の地です。那呉、奈古、奈呉などと書かれることもある景勝地です。担籠の藤浪も歌枕として残っています。「多胡のうらの底さへ匂ふ藤なみをかざして行ん見ぬ人のため」と人丸が拾遺集に詠んだ歌が知られています。
いにしえから、海と人々の暮らしに関連する土地では歌枕として読まれることが多いようで、それらを芭蕉が好んで旅した情景が多く残されました。
以前紹介した遣新羅使が詠んだ歌として伝えられている上の歌碑は、この本題とはかけ離れますが同様に海を詠んでいるものです。
また、有磯海に関しても大伴家持が万葉集に詠んでいます。「かからむとかねて知りせば越の海の荒磯の波も見せましものを」
「荒磯海」は富山湾全体をさす普通名詞でしたが、後年では固有名詞の有磯海になっていったようです。
荒れた海と雪山の情景には慣れ親しむことのない瀬戸内育ちなので、本当の意味での厳しさは分かりません。「ああ、綺麗だな」と安易に語るのも失礼かもしれません。
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